日本橋。現在の日本橋は明治44年(1911)に架けられたルネサンス式石橋。長さ49.1m、幅27.3m。欄干には麒麟(きりん)と獅子の青銅像が置かれ、洋灯が立っている
日本橋の歴史は、改めて述べるまでもないが、橋そのものは慶長8年(1603)、徳川家康が江戸の町づくりをするのと同時に架けられ、諸街道への起点とされた。今でも、橋の中心が一級国道の道路元標である。下を流れる日本橋川は、海と隅田川と江戸城とを結ぶ運河だった。橋の下手が魚河岸になり、越後屋(三越百貨店の前身)に代表される「衣」とともに、江戸人の「食」もここで供給されることになる。
今、東京の日本橋といえば、ふたとおりの意味に使われる。広くは、日本橋を渡る中央通りの両側、とくに東側に町名に「日本橋」を冠する町が多数あり、これを総称して日本橋という場合。小舟町、浜町、人形町、兜町、小伝馬町など、いずれも上に「日本橋」がつく。これは、戦前まであった日本橋区という行政区の名残であろう。
狭い意味の日本橋は、高島屋の南から三越の北まで、1キロ余りの中央通りとその界隈を指す。奥様方が、「ちょっと日本橋までお買い物に」というときには、ここである。日本橋は東京という都会のなかでも、最もおしゃれで都会的な街だ。
現在、日本橋では、大規模な再開発が行われている。江戸開府から400年。今回の菓子街道は、大きく変わろうとしている日本橋を歩く。
江戸時代の日本橋は、もちろん木製の橋。創架400年の今年、記念の式典が行われた。
まだ日本橋に魚河岸があった幕末のころ、井筒屋と称して河岸に屋台店を出し、きんつばを焼いていたのが、榮太樓總本鋪の初代、細田安兵衛である。きんつばは河岸で喜ばれ、評判だった。
その後、安兵衛は安政4年(1857)、日本橋南詰から少し西に入ったところに、自分の幼名榮太郎をもじって店名を榮太樓と改称し、1軒の店を開いた。その後、店は繁盛を続けるが、これが現在の榮太樓總本鋪の起こりである。
古い本によると、明治の初めまで、店先できんつばを焼く安兵衛夫妻の姿がよく見られたという。現在でも、榮太樓總本鋪の正面玄関には、創業当時の店の敷石が、一部分そのまま残されている。かつての店先は、その石を中心に2間四方ばかりの小さなものだったようだ。
榮太樓總本鋪の銘菓として知られる、あの丸い素敵な缶に入った「梅ぼ志飴」、浜名納豆から名づけたという「甘名納糖」など、いずれも初代の考案。2代目は貴族院議員をつとめ、現在4代目の細田安兵衛さんは会長職も譲り、肩書きをもたない総帥である。
「正直言って、うちは茶の湯のお菓子などは苦手ですよ。桜餅、柏餅、大福、どら焼き、きんつばなど庶民の菓子が、江戸の菓子というか、東京の菓子だと思います。そういうものを基本にして、親しみやすいお菓子を、というのが、私などの考えです」
日本橋で生まれた安兵衛さんは、この街で暮らす感覚がやはりよその住人とは違う。
「日本橋の上を高速道路が通ると聞いたとき、私なんか若かったから、ここらが未来都市になるような、そんな気がしましたよ。それと、このへんの人はね、お上のやることに反対するなんてことは、してはいけないものだと、はじめから思っていたんです」
しかし、さすがに今となっては、この悪名高い高速道路を取り払い、橋と掘割の情趣を取り戻すべく、具体策を検討しつつあるという。
榮太樓總本鋪は、昔から日本橋では女性が集まるサロンだったが、訪れた日も、1階の甘味喫茶・食堂は満員の盛況だった。
水天宮。毎月5日の縁日や戌(いぬ)の日には、安産や子どもの成長を願う参拝者でにぎわう。
広い意味での日本橋に属する各町は、それぞれなんらかの特色を持った町である。人形町はその最たるもの。かつてこの町は江戸っ子の粋な遊び場として栄え、芝居の中村座、市村座があり、明治以降は水天宮の門前町としてもにぎわった。
人形町通りと新大橋通りの交差点の、水天宮との対角に、三原堂本店がある。1階は和洋菓子の店・三原堂本店、2階はカフェ・ドルチェというしゃれた喫茶店。店名を掲げた大きな看板は、交差点のどこからでも見える。
三原堂本店は、明治10年、三原田宗元が蛎殻町に菓子屋を始めたのが起こりという。明治20年には現在地に移って開店した。
水天宮はもともと、久留米藩有馬家が藩邸内に建てた私社であった。それを有馬家では5のつく日だけ縁日として一般の参拝を許し、多くの参詣者を集めてきたのである。その後、水天宮は有馬家の手を離れたが、安産祈願を中心に、この神社の人気は今も衰えを知らない。
三原堂本店の創業者宗元は、はじめ、5の日以外に参拝に訪れる人のために、水天宮からお守り札を預かり、店先で分けていた。その後、宗元は水天宮に願い出てお守りの護符文字を型押しした銘菓「御守最中」を創案し、三原堂本店の看板商品として今日に至っている。
「人形町という町は、江戸の技を受け継ぐ老舗がある一方で、洋食屋さんなどハイカラな店も多い。そういう独特な情緒が見直され愛されて、今、人形町には、若い人もすごく増えてきています」と、三原堂本店の3代目、三原田敏さん。
「御守最中」のほかに、三原堂本店で人気の商品には「塩せんべい」などがある。洋菓子も戦前から手がけた。もちろん、地域の人に愛される季節のお菓子も作っている。ここも榮太樓總本鋪と同じく、町のお菓子屋さんという姿勢をベースに、銘菓を守っているのだ。
東京都中央区日本橋1―2―5 TEL 03(3271)7781 FAX03(3271)7824
榮太樓總本鋪。日本橋は目の前。 |
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![]() 名代 金鍔。刀の鍔の形を写して榮太樓總本鋪のきんつばは丸い。 |
![]() 梅ぼ志飴。少量の水飴を使うが、純粋に近い砂糖菓子。丸い缶は東京人の郷愁だ。 |
東京都中央区日本橋人形町1―14―10 TEL03(3666)3333 FAX03(3666)3349
三原堂本店。大きな看板はケヤキの一枚板。つい寄りたくなる。 |
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![]() 御守最中。北海道十勝産の小豆のみを使用した小倉餡がたっぷり入っている。 |
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![]() 塩せんべい。パリッとした歯ごたえの香ばしいお煎餅。あとをひく味わいだ。 |