ホーム > 特集『あじわい』の50年 ①『あじわい』は創刊50年、通巻200号を迎えました。 No.200
『あじわい』は昭和43年(1968)に創刊いたしました。
和菓子のおいしさと楽しさ、さらに日本の文化の豊かさを四季折々にお伝えして、本号でちょうど200号。
昭和から平成へ、そして次の時代へ―――。
これからも和菓子の様々な魅力をお伝えしていきます。
昭和25年 (1950) |
8月、「全国銘産菓子工業協同組合」設立。11月、日本橋三越で「全国銘菓復興展示即売会」開催 |
昭和27年 (1952) |
砂糖、雑穀類の全面的統制解除 |
昭和39年 (1964) |
組合機関紙『全国銘菓』創刊 |
昭和43年 (1968) |
『全国銘菓』を廃刊とし、広報誌『あじわい』を創刊 |
平成11年 (1999) |
124号から『あじわい』をリニューアル。表紙は安西水丸さんのイラスト |
平成22年 (2010) |
「全国銘菓」創立60周年。献菓祭、記念式典を京都上賀茂神社で開催 |
平成27年 (2015) |
表紙イラストが安西水丸さんから唐仁原多里さんにバトンタッチ |
平成30年 (2018) |
4月、『あじわい』創刊50周年・通巻200号発刊 |
『あじわい』は全国銘菓組合の広報誌として昭和43年(1968)に創刊しました。組合では、その4年ほど前から組合員のための機関紙『月刊 全国銘菓』を出していたのですが、これをお客様にも楽しんでいただけるPR誌にしようという気運が高まったのです。
時はまさに日本がGDP世界第2位の国となった年。街は大型景気に沸いていましたが、一方で学園紛争が激化して、日本中にエネルギーが渦巻いているような時代でした。
この事業の指揮を執ったのは、赤坂青野の青野鑑次郎さんと麻布和泉家の長谷部信治さんでした。編集の実務は、プロ1名を嘱託として招き、3人の若いスタッフを雇い入れての4人態勢。そして、全国の会員がさまざまに協力の手を差しのべました。
まず、『あじわい』という題字は、冨士屋の喜多康誠さんのご紹介で、明治・大正・昭和の3代の天皇に侍従として仕えられた甘露寺受長氏に書いていただくことができました。菓子の広報誌にふさわしい優しく美しい字で、今見てもすごいものだと感動します。
さらに、誌面を飾る著名人、文化人による多彩なエッセイの寄稿者は、豊島屋の久保田雅彦さん、花園万頭の石川利一さん、村岡総本舗の村岡安廣さん、うさぎやの谷口紹太郎さん、龜屋の山負テ彦さん、山陰堂の竹原哲史さんなど多くの会員のご紹介で叶いました。 これは会員の皆さんのお付き合いの広さによるところ大でした。また、当時は和菓子の地位が高く、ご寄稿やインタビューを依頼しますと、名士の方々も喜んで了解してくれたという社会背景もありました。
そもそも「和」菓子と呼ぶようになったのは洋菓子が街にあふれるようになってからで、それまでは「菓子」と言えば和菓子でした。和菓子は日本の文化のシンボルであり、和菓子屋の組合がつくる広報誌に貢献しようという気概を皆さんお持ちだったように思います。
さて、もう一つ、会員の協力無くしては生まれなかったのが「のれん繁昌記」と題したインタビューでした。菓子屋の主人が、ほかの菓子屋の主人に話を聞くのですから、おもしろくないわけがありません。お店の歴史をうかがい苦労話に感銘を受けたり、経営哲学にうならされたり、と本当に勉強になりました。連載を重ねて28年間も続きました。
『あじわい』は、まさに菓子屋がつくっていった手づくりの広報誌でした。
水原正一朗(清月堂本店会長)
「あじわい新春の集い」講演より
(2018年1月)