菓子街道を歩く

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小布施 竹風堂 国産栗100%で創る栗菓子

岩松院の本堂大間の天井に描かれた葛飾北斎筆『八方睨み鳳凰図』。北斎が88歳から89歳にかけて描いたとされる大作。美しい極彩色が、今もそのままに。©岩松院


北斎と栗の町

 長野から長野鉄道で30分余。小布施駅に電車が停まると、乗客がどっと降りていく。小布施町は人口1万1千人ほどの小さな町だが、その百倍を超える観光客が1年間に訪れるのだという。お目当ては、北斎と小布施栗だ。
 江戸の浮世絵師・葛飾北斎は、83歳から4度、小布施を訪れ、小布施の豪商の庇護のもと多くの肉筆画を描いた。町なかの「北斎館」に展示された2基の祭屋台の天井絵や、名刹「岩松院」本堂の大間まに描かれた鳳凰図は、鮮やかな色もそのままに、最晩年の北斎の圧倒的な才能と気迫を今に伝えるものだ。
 一方の小布施栗も、六百年の歴史を有する。幕府への献上品ともなった上質の栗は、町内に何軒もある菓子屋が腕を競うようにして最上級の菓子へと磨き上げてきた。新栗が実る秋ともなれば、菓子屋の前はどこも行列必至だ。
 その一軒が、竹風堂。朝8時に開店する本店に、4代目の竹村利器さんを訪ねた。

「竹風堂」4代目当主、竹村利器さん
「竹風堂」4代目当主、竹村利器さん。1956年生まれ。1男3女の父。長男は事務方として、三女は飲食部で活躍中。

製造卸からの転換

——1893年(明治26年)の創業だそうですね。
「曽祖父が初代で、2代目の祖父までは栗菓子の製造卸をしていました。その卸売りをやめ、自分の店を構えたのが3代目の父です。
 きっかけは、とある勉強会で講師の先生からお客様が誰か、わかって商売をしていますか?≠ニ問われたことだったそうです。お客様は問屋さん、そう思って父たちは仕事をしてきたわけですが、考えを進めるうちに、自分の作った菓子を食べてくださる人こそがお客様なのだと気づかされた。そして、それなら直売をしなければ、と」

——店を出された。
「いやいや。当時は元手もなければ銀行の信用もありませんので、店ができたのは、それから10年後の1970年(昭和45年)のことです」

——強い信念ですね。
「店には母が立ちました。話好きですので、お客様と会話をするうちに遠くからのお客様も多いことに気づきます。そこでお父さん、甘味喫茶をやったらどう?≠ニ提案して、1年後に喫茶を始めました。さらにその翌年には食事へと発展し、栗おこわ定食を創製したところ、これが大ブレイクしました。
 食事中のお客様の後ろに、次のお客様が立って待つような状況でした。当時、高校生だった私でも、これはお客様に申し訳ないと思うほどの混雑ぶりです。そこで父が隣地を取得して、2階で飲食を楽しんでいただける店を建てました。それが今の本店です」

——栗おこわとは、よく思いついたものですね。
「製造卸をしていた時代からの技術や経験の蓄積がありますから、栗のあつかいはお手の物ですよ」

栗粒あんのどら焼き「どら焼山」。

大人気の「栗おこわ」。

使う栗は、すべて「国産」

「その栗ですが、竹風堂では昔も今も国産栗だけを使っています。50%強が小布施栗。台風などのリスクも考えて、残りは茨城や愛媛の契約農家などから仕入れています。
 9月上旬、栗が実ると、そこから50日間、自社工場で1年分の栗を仕込んでいきます。用途によって糖度や煮かたを変えながら栗餡や蜜漬け栗に一次加工して貯蔵するんです。この自家仕込みこそが、うちのすべての菓子の土台です」

——輸入栗は全く使わない?
「はい、昔も今も輸入栗は使っていません。栗は硬い殻をかぶっているので忘れられがちですが、生鮮食品です。菓子はお客様の命や健康につながる食品ですから、私達の目が行き届く国産栗をすばやく加工し、その豊かな風味や色を最大限に引き出して美味しい菓子に仕立てるというのがうちの考え方です」

社会勉強は松山で

——竹村さんご自身のプロフィールもご紹介ください。
「中学までは地元で、高校は千葉にある全寮制の学校に行きました。4人部屋で寝起きし、食事も風呂も部屋単位。規律も上下関係も厳しい学校でしたが、今振り返ると良い思い出ばかりです。
 大学卒業後は一六本舗様にお世話になりました。多角経営をされている会社で揉まれてこいというのが父の思惑だったようですが、私にとっては青春を謳歌した3年間でした。いろいろな方に会わせていただき、学ばせていただいた。なにより、たくさん遊んだ貴重な時間でした(笑)」

——竹風堂に入社してからは、先代と二頭立てで経営を?
「当時の父と一緒に経営などとてもとても。私はもっぱら事務方で地味な仕事をしていました。就業規則を書き換えたり、全社員が参加する研修会を企画・運営したり」

——社員が働く環境を整える仕事ですね。
「企業の一番の目的は、縁あってこの会社に来てくれた従業員やその家族、関連会社の人たちが、より幸せになることだと思っていますから」

——先代との役割分担が見えてきました。

経営の教科書

——ところで、今イチオシの商品は何ですか?
「令和元年に発売した『どら焼山 小倉あん』です。それまでは栗菓子ばかりでしたが、菓子屋として『もう一歩、前へ』進むため、自家製小豆餡のどら焼きを作ろうと決断しました。最近は栗粒あんだけでなく、小倉あんのどら焼山も高く評価され始めて、嬉しい限りです。
 今後はさらに自家製の餡を使った菓子を充実させていきたいですし、りんごなど地場の食材と合わせた菓子も考えていきたい。今、竹風堂は、高い品質の菓子を作ることができる会社になってきましたから」

——この先も楽しみです。
「竹風堂の各店舗の日報にはお客様からいただいた言葉を書き留める空欄があるのですが、毎日読んでいる、その言葉の一つひとつが私の経営の教科書です。次の世代とともに、さらに良い会社にしていきたいと思っています」

創業時からの干菓子「方寸」。

「華厳妙韻」。最高品質の栗ようかん。

本店敷地内にある「(公財)日本のあかり博物館」。国の重要有形民俗文化財に指定された963点をはじめとする古い灯火具を展示。
https://nihonnoakari.or.jp

竹風堂

長野県上高井郡小布施町973
TEL:0120(079)210
https://chikufudo.com

竹風堂

*バックナンバーも、このサイトでご覧になれます。
ぜひ、おいしくて心にしみる「菓子街道」の旅をお楽しみください。