菓子街道を歩く

ホーム > 菓子街道を歩くNo.147 京都・洛中

京都 洛中(其の一)・[おいしさは文化]

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京都御苑の周辺

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珍しく雪景色になった冬の御所。紫宸殿などがある京都御所内部や、大宮御所、仙洞御所は普段は非公開だが、事前申し込みをするか、4月と10月の特別公開期間に拝観することができる。(写真協力:土村清治)

 烏丸通に面した長い築地塀を見て、筆者などはその中が全部御所だと思っていた。実際には、築地塀の内部にはさらに築地塀に囲まれた、普段は非公開の御所があり、ほかの大部分の敷地は京都御苑として一般に開放されていることを知ったのは、何度も京都を訪ねてからである。
 今、開放されている緑の芝生と樹木の茂る部分は、かつては宮家や公家の屋敷が建ち並んでいたところだという。縦横に走る玉砂利を敷き詰めた道を歩いていると、京都市街にはこれほど広々としたスペースがほかにないことに、改めて気づかされる。
 その京都御苑から東へ門を出ると、梨木神社、盧山寺、同志社大学の創立者新島襄の旧邸などがある。染井の井戸の名水と萩の名所で知られる梨木神社、紫式部の住居跡として名高い盧山寺は、それぞれに趣の違う静けさにひたることのできる場所だ。

そばはお菓子だった?

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梨木神社(上京区染殿町)。三条実万・実美父子の業績を称えて建てられた神社。境内の染井の水は、京都3名水の一つ。

 京都御苑の南は普段の暮らしをする町々で、京都の素顔にふれる散歩が楽しめる。
 そんな町の一角に、今回の旅の目的の一軒があった。
 烏丸通に並行して一本東の車屋町通に、室町時代の寛正6年(1465)創業という、そば菓子とそばの老舗、本家尾張屋がある。見るからに古風な店構えだが、入りやすい町のおそば屋さんでもある。
 現在の当主は15代目の稲岡傳左衞門さん(59歳)。菓子とそばの両方を扱っていることを、稲岡さんはこう語る。
「おそばが禅僧の修行僧を通じて中国から入ってきたとき、町でそば作りを引き受けたのが、実は菓子屋なんです。粉を水でこねるというのが菓子屋の技術でしたし、そのための道具や材料も菓子屋には揃っていました。うちも、もともとは菓子屋ですが、そばもやるようになったんです。ただ、そば切りは江戸時代以降のものですから、初めはそばがきですね」
「すると、そばがきはお菓子だったんですか?」
「初めは、お菓子感覚だったかもしれませんね」
 江戸中後期になると、江戸を中心に麺になったそば、そば切りがどっと普及する。「うちがお菓子でもそば粉という素材にこだわったのは、これだけお菓子屋さんがある京都で、競合するよりは特色を出して、ということがあったんでしょう」
 この店の銘菓の双璧は「そば餅」と「そば板」。そばとともに540年を歩んできた本家尾張屋は、そばがヘルシーな食品として見直される現代を迎えて、脚光を浴びている。
 おもしろいのは、稲岡さんが香の老舗・松栄堂と共同で開発したそばのお香「傳」。
「今でいう、コラボレーションですわ」と、稲岡さんは、そばの可能性をどこまでも追求する構えだ。

今も、西陣

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首途八幡宮(上京区智恵光院通今出川上ル)。鞍馬山を抜け出した牛若丸(源義経)がここから旅立ったとされる。旅の守護神として参拝者が絶えない。

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晴明神社(上京区堀川通一条上ル)。平安時代の天文陰陽博士・安倍晴明を祀る神社で、本殿北寄りの晴明井の水は、悪病を癒す霊水であるといわれる。

 車屋町通から、西陣に移動した。西陣は地名ではなく、応仁の乱のとき、西軍の大将山名宗全がここに本陣を置いたことから起こった俗称である。その西陣がのちに京都織物産業の中心地になったことはよく知られていよう。
 西陣の地は、西に北野天満宮と上七軒の花街、北に大徳寺、東に表千家・裏千家の邸宅と、京の文化圏に囲まれた一帯である。おそらく西陣織の隆盛も、この文化圏と密接にかかわっていた。
 銘菓「京観世」でおなじみの老舗、鶴屋吉信の本店は、200メートル上手に山名宗全の屋敷跡、100メートル下手に西陣織会館があるという、西陣の表玄関にある。享和3年(1803)創業、現当主は7代目の稲田慎一郎さん(43歳)。
 「京都のお菓子は、宮中のお菓子、神社仏閣で盛る菓子、それにお茶の世界で用いる菓子といったものがあって、お菓子屋さんが互いに切磋琢磨するというか、競争しながら、文化と一体になってお菓子作りをしてきたということが基本にあると思います」
 京都のお菓子とは? という問いに、稲田さんはこう答えた。鶴屋吉信の銘菓「柚餅」の、小型のやさしい形と味わいなども、洗練された文化を背景に生まれてきたものとみてよいのだろう。
 鶴屋吉信の本店2階には、吹き抜けの庭を中心に、一角に茶室もあるゆったりとした「お休み処」と、カウンターで菓子職人が目の前で作る生菓子がいただける「菓遊茶屋」がある。日も射せば雪も降る坪庭が2階の床面と同じ高さにあるために、そこが2階であることを忘れてしまう。
「年をとったら肉よりも魚が食べたくなる、ある程度の方はそうなるでしょうが、これからは違うという気がします。今、スナック菓子を食べている若い人たちが、年をとってみんな和菓子を食べるようになるとは思えないんです。菓子屋はよい和菓子を作る一方で、和菓子に親しんでいただく努力も欠かせなくなってきていると思いますね」
 「ヨキモノを創る」が鶴屋吉信のモットーだというが、稲田さんの話をうががっていると、「ヨキモノ」の中には、日本人の「よき和菓子への趣味」も入りそうである。
 西陣の一角には、陰陽師ブームで話題の安倍晴明を祀る晴明神社や、源義経が牛若丸と呼ばれた少年時代、ここから金売り吉次とともに奥州へ旅立ったといわれる首途八幡宮がある。今年も、この界隈は若い旅人たちでいよいよにぎわいそうだ。

本家尾張屋

京都市中京区車屋町通二条下ル TEL 075(231)3446 FAX 075(221)6081

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   そば餅、そば板。上質の北海道産小豆で作った漉し餡を、そば粉たっぷりの上皮で包んで焼き上げたそば餅と、うすく伸ばしたそば生地を、甘さをおさえ、丹念に手焼きしたそば板。

鶴屋吉信

京都市上京区今出川通堀川西入ル TEL 075(441)0105 FAX 075(431)1234

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柚餅。求肥に青芽柚子の香りを込め、極上の阿波和三盆糖をまぶした風味豊かなつまみ菓子。
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福ハ内。赤杉桝の容器にお多福豆をかたどった桃山製(白餡の焼き菓子)の銘菓を盛り、年越しを祝う縁起菓子として喜ばれている。