菓子街道を歩く

ホーム > 菓子街道を歩くNo.144 長崎

長崎[路面電車ぶらぶら]

マップマップ

ランタン旅情

イメージ

大浦天主堂。元治元年(1875)、プチジャンらフランス人神父によって建てられ、フランス寺とも呼ばれた。現存する日本最古の天主堂。国宝。

 長崎空港からバスで市内に入ると、街に赤いランタンを見かけた。聞けば、旧正月を祝う祭り「ランタンフェスティバル」が行われているのだという。
 長崎駅でバスを降り、路面電車に乗りかえて、まず大浦天主堂に向かった。何度見てもやさしく美しいお堂の内外を眺め、立ち去りがたい気持ちでグラバー園へとまわる。
 洋館もいいが、ここの目あての一つは長崎港の眺望だ。一番上の旧三菱第2ドックハウス前まで登り、「鶴の港」の雅称をもつ長崎港を眼下に眺める。入り江が鶴の形なら、ここらは鶴のお尻あたりか。
 大浦天主堂を建てたのは、フランス人。グラバー園の旧主たちは、ほとんどがイギリス人。いずれも、安政6年(1859)の建物である。日本と縁の深いオランダ人たちは市中に住むことを許されなかったため、長崎に建物を残せなかった。オランダ坂にその名が残っているのはせめてもである。
 夜はランタンフェスティバルの中心会場の一つ、湊公園で「もってこーい」の掛け声で何度も引き返す龍踊りに興奮。新地中華街の路地を埋めつくす1万2千個のランタンは、息もつまるほど美しい。思えば、長崎は多くの中国人が住んだ町でもあった。

行燈と蝙蝠

イメージ

グラバー園。外人居留地だった場所に、旧グラバー邸を中心にして、旧リンガー邸、旧オルト邸など、市内各地にあった洋館を集めている。

 路面電車を思案橋で降り、右手の商店街を入って突き当たりの四辻に、カステラで名高い福砂屋がある。
 福砂屋は、軒先高く行燈を掲げ、2階の漆喰連子窓も豪快に、江戸期長崎の大店をしのばせる店構えだ。正面に垂らした「福砂屋」「カステラ」と大書した真っ白な2本の飾り暖簾が目に飛び込む。
 寛永元年(1624)に創業した福砂屋は、今年、創業380年を迎えた。当主は、16代目の殿村育生さん(昭和26年生まれ)である。殿村社長に福砂屋の歴史をうかがった。
 カステラの製法は、福砂屋が創業した頃、まだ長崎市中に住んでいたポルトガル人から学んだものと思われる。
カステラとは、ポルトガル語でスペインのカスティーリャ王国のことで、スペイン生まれの菓子がポルトガル人を通じて伝えられたらしい。ポルトガルに現在もある菓子では、パン・デ・ローがカステラに似ている。
 6代市良次のときに、引地町から現在の船大工町に移った。ここは丸山遊廓や唐人屋敷に近い、繁華の地である。
 明治に入り、12代清太郎が、福砂屋にエポックを画す。清太郎は卵白のみで作る「白菊」、卵黄だけの「黄菊」、粉を少なく、卵と砂糖の配合を多くした「五三焼」を工夫し、カステラの質の向上をはかった。「五三焼」だけは今も販売されている。
 毎年5月に行う、菓子に使う卵への感謝をこめた卵供養も、蝙蝠を商標とすることも、清太郎のときから始まった。
 福砂屋の屋号は、中国の福州の砂糖による商いにちなむものではないかともいわれているが、蝙蝠も中国ではよく「福」の意味に用いる。

手わざを命として

イメージイメージ

浦上天主堂。各地に流されていたカトリック信者が故郷長崎に戻り、33年の歳月をかけて大正3年に完成した東洋一の聖堂は、原爆で破壊された。現在の堂は昭和34年の再建。

 福砂屋のカステラの特色をうかがうと、殿村社長はただ一つ、「手わざ」をあげられた。手作りでしか生まれない味である。
 かつて福砂屋ではカステラを炭釜(引き釜)で焼いていた。丸い竃のような釜で、中に生地を入れ、下はもちろん、蓋の上にも炭をおいて、上下から焼く。さすがに今は電気釜に変わったが、それ以外の工程はほとんど昔のままだ。 まず卵の手割りに始まり、泡立ての方法も卵と他の材料とを一緒にミキサーで撹拌してしまうやり方(共立法)をせず、白身だけを十分に泡立てたあと、黄身とザラメ糖を加えて撹拌する別立法という手間のかかる方法をとる。これに、上白糖、水飴、小麦粉と順次加えて撹拌、入念に生地を仕上げてゆく。焼き上げたあとは、一昼夜熟成させるが、
これは甘みとコクをさらに引き出すためだ。
 熟練を要する「手わざ」を用いるうえに、福砂屋では、一人の職人が全工程を一貫してみる、というシステムをとっている。製品に問題があれば、すぐに本人がチェックできる仕組みだ。
 この話で、なぜ福砂屋のカステラが福砂屋だけの味をもっているかが、よくわかる。たかがお菓子とはいわせない、モノづくりの精神である。

さまざまな長崎

イメージ

野口彌太郎記念美術館。旧長崎英国領事館(重文)の建物の2階に、父の郷里を長崎にもち、長崎を愛した画家野口彌太郎の作品が展示されている。

 爆心地から浦上天主堂への道は、永遠に祈りの場所である。平和公園で、足もとの鉄骨の溶けた礎石が、一瞬に受刑者もろとも消え去った刑務所の房の跡と知って、胸に突き刺さるものがあった。 
 大浦海岸通りの野口彌太郎記念美術館では、長崎を愛した日本洋画を代表する画家の作品を懐かしみ、レンガ造りの美術館の建物のすばらしさにも目をみはった。旧長崎英国領事館だった建物である。 
 さらに、スペイン、ポルトガル、オランダ、フランスなど異国の香り。あちらこちらに、さまざまな長崎があった。 
 そして、どの「長崎」へでも、路面電車に乗ると、すぐに行ける。

福砂屋

長崎市船大工町3-1 TEL:095(821)2938

イメージ   
    
イメージ
カステラの底にザラメ糖が残っているのが特色。しっとりとして、馥郁とした味わいは、手作りの古法を守るところから生まれる。
 イメージ