菓子街道を歩く

ホーム > 菓子街道を歩くNo.143 上田

上田[信濃路の歴史とモダン]

マップマップ

素顔の街

イメージ

雪の上田城。天正11年(1583)、真田昌幸が築いた。2度にわたる上田合戦のあと、昌幸、幸村が高野山に流され、徳川方の城となった。現在、江戸時代の3つの櫓が残っている。

 坂道になっている上田のメインストリートを上っていくと、左右に、おいしい信州そばやお焼きの店がありそうな町筋が何本も延びている。
 上田の町の印象は、明るく近代的で、戦後の町の雰囲気である。大都市と違って高い建物が少ないから、風通しがよくて、気持ちがいい。
 街には、「真田太平記」の作者・池波正太郎の名前が躍っていた。上田は、真田昌幸と、その子信之、幸村が活躍したことで知られる。だが、城跡や、北国街道沿いの柳町などに残っている昔の面影にも、真田十勇士がぬっと現れそうな色濃さはなかった。
 明治から昭和初期にかけて日本が生糸輸出に沸いた時代、上田は名だたる繭の産地として栄えた。養蚕によるこの地の隆盛は、上田紬の名に今もその余韻をとどめている。
 今、その時代も去り、町は淡々としているが、町の表情からだけでは本当の上田はわからない。なんといっても古代には信濃国分寺が置かれ、鎌倉時代には塩田平が守護の府となり、上田は常に信濃の心臓部だったのである。
 そうしたぶ厚い歴史から生まれてくる人の気質というものを、銘菓「みすゞ飴」で名高い飯島商店に飯島浩一社長(63歳)を訪ねて、改めて教えられた思いだった。

水飴・寒天・果物

イメージ

柳町。上田市内の北国街道沿いに残る古い町並み。北国街道は善光寺への参詣道でもあった。

 明治30年、東京で大水害があり、大量の米が水につかってしまうという事件があった。この食べられない米の再利用を考えついたのが、浩一さんの祖父飯島新三郎である。飯島家はもともと、柳町で雑穀商を営んでいたが、新三郎は進取の気性に富んだ人物で、東京にも広く人脈をもっていた。
 再利用とは、水につかった米の表面を削り取り、これを原料に水飴を作ることであった。明治37年頃、水飴作りに成功した新三郎は、初めはキャラメルの原料などとして卸していたが、やがて信州の果物と諏訪の寒天に目をつけ、これに水飴を加えて、ついに天然の素材のみによるゼリー菓子の傑作「みすゞ飴」を創製したのである。
 「みすゞ飴」の「みすず」は、信濃にかかる枕詞「みすずかる」から取られている。ネーミングもゆかしいこの短冊型のゼリー、あんず、もも、りんご、ぶどうなど使われる果物によって色さまざまだが、自然の味と香りがそのまま生かされ、水飴がきいているのか腰もある。「みすゞ飴」を包んでいるオブラートは、機械では包めず、すべて手作業でしているというのには驚いてしまった。
 飯島新三郎を継いだのが飯島春三。春三の長男、浩一さんは3代目である。

愛惜のジャム

イメージ

安楽寺の八角三重塔。国宝。鎌倉後期の建築で、わが国に現存する唯一の八角堂。

イメージ

石湯。天然の岩を湯船にした別所温泉の共同浴場のひとつ。別所温泉には4つの共同浴場がある。

 飯島商店は、上田の大通りの上り口にある。洋風の建物にウインドーからもれる灯りもシックで、立ち止まって覗いてみると、そこが「みすゞ飴」の店なのだ。
 店内には古時計のコレクションが飾られ、骨董品の照明器具がやわらかな光をふりまいている。社長にお目にかかった2階の部屋は、コンサートか舞踏会でも開けそうなホールになっていて、上田の町を歩いていては想像もつかない、別世界の感があった。ここにも壁に大きな古時計と、バルビゾン絵画。木造3階建ての建物の2階と3階をぶち抜いて造った部屋だという。
 京都の大学を卒業して帰ってきた浩一さんは、信州のあちらこちらと、果物を見てまわった。そして、昔からの果物が顧みられなくなっていくのを惜しみ、ジャム作りに打ち込むことになる。多いときには、60種以上ものジャムを作り、原料の確保に苦心し、転地栽培などにもさまざまな試みを繰り返してきた。
 飯島商店には常時10数種のジャムが置いてあるが、いずれも「みすゞ飴」と同じ、原料の果物がそのまま生かされたまじりっ気のない本物だ。 もの作りに妥協のない精神、開拓心、大正・昭和初期の趣味への憧れ。戦後育ちにもかかわらず、飯島浩一さんの心には、そういうものが脈々と流れている。別所温泉で浩一さんが経営している旅館・花屋にもそれがあった。

古刹のある温泉

イメージ

常楽寺の本堂。常楽寺は北向観音の本坊。鎌倉時代の天台教学の道場であった。

 別所温泉は、湯の宿に泊まりながら、鎌倉時代の古刹めぐりが楽しめるという、全国でも稀な特色をもつ温泉場だ。上田市街とは千曲川をはさんで南西側、6キロほど入った山あいにあり、上田交通別所線というのんびり電車で30分のところである。
 美しい庭のなかを渡り廊下がめぐる宿に泊まって、温泉につかり、名物といわれる松茸や鯉の料理を賞味した翌朝、北向観音、安楽寺の八角三重塔、常楽寺などを参詣した。渓流の両側に温泉旅館が点在し、川の南側に北向観音、北側にその他の古刹がある。
 北向観音の名は、本来は南面すべき寺が、北の善光寺に向けて建てられているところからきているようだ。参詣の人が絶えず、参道にもみやげもの屋がずらりと並んでいる。安楽寺の八角三重塔は、国宝の貫禄をみせて、杉林のなかに風韻を放っていた。八角形の塔は、わが国にこれ一つしかないという。安楽寺の東の常楽寺は、茅葺きの本堂が印象に残る寺である。
 これらの古寺はいずれも、温泉の東側に広がる塩田平に、鎌倉時代、北条氏が信濃国守護を置いた名残なのだ。
 別所線で上田に戻る途中、塩田平の縁を通る電車の窓からは、果物の菓子を訪ねた旅のせいか、たわわに実った柿やりんご園の赤い華やぎが、しきりに目に飛び込んでくるのであった。

飯島商店

長野県上田市中央1-1-21 TEL:0268(23)2150

イメージ   
     
イメージ
みすゞ飴
果実と寒天と砂糖と水飴だけで作られた、香り高いゼリー菓子。

イメージ

信州高原・四季のジャム
味と香りを生かすため、季節ごとに収穫した完熟果物で作られている。