4年間続いた連載を閉じるにあたって、和菓子の未来を描いてみましょう。しかし、そもそも和菓子とは何でしょうか。和菓子の定義は……。
和菓子という言葉が定着するのは第二次世界大戦後であるともいわれますように、和菓子は新しい言葉です。ですから、和菓子の概念もあいまいなところがあります。和菓子の定義をするために、和菓子の要素を列挙してみましょう。
まず挙げなければいけないのは材料。和菓子の材料は、もち米や小豆などの穀類や豆類など在来の農産物や、寒天などの海産物、砂糖や果物など、だいたい江戸時代に使われていたものが基本です。したがって、明治時代以降に入ってきた乳製品やチョコレートは和菓子の材料の外、ということになります。用いられる香りは、よもぎや柚子、肉桂などは和ですが、バニラやココナッツは外でしょう。香りづけのワインやブランデーなども和の外です。
次に挙げるのは、発想の違いです。和菓子は四季の変化を基本として日本の花鳥風月をモチーフにします。あるいは祝儀、不祝儀の喜びと悼む心の表現が、デザインと銘に表現されます。
もう一つ和菓子の発想で大切なのは、招福攘災――幸福を招き寄せ、災いを攘う――の祈りです。洋菓子にその要素がないわけではありませんが、そこから菓子のデザインや味わいを考えるという発想は薄いでしょう。
また和菓子といえば、やはり焼きものの皿や鉢、漆器の食籠や縁高がふさわしいので、洋食器に盛ったのではうつりません。ナイフやスプーン、フォークもおかしい。やはり黒文字とか楊枝で頂戴するのではありませんか。和菓子のパートナーの日本茶も大切な要素です。
このように、和菓子の要素を因数分解してみますと、基本的な要素は、すべて江戸時代に備わっていたことがわかります。では、今もそのままでよろしいのかといえば明らかに違和感があります。洋菓子の主要な要素であるはずのチョコレートでもカステラやういろうに入っていますし、バターやクリーム入りの和菓子も少なくありません。いちご大福があらわれた時はビックリしましたが今は定着したように、洋風の農産物も和の材料になっています。ベーキングパウダーはもちろん、最近誕生したトレハロースなども和菓子の製造に欠かせなくなっています。和風カフェもあちこちにできていて、コーヒーはともかく和菓子と一緒にハーブティを好む人も少なくありません。
和菓子を因数分解してみて、明らかな和の要素をすべて備えている和菓子が今も中核となっていて、その伝統が続いているのは確かです。しかし、その周辺に、グレーゾーンというような新しい要素を加味した和菓子の世界が拡がってきているのです。
しかし、これは和菓子の歴史を振りかえれば、けっして異常なことではなくて、かつて中国から饅頭や羊羹が入ってきて日本化しています。戦国時代以降に西欧から卵を使った菓子が入って、カステラなどの南蛮菓子が和菓子の一角を占めるようになりました。つまり、外来的要素を柔軟に取り入れることで現在の和菓子が生まれたのですから、グレーゾーンこそ、これからの和菓子の生き残りのために、必要不可欠の部分なのかもしれません。
明治時代に和洋折衷料理が始まった当時の料理書を見ますと、およそミスマッチとしか思えないような和洋の取合せが思いつく限り登場しました。しかし、そのほとんどは消滅して、カレーライスやトンカツ、オムライスなどの料理が定着したのです。その意味で、ミスマッチを恐れず、グレーゾーンに突入する勇気が必要かもしれません。
ただその時、定着した折衷料理がいずれもご飯を基本としていることを忘れてはなりません。つまり、折衷するときの基本は何か、です。
先の因数分解に立ち戻ってみますと、食材・デザイン・それを支える技術はもちろんですが、和菓子に最も基本的な要素は発想ではないかと、私には思えてきました。
菓子: | 鶴屋吉信 |
1943 年、東京生まれ。国立民族学博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授、静岡文化芸術大学学長。茶道史、料理文化史を中心に幅広く日本文化を研究。主な著書に『日本料理の歴史』(吉川弘文館)、『文化としてのマナー』(岩波書店)、『茶の湯の歴史―― 千利休まで』(朝日新聞社)、『小堀遠州茶友録』(中央公論新社)、『後水尾天皇』(中央公論新社)、『茶の湯日和』(里文出版)ほか多数。「和食」文化の保護・継承国民会議(平成25 年7 月に「日本食文化のユネスコ無形文化遺産化推進協議会」から名称改変)会長。