菓子街道を歩く

ホーム > 菓子街道を歩くNo.140 京都・洛東

京都 洛東[花らんまん月おぼろ]

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散策路の春

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哲学の道。哲学者西田幾多郎がこの道を散策して思索をしたことにちなんで名づけられた。桜並木でも有名。

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南禅寺の水路閣。南禅寺方丈の南側にある、琵琶湖疎水を通すために造られたレンガ造りの橋。南禅寺境内のなかで、異色の風景をみせている。

 京都は四季それぞれに風趣に富むが、春はまた格別だ。古い町並みに桜の花がよく似合い、清々しい鴨川の流れを渡って祇園町に入れば、「都をどりはヨーイヤサァ」の掛け声が、花見小路の奥から聞こえてきそうである。
 中心部から東西南北いずこにも見どころの多い京都の、今回は鴨川から東側、洛東と呼ばれる一帯を歩いてみる。 
この地域は、点在する有名な社寺をたどって、そぞろ歩きが楽しめる散策路で名高い。祇園を起点に、八坂神社から南へは、高台寺、二年坂、三年坂(産寧坂)を経て清水寺へ続く道があり、北は南禅寺に出て、琵琶湖疎水の流れに沿って銀閣寺に至る「哲学の道」がある。 
 市街地にも訪ねたい名所が数多くある。祇園町のすぐ南には栄西禅師が開いた京都最初の禅寺である建仁寺、北には法然入滅の寺・知恩院、平安神宮、黒谷の真如堂等々。平安神宮のある岡崎公園には、京都国立近代美術館や京都市美術館もある。

京都一有名なお菓子

イメージ金戒光明寺。黒谷の通称で親しまれている法然上人が開いた道場のひとつ。

 さて、洛東の名所には、古いお菓子屋さんも入る。菓子街道ということをいうなら、ローマの道のひそみにならい、日本のすべての菓子街道は京都に続く、といってもよいだろう。いつの時代も、菓子の洗練とは、京風を取り入れることであった。
 その京都でいちばん有名なお菓子といったら、まず八ツ橋であろう。なかでも代表格が、「聖護院八ツ橋」。和菓子など何一つ知らない田舎の高校生だった筆者が、修学旅行のとき、肉桂の香りの「聖護院八ツ橋」だけは知っていて、みやげに買ったのは、今にして思えば驚きである。
 聖護院八ツ橋総本店は、丸太町通の一本北の道を東大路通との交差点から、東へ少し入ったところにある。正面軒下に白い漆喰の虫籠窓が美しい、間口の広いどっしりした店構えだ。斜向いが聖護院という古い門跡寺院で、一帯の地名を聖護院という。店の前の道を真っ直ぐ東へ進めば、黒谷の通称で知られる金戒光明寺に突き当たる。五山送り火の大文字山がまのあたり。
 この店、創業が元禄2年(1689)と古く、しかも八ツ橋という商品だけで300年以上も続いてきたところがすごい。
 銘菓「聖護院八ツ橋」の「八ツ橋」は、琴の開祖八橋検校にちなんだものといわれる。八橋検校は、八橋が名前、検校は最高の官位のひとつ。貞亨2年 (1685)に没し、金戒光明寺に葬られたが、その遺徳を偲んで全国から参詣する人があとを絶たない。そこで、金戒光明寺への参道で売られるようになったのが、八ツ橋であるという。
 現在、八ツ橋は蒸した生地に餡を包んだ三角形の生八ツ橋(聖護院八ツ橋総本店では「聖」の商品名で販売)が主流である。だが、これは昭和35年以降のことで、それまでは反りのある短冊形の焼いた八ツ橋しかなかった。この形は、琴をかたどったものといわれている。
 生地は蒸し上げた米粉に桂皮末、砂糖を混ぜてこね合わせ、薄くのばしたものに、きな粉をふりかけて仕上げる。ただ、伝統の焼いた八ツ橋と生の「聖」では、まったく同じ生地を用いるわけではなく、多少材料の違いがあるようだ。
 聖護院八ツ橋総本店の現在の当主、鈴鹿且久さんは吉田神社の社家として67代続いた家系である。まったく京都というところは、どこにどんな身分の方がいるかわからない。眉目秀麗の鈴鹿社長はこう語る。
「京都のお菓子屋さんがお互いに競争をするなら、商品の質を落とさずに、お客様へのサービスをいかに向上させるかで競争したいですね」

聖護院八ツ橋総本店 

京都市左京区聖護院山王町6 

TEL:075(761)5151 

FAX:075(771)2114

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八ツ橋総本店。新築なった京都大学附属病院にほど近く、ひっそりとした通りに老舗の風格をみせる。

  
     
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聖。新鮮でおいしい生八ツ橋は、ちぎったときの伸びがよい。
  

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聖護院八ツ橋。主役は生八ツ橋に譲ったが、根強いファンをもつ硬派。