成田山新勝寺。初詣、節分会、夏の祇園会などで全国にその名を知られる寺。『お不動様』の名でも親しまれている。約5万坪の敷地に大小40もの伽藍が立ち並び、大庭園(成田山公園)の四季折々の表情も美しい。園内に新勝寺の史料館である『霊光館』があり、見応えのある展示を行っている。
参道が急な下り坂にかかったところで、思わず歓声を上げてしまった。坂の両側から迫る古い家並みのあいだに、お寺の本堂と三重塔の屋根がきっちりおさまって、見事な景色である。このロケーションに立っていると、江戸時代の風景に迷い込んだような錯覚におちいりそうだ。
驚かされたのは、参道が長く、変化に富んでいることである。京成成田駅からもJR成田駅からもすぐに参道に合流する。にぎわう寺社の参道は、いわば非日常の空間。人を華やかな、別の世界へ連れて行ってくれる。
成田では、その楽しさがたっぷりと味わえる。参道がそろそろ終りかなと思う頃、道が急カーブして下りになり、坂に沿ってお寺と古い町並みが絶妙な景色を織りなすのだ。坂を下りきって、ようやく新勝寺の仁王門の前に出る。
駅の付近から約800メートルあるといわれる参道には、100軒を超す土産物店や飲食店が軒を連ねる。店の造りはおおむね古風だが、とりわけ坂道沿いでは、江戸時代の面影を伝える古い建物が目につく。例えば、新勝寺の入口近くには能舞台も備えた望楼のある3階建てのひときわ大きな和風建築が残っている。大野屋旅館。今やここに泊まる人は少ないかもしれないが、その姿は強い存在感で、成田の往時を色濃く物語っている。
額堂。文久元年(1861)の建立。近世における庶民信仰を表す代表的な建築で、堂内には信徒から奉納された額や絵馬がびっしりと掲げられている。
参道土産の家伝薬。有名な胃腸薬「一粒丸」の他、きず薬なども。
成田山新勝寺の起こりは、平安時代、朱雀天皇が平将門の乱を平定するために、本尊の不動明王を京都の神護寺から成田の地に移したのが最初といわれる。
戦がきっかけで生まれたお寺だけに、かつては戦場に向かう兵隊さんやその家族たちが武運長久を祈りに訪れた。今、この寺は交通安全祈願の寺として知られるが、これもまたビジネス戦士たちの交通戦争における武運を祈っているということか。
一方、歌舞伎通ならずとも「成田屋!」の掛け声はご存じのはず。成田屋の屋号も、実は、この寺にちなんだものである。子供のなかった初代市川団十郎が成田山にお参りをして子供を授かった。それからなんと300年以上も、代々の団十郎と成田山の間には親密な関係が続いているのである。こうした話題も多くあって、新勝寺というお寺の雰囲気は、どこか華やかだ。
仁王門をくぐって石段を上ると、巨大な大本堂。その裏側には、大多宝塔(平和大塔)が建つ。この二つの堂塔が、新勝寺の主要な礼拝の場である。毎日、本堂で行われるお護摩のために、美しい僧服の貫首が大勢の僧を従えて石段を上り下りする光景は、一幅の絵である。
また、三重塔、釈迦堂、額堂、光明堂の四つは江戸時代の建物で、仁王門とともに国の重要文化財に指定されている。額堂は一般に絵馬堂と呼ばれるものと同じで、飾られている大きな額には、江戸から船で運ばれてきたものも多いようだ。
このほか、境内には成田山を再発見できる資料館・霊光館や、関東屈指の名園といわれる日本庭園など、見どころが多い。
創業記念菓『伝承 栗羊羹』。「栗がたっぷり」がウリ。
滲み出た砂糖が表面をおおい、期せずして美しい文様を作る『昔羊羹』。
再び参道へ――。目につくお土産は、とうがらしの風味がきいた白うりの醤油漬「鉄砲漬」や印旛沼産のうなぎの蒲焼、小魚などの佃煮、江戸時代から作られている家伝薬などなど。しかし成田山の土産の筆頭といえば、「米屋の栗羊羹」である。
米屋が成田山の参道で初めて羊羹を売り出したのは明治32年だった。今年100周年。羊羹も売れたが、屋号も売れた。「米屋の羊羹」は関東・東北あたりの人ならたいてい知っている。
今、米屋社長は3代目の諸岡孝昭さん。まだまだお元気な会長・諸岡謙一さんのもと、邦彦さん、靖彦さんという二人の弟さんとともに暖簾を守っている。
100年売り続けてきた羊羹、見た目には変わらないが、味に流行はあるのだろうか。
「世の中がソフト志向ですから、それに合わせて多少甘さを控えているという傾向はあるんです。ただ、一方では、しっかりと甘みのある羊羹を懐かしむ声もある。そこで『昔羊羹』という名前で、砂糖が粉をふいて表面を白くおおっている昔ながらの羊羹を出しましたところ、評判がいいんです」
創業100周年を祝って、今年は創業記念菓『伝承 栗羊羹』も販売している。栗が通常商品の1・5倍も入っており、どこを切っても栗が顔を出す。今年限りの限定商品なだけに、こちらも大変な人気だ。
「最近、和菓子は健康にいい食べ物として見直されてきているんですが、羊羹も良質のタンパク質である小豆と、整腸作用のある寒天、エネルギー源の砂糖でできている健康食なんです。ほどほどの量を召し上がっていただけば体にもよく、心もなごむ。それが和菓子の素晴らしさなのだと思います」
米屋の羊羹は、初代が新勝寺の精進料理の中にあった「栗羹」にヒントを得て考案したのだという。となると、社長の羊羹健康食論もなかなか奥の深い話になる。
新勝寺の精進料理。右上の皿に載っている茶色のものが『大浦ごぼう』の甘煮。千年にもわたる歴史を持つ野菜だが、現在では新勝寺の精進料理でしか味わえない。お護摩祈祷にあたり3万円以上の初穂料を献じた人に供される。それ以下の初穂料の場合は別途料金が必要。
もっとも、現在の新勝寺の精進料理に「栗羹」はない。
「今は参道で栗羊羹がたくさん売られてますから、精進料理からははずしてあるんです」
と、こちらは新勝寺のお坊さんのお話。寺と町が持ちつ持たれつの共存共栄。この寺の精進料理の量が控えめなのも、参道の食堂の仕事を奪わないためだ。
しかし、栗羹もご飯もつかない代わりに、ここの精進料理には大浦ごぼうという呼びものがある。
大浦ごぼうとは成田市の東南にある八日市場市の大浦というところで作られる巨大なごぼうで、大きなものは長さ1メートル、直径も20センチから30センチにもなるという。今では新勝寺の精進料理だけにしか使われず、生産されたものは全部そっくりお寺に納められてしまう。手をかけて調理をした甘煮は缶詰にして保存されるため年中食膳に供される。口当たりはさくさくと軽く、甘い。
*
大浦ごぼうはお寺だけで食べさせ、ご飯や土産は参道の店に任せる。成田のお寺と門前町は、お互いにそれで成り立ってきた。米屋の諸岡家なども菓子屋としてはまだ3代目だが、もともとは成田の名主を務めた古い家柄で、成田山との関わりは非常に深い。
町はお寺のお世話になり、お寺も町の人々に支えられている。成田に1日いると、しっとりとした町のムードが、そこから生まれているらしいことがわかってくる。
成田市上町500番地 TEL:0476 ( 22 ) 1211
米屋本店。新勝寺の表参道に面して堂々とした店構え。 |
||
不動の大井戸。本店の中を通り抜けたところにある工場脇に造られている。水は持ち帰り自由。 |
|