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創刊40周年記念エッセイ:日本文化の中のお菓子 熊倉功夫

イメージ お菓子はおいしくて美しい。そればかりか、お菓子には心を豊かにする楽しさがあります。この小さなかたちの中に、日本の文化が凝縮されているように思えます。日本の菓子の祖とされる田道間守の伝説は、二つのことを伝えています。
 田道間守が常世の国から持ち帰った非時香菓は、垂仁天皇の不老不死の願いをかなえるはずでした。非時香菓とはタチバナの実ということになっていますが、そこから菓子のもとは果物だったことがわかります。自然の恵みである果物は、古代以来、貴重な甘みでした。
 もう一点は、菓子には、不老不死という元気で長生きしたいという、人間すべての願いが込められていることです。菓子はおいしいから食べるだけではありません。幸福を招き、身辺に近寄る災いを攘ってほしい、すなわち招福攘災を願って食べる特別な食べものです。

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イメージ 桃の節句といえば、草餅の中につきこまれた蓬の香りが嬉しいものです。端午の節句の菖蒲、重陽の節句の菊と並んで、その強烈な香りに、われわれの体に悪さをする魑魅魍魎を追い払う力があると昔の人は信じていました。この時とばかり、草餅を食べて新しい季節を迎えます。
 節句だけではなくて、季節の変わり目は、体力、気力が衰えます。失われる元気を補うのが菓子の役目です。
 「水無月」という菓子が京都にあります。氷を象徴して三角形に切られた白外郎の上に小豆をのせた素朴な菓子ですが、水無月(六月)一日を、古く「氷の朔日」といいましたように、これから迎える夏の暑さに負けぬよう氷を食べる習慣が宮中にはありました。京都の庶民は六月になると氷のかわりに菓子の水無月を食べて、息災を願うことにしています。
 日本人は四季の変化を何より楽しみにしてきました。ひと足早く季節を招き入れ、菓子の趣向に仕立てます。そこには日本人の初物好きの心理もうかがえましょう。初物には生まれたての新しい魂(新玉)が宿っていますから、これを食べると七十五日長生きできると昔の人はいいました。

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 日本の菓子のすばらしさは、全国各地に、郷土の香り豊かな菓子がひっそりと作り続けられているところにあります。それを土産として頂戴したり、私自身も買い求めたりします。土産という習慣は菓子に限ることではありませんが、その土地の風情を運んできますから、とてもゆかしく感じられます。
 さらに申しますと、その土産の菓子には、それを作った土地の産土神の霊力がこもっているのです。土地の守り神である産土神の力によって産み出された産物を土産としていただくのです。
 いわば小さな菓子は、古い古い日本文化の根っこにつながっています。

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イメージ さて、日本の歴史は外来文化受容の歴史ともいえるくらい大陸や半島、さらに南方の島伝いに外来文化が流入し、近世以降はヨーロッパ、近代にはアメリカの文化まで加わって、受け入れ、また捨てられ、変容して今日の日本文化ができあがりました。菓子の歴史もまた外来文化受容の歴史といえます。
 チベットで食べた揚げ菓子は、まるで日本の神饌の菓子のようでした。ちまきの伝統は、中国雲南から日本まで照葉樹林帯に分布します。十六世紀に西洋人が日本に来て、砂糖や鶏卵を使う南蛮菓子が始まります。近代の欧米文化の受容の中で、日本の菓子の世界は一段と広がりを見せます。
 こうして考えてみますと、日本人の自然観や信仰、美意識や感性、さらに文化の歴史的特質が、すべて菓子の中に凝縮していることがわかります。

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熊倉功夫(くまくら いさお)

国立民族学博物館名誉教授。林原美術館館長。専門は日本文化史、茶道史。東京教育大学文学部博士課程退学後、京都大学人文科学研究所講師、筑波大学教授、国立民族学博物館教授等を経て現職。近著に『日本料理文化史』(人文書院)、『文化としてのマナー』(岩波書店)、『近代数奇者の茶の湯』(河原書店)、『茶の湯の歴史―千利休まで―』(朝日新聞社)、近編著書に『遊芸文化と伝統』(吉川弘文館)、『井伊直弼の茶の湯』(国書刊行会)ほか多数。