特集『あじわい』の50年

ホーム > 特集『あじわい』の50年 ③珠玉のエッセイ・インタビュー No.200

菓子袋

200冊の『あじわい』を、数多くの著名人・文化人のエッセイやインタビューが彩ってきました。

 日本の文化は、湿気から生まれたと言えるんです。玄関に打ち水するのは湿気で心がなごむ、喜びと親しみを感じさせるためですし、苔寺の苔を美しいと感じるのもそう。湿気に対応する美意識と生活の知恵がたくさんあります。自然にさからわず、壊さず、自然と融和していくことが文化を育ててきたといえます。和菓子もその一つでしょう。〈38号/昭和52年/インタビュー〉

 恐れ入ったお話ですけど、明治天皇さまは、お酒はお好きだったんですけど、ところが、お酒の肴にお菓子を召し上がるという具合でした(笑)。お菓子そのものにご興味があったのでしょうね。ご承知のとおり、御所では特別のお菓子をずーっとお伝えになっておられますが、明治天皇さまは、ご自分でお作りになられるお菓子は、ご自分でお名前をおつけになるほどでした。〈創刊号/昭和43年/インタビュー〉

 「洋子ったら赤やピンクの服は絶対拒否。そして甘いお菓子が大嫌い。子どものくせにねえ」と母を嘆かせた私は、ほんとにヘンな子供だった。〈137号/平成14年〉*イラストも筆者

 私は酒が駄目なので、いまでも家の中に菓子がきれたことがない。ようかんなど二箱も三箱もあって、その、あるということだけで安心なのである。菓子がきれたりすると、それは米びつに米が一粒もなくなったみたいな恐怖に近い。〈17号/昭和47年〉

 コナーファというお菓子がある。カステラに砂糖水がかかっているようなものなのだが、どうやったらこんなに甘くできるのかというくらいに甘い。家庭で作るのだが、ホームパーティでその甘さを競うのだ。
 「誰それさんの家で出されたコナーファには負けられないわ」(主婦たちはどうやってでも甘くする方法を考える)。〈124号/平成11年〉*イラストも筆者

 桜の地模様の上には黒い文字で「小城名産」とわきに小さく、中央に「桜羊羹」と大きく書いてあった。簡略な包みのためか、中身の羊羹は四隅に風化の白い粉がふいて堅い。切ると中はねっとりと潤いを持った色をしているが、堅いこれを頬張るとガリガリと歯ごたえがし、ねっとりとしたやわらかい部分と混交して、えもいわれぬ味がした。〈93号/平成3年〉

 「茶菓出でて後は静かに法師蝉」私の句だが、訪問先、通された部屋で、ねんごろに茶と菓子が差出される、そのあとの主を待つしばらくの間のしずかさに、法師蝉が声を引き、声を尽くして鳴く。この主を待つ間、納得して待つ暇の、茶菓なるものの役目の大いさ、応待の役をつとめているのである。〈創刊号/昭和43年〉

 昔の呑み仲間からは「甘党になるなんて堕落したものだ」と笑われたりもしているが、現在、いたって健康なので、これが自然の食生活なのだと甘党街道を突っ走っている。〈127号/平成11年〉*イラストも筆者

『あじわい』にご寄稿、ご登場いただいた方々 

甘露寺受長、中村汀女、池田弥三郎、石井好子、村上元三、橋本明治、岡本太郎、中村メイコ、戸板康二、フランク永井、 里見怐A幸田文、坂東三津五郎、楠本憲吉、淀川長治、 松本幸四郎、水原茂、土井勝、小沢昭一、篠田桃紅、三波春夫、 益田喜頓、今井通子、犬養智子、三遊亭金馬、樋口清之、 秋山庄太郎、今泉今右衛門、鈴木宗康、小池百合子、安達瞳子、吉田健一、高田好胤、松本清張、小堀宗慶、太田治子、千宗室、田中優子、江後迪子、芦野宏、持田叙子、大塚滋、東畑朝子、冨士眞奈美、山口崇、ピーコ、吉行和子、桐島洋子、丘みつ子、荻野アンナ、馬場悠男、夢枕獏、吉村作治、磯辺勝、轡田隆史、小泉武夫、細川護熙、長谷川櫂、安西水丸、熊倉功夫(敬称略)
*この他にも多くの方々のご協力をいただいて参りました。