菓子街道を歩く

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山口 山陰堂 “西の京”に求肥の名菓

龍福寺。大内氏ゆかりの寺。家紋の「大内菱」を染め抜いた幕がかかる山門をくぐると、檜皮葺きの大屋根をのせた美しい本堂が現れる。国の重要文化財。


「西の京」山口

 山口県の県庁所在地、山口市。瀬戸内の海沿いにある印象の強い街だが、中心市街地は内陸の静かな盆地に広がっている。山陽新幹線の新山口駅からなら在来線で北へ7駅。春・秋にはSLやまぐち号も停まる山口駅が最寄り駅だ。
 しかし、瀬戸内海と日本海を結ぶ重要な街道の中間にあるこの地は、古くからずっと西日本の要所となってきた。
 例えば、室町時代には西国随一の大名・大内氏が本拠を置いた。明との交易で築いた莫大な富は、「西の京」と称されるほど雅な文化をこの地にもたらした。山口の総鎮守、今八幡宮。大内氏の館跡に建つ龍福寺。雪舟作の名庭で名高い常栄寺。そして国宝の瑠璃光寺五重塔。今も街のそこここに大内文化の香りがあふれている。
 江戸時代には、長州藩士が闊歩した。幕末の志士たちも行き交った道は、今も山口一の商店街。店の奥に見える豪壮な蔵や堂々とした屋根瓦に街の豊かさが見えてくる。
 なかでも、ひときわ風格のある店が「山陰堂」。この店の「名菓 舌鼓」は、全国に知られる求肥餅の逸品だ。
 7代目当主の竹原雅郎さんを訪ねて、お話を伺った。

「山陰堂」7代目当主、竹原雅郎さん
「山陰堂」7代目当主、竹原雅郎さん。昭和40年(1965)生まれ。趣味は、自然を感じながらの毎日の散歩。

山陽にあって「山陰堂」

——明治の創業だそうですね。
竹原「津和野で士族をしていた竹原彌太郎が、明治16年(1883)にここに菓子屋を開いたのが始まりです。
 竹原家のルーツは現在の広島県竹原市にあるのですが、毛利との戦で追われ、苗字も変えて鳥取の亀井氏に身を寄せました。江戸時代に入り、亀井氏が津和野藩主になると津和野へ随行。そして、武士の世が終わり、商人の道を選んだと伝わっています」

——そこで津和野より賑やかな山口へ出てこられた。
「はい。その折に、苗字も元の“竹原”に戻したそうです。山陰堂といううちの店名には長い間、お世話になった山陰・津和野の地への感謝が込められているように思います」

——「山陰堂」という店名の謎が解けました。それにしても、なぜ菓子屋に?
「初代は幕末、医者になりたいと大坂の適塾をめざして家出をしたという逸話もある人で、時勢を見る目があったようです。母親と妻が茶道をたしなみ、菓子作りの心得がありましたので、繁華な山口でなら商売として成り立つと考えたのでしょう」

名菓「舌鼓」

——そして、「名菓 舌鼓」が誕生しました。
「140年間、作り続けています。白餡を求肥で包んだ単純な餅菓子ですが、なかなか難しい菓子なんです。
 求肥は、きれいに餡が包める軟らかさが必要ですが、軟らかすぎると垂れて座布団を敷いたようになってしまいます。そこで肝心になるのが材料のもち米です。県内産と滋賀県産を主軸に、全国を探しまわって求めます。良いと思っても、まず舌鼓を試作してから買い付けています」

——白餡も、なめらかな舌ざわりで味わいが上品です。
「白餡の大手亡豆は北海道産の中から選びに選んでいます。
 丁寧に炊いた餡と、軟らかな求肥が一体になるように。そのバランスが、舌鼓という菓子の命です」

——味にも姿かたちにも気品があります。
「ありがとうございます。完成された菓子ですから、私たちは日々懸命に作るだけです」

名菓 舌鼓
「名菓 舌鼓」。山陰堂の代表銘菓。
山口出身の総理大臣・寺内正毅が愛し、「これほどの菓子なら、菓銘に“名菓”の文字を加えよ」と命じたというエピソードが残る。


代替わりのタイミング

——竹原家が代々伝えて来られたのですね。
「祖父の竹原二郎が4代目で、その次男の哲史が5代目、五男の文男が6代目を継ぎました。私は文男の息子です」

——竹原さんは跡継ぎとして育ったのですか?
「いえ、親戚のなかの誰かが継ぐだろう、くらいに思っていました。大学で広島に出て、卒業後もそのまま広島で就職しました。日本マクドナルドのフランチャイズです。
 仕事は性に合っていて面白くて、やがて出店計画にも携わるようになり、事業所のトップになり、複数店を統括するようになっていきました。結婚して子どもも生まれて、毎日が充実していましたね。
 一方、山陰堂は叔父と父ががんばっていましたが、いつしか経営に陰りを感じるようになっていきました。父は何も言わないのですが、親子ですからね、伝わります。山口を出てから14年目、32歳の時に帰ろうと決めました」

——すぐに営業や経営に加わられたのですか?
「いいえ、それから数年間は工場であんこ作り、菓子作りです。店の経営は少し離れたところから見守っていました。
 転機は、事務所の机に積み上がった郵便物の中に、業者さんの請求書が埋もれているのを見つけたことです。父の老いが進んでいる。愕然として、その日、私が継ぐ、と伝えました。正式な社長就任は、平成23年(2011)です」

真面目に一所懸命

——舌鼓以外のお菓子もご紹介ください。
「まずは、『亀乃居』。香ばしい皮と、ほどよく小豆の粒を感じる餡が自慢です。そして、お茶菓子として地元のお客様に評判がいいのが『柑太鼓』。桜餅などの季節の餅菓子のほか、お茶席の菓子も毎日5種類ほど作っています。
 さらに、羊羹やカステラも古くから作り続けている定番商品です。『いつもの山陰堂の……』と言っていただくと、やめられなくて(笑)。
 店は、本店のほかに市内を中心に6店舗。この夏には、新山口駅構内の店がリニューアルオープンしました」

——観光のお客様のファンも、ますます増えますね。
「でも、変化は小さく。店の安定を願っているだけです」

——変化は小さく?
「この仕事はルーティンだけでも真面目に一所懸命やればそれなりに大変です。お客様に喜んでいただけるように。それだけを考えて、毎日仕事に励んでいます」(了)

「亀乃居」。山口に伝わる大亀の伝説をモチーフにした最中。香ばしい最中種とあっさりした餡が評判。

店の奥が工場。「名菓 舌鼓」をはじめカステラや饅頭、羊羹、生菓子などが、ここから生まれる。

「柑太鼓」。夏柑入りの洋風の餡と香ばしい皮が特長の焼菓子。

堂々とした佇たたずまいの山陰堂。店内も、銘菓を並べたショーウィンドウが高い天井の下に悠々と延びている。

山陰堂

山口県山口市中市町6−15
TEL:083(923)3110
https://setouchifinder.com/ja/detail/25285/

山陰堂

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ぜひ、おいしくて心にしみる「菓子街道」の旅をお楽しみください。