菓子街道を歩く

ホーム > 菓子街道を歩くNo.142 松山

松山[城下町ハイカラ]

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振鷺閣と天守閣

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道後温泉本館。明治27年建築の木造3層建築で、屋上には4面に赤いガラスがはめこまれた振鷺閣という太鼓楼がある。現役の共同浴場だが、温泉施設としては初めて国の重要文化財に指定された。

 道後温泉で昼湯をつかった。国の重要文化財に指定されている道後温泉本館の熱めの湯をゆっくり楽しんだあと、2階で浴衣になり、軒の柳をゆらして入ってくる涼しい風にあたっていると、「極楽ぞなもし」である。折しも正午で、屋上にある振鷺閣の刻太鼓がドーンドーンと鳴った。
 道後温泉からは、歩いてすぐの子規記念博物館に寄り、東へ1キロほどの四国霊場51番札所石手寺に参詣するもよし、道後温泉駅から「坊っちゃん列車」に乗るもよし。「坊っちゃん列車」は、伊予鉄道が、漱石に「マッチ箱の様な汽車」と呼ばれた昔の車両を復元し、1時間に1本走らせている路面電車だ。もちろん一般の路面電車も頻繁に出ている。松山城へのぼるロープウェイへは、東警察署前が近い。
 松山城は、石垣に沿った坂道のアプローチが見事だ。美しい反りをもつ石垣は大きく、山上の平地に建つ天守閣は、天守閣というより、今も15万石の大守が暮らす城館の趣がある。春には、天守閣は八重桜に囲まれる。 
 城山に立つと、眼下にひろがる松山市街の向こうに、瀬戸内の海が見えた。

薄暮に舞う桜

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坊っちゃん列車。夏目漱石が松山に住んでいたころの伊予鉄道の車両を復元したもので、道後温泉と松山市駅間、古町間の2系統がある。

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松山城。慶長7年(1602)、加藤嘉明の手になる築城に始まり、松平定行によって整備された。創建時のまま残る門や櫓もあるが、天守閣は安政元年(1854)の再建。

 松山は古代から知られた湯の里、遍路道。近くは正岡子規を生み、夏目漱石とのゆかりで文学の故郷となった。だが、この土地の幸せは、豊臣秀吉の時代に、秀吉の側近加藤嘉明が拝領し、徳川の時代には親藩松平氏の治めるところとなって、民がいわば天領のような政治のもとに豊かに暮らしてきたことであろう。 
 そうした暮らしの伝統から、松山ならではの銘菓も生まれた。とりわけ全国にその名を知られた銘菓が、「一六タルト」と「薄墨羊羮」である。
 「薄墨羊羮」の中野本舗本店は、松山市随一の繁華街、大街道にある。「薄墨」とはなにか、中野英文社長(昭和24年生まれ)にうかがった。
「薄墨羊羮」の「薄墨」は次のような伝承からきている。天武天皇の皇后が道後に湯治に訪れた折、この地の名刹西方寺に祈願をしたところ病気が平癒したため、その礼に天皇から綸旨と桜の木を下賜された。その桜を薄墨桜と呼び、今も何代目かの桜が市内の西法寺で花を咲かせている。
 「薄墨桜の薄墨は桜の色ではないんです。天皇がくださる文書である綸旨は、薄い墨で書かれる決まりになっていて、その薄墨なんですね。桜は八重咲きといっていますが、実際には一重咲きの8弁花という珍しいものです」
 「薄墨羊羮」は、抹茶入りの小豆餡のなかに、白豆が散らしてあるが、これは薄暮に舞う花びらを表したものであるという。古代の松山にちなんだ、風雅な銘菓だ。
 中野本舗は、すでに江戸時代から菓子屋を営んでいたが、確実な資料が残っているのは明治7年、中野元三郎が現在地に開店してからである。
 「私は下戸で、甘いもの好き。薄墨羊羮は毎日食べていますから、微妙な味の違いでもわかります」
 4代目の英文さんは、「薄墨羊羮」の味を守る自信をのぞかせた。

モダン松山のシンボル

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萬翠荘。大正11年、久松(松平)定義が建てた洋風建築の別邸。現在は県立美術館分館・郷土美術館。裏手に、松山で漱石と子規が暮らした愚陀仏庵が再建されている。

 「一六タルト」の製造元一六本舗も、明治16年、大街道で創業した。創業者は玉置貞二郎・ムラ夫妻。とくに夫人の名があがるのは、店の基礎をつくるうえに、ムラさんの活躍が大きかったからである。3代目の現会長玉置一郎氏がスケールの大きな実業家で、「一六タルト」の名を全国に知らしめたうえに、レストラン、スーパーマーケット、カーディーラーと事業を拡大し、グループ企業をつくりあげた。現社長の玉置泰さん(昭和24年生まれ)に用意されていたのは、グループの総帥の椅子であった。
 「でも、今日は一六タルトの話だけにしましょう」と泰さん。
 松山のタルトは、一時長崎にいたことのある久松家初代、松山藩主松平定行公が、当地にもたらしたといわれている。ポルトガルにそっくりのお菓子があるというが、くわしいことはわかっていない。西洋のいずれかの菓子をヒントに、餡を用い、日本人が工夫した。大きな特色は、柚子入りの餡を使うところだ。
 一六本舗では、四国特産の生柚子を用い、餡と生地をしっくりなじませるために、製造後ひと晩ねかせてから食べやすい大きさにスライスする。「スライスは、昭和40年代の初めに一六が始めたんですが、タルトの隠れた革命だったんです。売り上げも伸びましたし、なにより食べやすくなりました」
 なるほど、食べる側も忘れている便利さである。
 タルトが、モダン松山のシンボルであることを玉置泰さんは充分に理解し、大切にしている。そのうえで、ポストモダン松山をどう構築するか、どうやら泰さんは日夜考えているようだ。

中野本舗

松山市大街道1-2-2 TEL:089(943)0438 FAX:098 (958)3939

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大街道のアーケード街にある、中野本舗本店。

  
     
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薄墨三笑
羊羮の上に加えられた透明なかんてんの層が、特異な味わいを生む。小豆、白ごま、黒ごまの3種類がある
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薄墨羊羮
抹茶の緑をふくんだ透明感のある色、深くてくどくない味は、羊羮の名作だ。

 

 

一六本舗

松山市東石井町166-1
TEL:089(957)0016
FAX:089(958)3791

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国道33号沿いにあるシンボル店舗「十六番館」

  
    
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一六タルト
カステラの生地に餡を塗り、手巻きで作る。柚子入りの餡に独特の味わいがある。
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しょうゆ餅
松山で古くから作られていた郷土菓子のひとつで、素朴な味と噛みごたえを楽しむ。