春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 冷しかりけり 道元禅師
曹洞宗の開祖である道元禅師は、移ろう季節も、そして人生もそのままを受け入れて生きていけばよいと説きました。和菓子も和食も、この目に見えない季節の移り変わりをどのように表現するかに古くから心 を砕いてきました。
私がまだ小学生の頃、家族旅行で北陸の窯元を訪ねたことがあります。両親が店主と話しながら器を選んでいる間、まだ器に興味のない私が店内をふらふらと見て回っていると、大きな器に目が止まりました。しばらく眺めていると父が近づいてきて、「これは煮物を盛る器で、雲錦模様といって桜と紅葉が描かれているから、春と秋の両方に使うこ とができるのだよ」と教えてくれました。
その鮮やかな色彩で描かれた器の美しさに見とれたと同時に、和食は季節によって器を使い分けることを初めて知りました。そして、何よりも「雲錦」という言葉が耳に残ったことを覚えています。後に、雲は桜、錦は紅葉を表していることを知りましたが、日本の文化では、直接的な表現を避け、歴史的事項や和歌などから季節を汲み出し、菓子名や料理名に落とし込むことが多くあります。
たとえば和食では、竜田揚げがあります。ご存じの通り、鶏肉を生姜醤油に漬け、片栗粉をまぶして揚げた料理です。醤油色を紅葉の色に見立て、さらに秋の神様である竜田姫の名前に由来しています。和菓子でも同様に、竜田と名のつくものは紅葉をあしらった秋の菓子銘に使われます。ちなみに和菓子の世界では、砂糖につくね芋などを混ぜて捏ね、形を作るか型で抜いた菓子を雲錦と呼びますが、こうした技の名前も風情があります。
和菓子と和食の共通する食の表現として、季節感が挙げられます。もちろん、海外でも季節はありますが、それを五感で感じられるよう表現するのが日本独自の食文化だと思います。例えば夏には寒天を使い、透明感のある水の流れを表現した和菓子があります。和食なら、ガラスの器にそうめんを流れるように盛りつけることで、涼しさを表現できます。
現代では、料理名でも直接的なものが増えている印象がありますが、吹き寄せ揚げ、みぞれ椀、時しぐれ雨煮など、風情のある名前が多く残っているのも事実です。料理名や菓子名から季節を感じ取り、耳で楽しむことも、食の一部であるといえます。言葉を大切にしてきた日本人ならではの、耳から感じる季節感を、これからも大切にしていきたいですね。
illustration by 小幡彩貴
菓子/「竜田」鶴屋𠮷信
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