菓子街道を歩く

ホーム > 菓子街道を歩くNo.126 徳島

徳島[河の滋味、海の香り]

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四国八十八か所第七番札所、十楽寺(土成町)。大師堂の参拝を終えたお遍路さんたち。
吉野川を前景に眉山を望む。ふもとは徳島市街。眉山は万葉集にも詠まれた名山。

「熱狂」が眠るおだやかな土地

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岡田製糖所(上板町)にて。和三盆糖製造工程の一つ、蜜抜き(押し)。精製前の砂糖を麻袋に入れ、てこの原理を用いて重しをし、蜜を絞る。

 飛行機が着陸しようとしたとき、初めて空から徳島を見た。
何本あるとも知れない川が蛇行し、枝をのばして、陸地を島のように分断している。正直、日本にもこういうところがあったのか、という驚きさえ感じた。
吉野川という大河が押し出した肥沃な洲上の土地に、水路をきらめかせて豊かな農地と市街が営まれている。
徳島市は、江戸時代まで阿波蜂須賀藩の城下町。藍の集散と人形浄瑠璃の盛んであった歴史を持ち、今は阿波おどりが全国に知られ、お遍路さんが市内五ヶ寺の霊場をめぐって通る町でもある。
非凡な土地柄だ。その非凡さには出合いたいが、秋の風が吹き始めた徳島を車で走っていると、非凡がそうやすやすと顔を見せてくれるわけはないということに思い至る。当然のことながら、町のどこにも夏の徳島のあの沸き立つようなパワー、阿波おどりの熱狂はけぶりにも見えない。
だが、私たちは、日常の徳島のおだやかな表情と向き合いながら、いつの間にかこの土地の見えない力のゾーンに入っていたようでもある。

腰を曲げて作る阿波和三盆糖

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原料の和三盆糖。

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銘菓「小男鹿」

 まず、徳島市の北側にある上板町へ阿波和三盆糖の製造元、岡田製糖所を訪ねた。立派な茅葺き屋根の母家を本瓦葺きの建物が取り囲む、広壮な岡田邸の一角が製糖工場である。
生業を営んでいるというよりも、これをやめてしまっては困る人がいるからと、自らを励まして旧家が砂糖作りを続けている、といったたたずまいだ。
吉野川北岸の丘陵地で栽培する細いサトウキビを絞り、昔からの技法で精製されるしっとり、じわじわと甘い三盆糖。盆の上で三度「研ぐ」ところから三盆糖の名が生まれたというが、八十歳を越えた岡田製糖所の職人さんは、その作業を長年続けてきたために、腰が仕事の姿勢に曲がってしまっている。
阿波の名産を守るこの砂糖作りのハードさは、どんと胸にこたえた。
道すがら立ち寄った四国八十八か所七番札所の十楽寺で、お遍路さんたちと風のようなあいさつを交わした。お地蔵さんに赤い頭巾とよだれかけを着せた人の名が、布ににじんで書き込まれているのも懐かしい。

土佐街道に和菓子の老舗二軒

 徳島の市街は、吉野川と眉山の間に、眉山を半月形に巻くような形で広がっている。
 眉山は、300メートル弱の尾根が3キロばかりも続く横に長い山。万葉集にうたわれた名山である。ロープウェイで上れる山頂は展望がよく、徳島に住み、この地で亡くなったポルトガル人モラエス(作家/明治二十二年に軍人として初来日、のちに神戸大阪駐在ポルトガル国領事も務めた)の記念館などもある。
ロープウェイの乗り場から、まっすぐ南へ1キロばかり下ると、二軒屋町という町になる。ここは徳島が城下町になったとき二軒屋といって、土佐街道沿いに設けられた町家が並ぶ町であった。
日の出楼、冨士屋という徳島の名だたる和菓子屋の老舗が、どちらもこの一角にあるのも、町の歴史からきているといえよう。
この二軒の和菓子屋さん、共通点がたくさんある。今のご当主は、日の出楼の松村啓さん、冨士屋の喜多義祐さんとも、創業から五代目にあたる働き盛り。しかも、二軒ともに明治時代に創案された銘菓を、店を代表する菓子として守り続けている。
金比羅神社の石段下に店を構える日の出楼の銘菓は「和布羊羮」。明治四十年代に、二代目松村作太郎と三代目清三郎が協力して作りだした。阿波名産のわかめを粉末にして白餡に加え、緑の色合いとほのかな磯の香りを見事に生かしている。
わかめは阿波の名産だから、わかめ羊羮の製法や名前を独占することはないと言って、三代目が登録をしなかったという美談も残っている。
日の出楼の松村さんは代々徳島人だが、冨士屋の喜多さんのご先祖は江戸の人で、明治維新後間もなく藩主蜂須賀茂韶公に従い、徳島に移った。喜多家十代目傳之助則貞が、茶人として覚えた茶菓子作りの経験をいかして、武士の商法で江戸餅という屋号の菓子屋を始めたが、二代目の冨士太が冨士屋に改めた。
冨士屋の銘菓「小男鹿」は、その二代目が明治十年前後に創案した。山芋、小豆、鶏卵、粳米などを用いた蒸し菓子で、甘味には阿波和三盆糖を用いている。牡鹿をイメージしたという菓子で、断面に点々と浮きでる小豆は鹿の子斑。茶席でも人気の高い、しっとりとした舌触りの風雅な菓子である。

最後の清流 勝浦川の河畔にて

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丈六寺観音堂(徳島市)。国の重文。慶安元年 ( 1648 ) の建物で、中に安置されている木造聖観音坐像も重文。

 喜多義祐さんに、二軒屋町から6キロばかり南に下った勝浦川沿いの丈六寺に案内していただいた。
徳島は寺の多い町だが、丈六寺は三門、本堂、観音堂と三つの重要文化財の建物を持ちつつ厳しい禅寺の風格を漂わせている点で、別格の趣があった。喜多さんがこの寺を愛するゆえんでもあるようだ。古建築を好む人ならずとも、ここの観音堂は訪ねて拝観する価値がある。
戒律厳しいお寺を出た私たちは、勝浦川沿いをやや下って、遊多賀屋という料理屋で松村啓さんと落ち合った。勝浦川の鮎をいただこうというのだから、さっそくの殺生である。
喜多さんも松村さんも、古いお菓子を守っているだけでなく、新しいお菓子をどんどん創作している人だ。徳島に対する情熱も意見も持っている。座が盛り上がってくると、なにやらそのあたりから、徳島の非凡さが顔を出しそうな気配がしてくるのだった。

冨士屋

徳島市南二軒屋町1-1-18 TEL:088(623)1118

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南二軒屋町にある冨士屋本店。

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ご主人の喜多義祐氏。