大崎八幡神社。平安時代に源義家が八幡宮を祭ったのが初めとされる。「大崎」は伊達氏以前、陸前一帯を治めていた支配者の名。社殿は慶長12年 ( 1607 ) 伊達政宗の建立で、国宝。
青葉城(仙台城)跡にある土井晩翆の銅像と「荒城の月」詩碑。
仙台は伊達政宗がつくった町である。だから仙台の名所といえば、政宗の城であった青葉城、政宗の墓がある瑞鳳殿。政宗の……。だが、それなら、政宗が守り神とした神社は? と聞かれてとっさに答えられる人は、仙台にも少ないのではないだろうか。大崎八幡神社である。
武の神様である大崎八幡は、伊達家の守護神。政宗が建てた社殿が今も残っていて、仙台市内唯一の国宝建造物になっている。板張りの外壁全体が黒漆塗りであるところへ、彩色された彫刻や金具がくっきりと映える、シックな美しさをもった建物だ。
毎年一月十四日、氏子たちが松明を手に裸で練り歩く大崎八幡の「どんと祭」は、冬の仙台の風物詩として知られている。
ここに連れていってくださったのが、白松がモナカ本舗の社長白松一郎さん。さすがに仙台通である。
昭和十六年生まれ、働き盛りの三代目は、しゃれを飛ばしながら、行くところ可ならざるはなしといった勢いの人だ。白松さんと歩きながら、政宗ってこんな人だったのかしら、と思ったりした。
名菓「白松がモナカ」
大崎八幡の前は天童へ抜ける旧街道で、仙台味噌の庄子屋醤油、造り酒屋の天賞酒造など、古い建物を残したまま営業している店がぽつぽつ残っている。ここも白松さんに案内していただいた。
道々、白松さんから、こんな昔の話を聞いた。
「荒城の月」の作者として有名な明治の詩人土井晩翆は、仙台に生まれ、仙台に住んでいたが、この人も、「白松がモナカ」が好きだった。
白松がモナカの創業者白松恒二は、それまで白松最中といっていた商品名を、「白松が最中」に変えようとしたとき、晩翆に相談した。
店に立ち寄った晩翆に、初代は「先生、どうでしょうか」と、白松と最中の間に「が」を入れる案を示した。
「どうかな、考えておく」
言っていったんは店を出ていった晩翆、すぐ引き返してきて、「そうしろ、そうしろ。君が代、とも言うし、おらが春とも言う。白松が、にしろ」と言ったという。「最中」が「モナカ」になったのはもっとあとだが、「が」という文字、まるで最中のあんこのようではないか。
仙台らしいもてなしをする「布沙子」の料理。銘酒「天賞」に添えて、かれいの干物、仙台味噌の田楽、小芋と豚肉の汁、おからなど素朴な肴が並ぶ。
白松さんによれば、最中のおいしさは、あんこと皮のハーモニーではあるが、やはり決め手はあんこだという。
昔は生菓子の売れ残りを練り直して最中のあんこに用いていたような時代があった。その後、どの店も最中専用のあんこを工夫するようになって、最中がおいしくなった。 白松がモナカにも、中のあんこには、大納言、大福豆、栗、胡麻とあるが、なんといっても特色をなしているのが胡麻あんである。白松さん自身、「売り上げは胡麻が四割」といっていた。この胡麻だけでできているように見える胡麻あん、じつは小豆の割合のほうが多い。味には秘密があるということだ。「布沙子」という店で、仙台の家庭風の肴をいただきながらうかがった話である。
名菓「九重」
午後、九重本舗玉澤に近江嘉彦社長を訪ねると、ここでまた、伊達政宗とはこういう人だったのではないか、と思ってしまった。
昭和二十二年生まれと若い近江さん、落ち着いて重厚な人である。仙台人の気質は?
とうかがってみると、「地味ですよ」なんておっしゃる。なにかこう、にじみ出てくるようなお人柄が、政宗的だという気がするのだ。
結局、白松さんと近江さんの雰囲気の、両方をあわせもっていたのが、政宗だったのかもしれない。
それはともかく、九重本舗は、延宝三年創業という、気の遠くなるような老舗である。延宝三年といえば江戸も初期、仙台ではあの伊達騒動が片づいたばかりであった。近江嘉彦さんは十三代目。
ただし、名菓「九重」が生まれたのは明治である。明治天皇が仙台大演習に行幸された際、玉澤では先々代がまだ名前のない試作品を献上した。
菓子の名が九重になったのは、天皇が菓子の名前を尋ねられたとき、お付きの人が名前がないとも言えずとっさに「九重と申します」と答えてしまったことによる。玉澤にさっそく使いが飛び、「この菓子は必ず九重という名で売り出すように」と厳重に言い渡されたという。
青葉城跡の隅櫓。
九重というお菓子は、小さなあられのような粒を適量コップに入れ、お湯を注いで飲む。その際、必ず透明なコップで飲みたい。というのは、粒つぶの上からお湯を注いだとき、世にも美しい光景が見られるからだ。
この菓子の製法は、わかりやすくいえば、非常に細かいサイコロ形に切った餅に、水飴とゆず(ぶどう、ひき茶と合わせて三種)を溶かしたものを手作業でまぶし、球形の粒にする。つまり、それにお湯を注ぐと、まぶしたものと餅が分離し、軽い餅がどんどん水面に上がっていく。その動きが幻想的なのだ。
九重本舗でとくに感じたのは、九重をはじめ、非常に洗練されたお菓子が多いということであった。
「政宗は食にうるさかったらしいですよ。お茶が盛んな土地ですからね。菓子屋も多いし、競争はどこよりも激しいんじゃないですか」
と近江さん。
お菓子屋さんが競争してくれれば、お菓子を買って食べる仙台市民は幸せである。
夏は七夕、冬は光のページェントと、お祭り好きの仙台人には、お菓子もまた暮らしのにぎわいの一つなのだろう。
仙台市青葉区大町2-8-23 TEL:022 ( 222 ) 8940
晩翆通り店。市内に17店舗あるが、とくに本店を置かない |
ご主人の白松一郎氏 |
仙台市青葉区中央3-5-11 TEL:022 ( 227 ) 4111
南町通りにある本店。仙台駅からも近い |
ご主人の近江嘉彦氏 |