菓子街道を歩く

ホーム > 菓子街道を歩くNo.149 名古屋(2)

名古屋(其の二)[新しくなる伝統]

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ネオポリス名古屋

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「愛・地球博(2005年日本国際博覧会/愛知万博)」の会場風景。3月25日から9月25日までの185日間、名古屋東部丘陵で開催。自然の叡知をテーマにした会場に、人々が集う。

 名古屋には、新しい建物や施設がどんどん生まれている。
 朝、ホテルから愛知県美術館に向かう途中、栄の交差点の角で見かけないものに出合った。宇宙船が少し傾いたような形の、大きな円盤状の屋根である。近づいて、下を覗きこんでみて驚いた。吹き抜けの地下にアンツーカ色をした路面が見え、しゃれた地下街を人が歩いている。
 平成14年にできた、オアシス21という立体公園である。地上にあるのは展望台を兼ねた「水の宇宙船・地球号」、地下街には30を超すショップがあるという。
 大都市の中心街に、こんな施設が新たにできる。東京では考えられないことだ。
 そのオアシス21に隣接した美術館のある建物、愛知芸術文化センターにも圧倒された。大きな吹き抜けスペースを内蔵する大建築は、鉄腕アトムでも飛んできそうである。
 名古屋の街ではまた、セントレア(中部国際空港)のうわさがしきりだった。展望風呂などが話題を呼んで、飛行機に乗らない人がどっと押しかけている。「愛・地球博」(9月25日まで)を成功させたのも、この名古屋を新しく変えているパワーなのだろう。

味は朦朧体(もうろうたい)

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徳川美術館。尾張徳川家の重宝、いわゆる「大名道具」を収蔵。徳川家康の遺品を中心に、国宝「源氏物語絵巻」をはじめ、国宝9件、重要文化財55件などが展示公開されている。隣接して、家康の蔵書を中心に収蔵する名古屋市博物館分館「蓬左文庫」がある。

 大都市が新しい活力を持つと、不思議にそこにある伝統的なものも注目される。徳川美術館もリニューアルされたが、お菓子もその一つだ。
 明治35年の『新小説』という雑誌の中に「名古屋見物」という戯文があり、こういう会話が出ている。
 「(解らず屋)薬を食はせられるは恐れます。(菓子屋)いや、小田原の外郎とは違ひます。こちらのは結構な菓子で、赤いのと白いのがあるのですよ。(書生)ハゝア、妙に歯ごたへのあるやうな、ないやうな。少し朦朧体じや。」
 この記事から、明治35年に「ういろう」はすでに名古屋の名物菓子だったことがわかる。「朦朧体」は当時の流行語だが、「ういろう」の味をいい得て妙だ。
 名古屋「ういろう」の代名詞といってもよい「青柳ういろう」の店、青柳総本家も明治に生まれた。
 青柳総本家は、代々名古屋で綿問屋を営む豪商であった後藤利兵衛が、菓子屋に転じ、「青柳」の屋号を尾張藩主徳川慶勝公から贈られて、明治12年(1879)に大須観音の門前で開業した。以来、「ういろう」の製法に力を注ぎ、淡泊で上品な風味を持つ「青柳ういろう」を完成したのである。

芸術家社長

 今、青柳総本家の社長は、昭和30年生まれの後藤敬さん。敬さんは、現在の青柳総本家をつくりあげたのは、先代社長の後藤敬一郎であるという。
 敬一郎は前衛写真家と菓子屋という二足のわらじをはいた珍しい人物だが、写真も余技程度では満足せず、家業にも力を注いだ。日本有数のシュールレアリスム系の写真家として名を残す一方、「青柳ういろう」をグレードアップしたのである。
 「正直、おやじはこわかったですよ。家族にさえ社長と呼ばせました。それだけ、自分に仕事への自覚を持たせようとしていたんでしょうね」
 敬一郎は芸術家としての感覚、人脈を家業にも応用した。名古屋テレビ塔の地下街にアールヌヴォー調の喫茶を開き、「青柳ういろう」の意匠を画家杉本健吉に依頼するなど、経営戦略は大胆にして緻密。棹もののういろうを食べやすい一口サイズにしたのも、敬一郎の時であった。
 「青柳ういろう」を全国版にする上では、昭和44年頃から流した「ポポポイのポイ」で始まるCMソングが、子どもたちに愛唱されたのが大きかった。
 今、偉大な5代目を継いだ敬さんは、「コーヒー1杯の値段といっていますけれども、もともと大衆菓子であったういろうの価格を抑えることに使命感のようなものを感じています」と言う。
 敬さんが創案したういろうのバリエーションに、「名古屋かるた」がある。若い層にも、食べやすさでアピールしようとするもので、これも大衆菓子の発想である。

熱田神宮とともに

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熱田神宮。三種の神器の一つ草薙神剣を祀り、皇室から伊勢神宮に次ぐ崇敬を受け、武家の帰依も厚かった神社。現在も、年間1千万人近い参詣者がある。

 名古屋の神社といえば、なんといっても真っ先に思い浮かぶのは、草薙神剣を祀る熱田神宮である。
 その熱田神宮の門前に、古風な店構えの「きよめ餅総本家」がある。
 天明5年(1785)頃、熱田神宮の西門近くに、参詣の人々がお茶を飲んで疲れを休め、参詣の身じたくなど整えるために、「きよめ茶屋」が設けられた。茶屋はいつしかなくなったが、これにちなんで売り出されたのが「きよめ餅」である。今では、熱田参りの名物として、なくてはならないお菓子になった。
 「きよめ餅」は、こし餡を求肥で包んだ、やわらかくて上品な味のお菓子である。
 現在の「きよめ餅総本家」社長は、4代目の新谷武彦さん(昭和22年生まれ)である。
 「うちに、古い熱田名物を復興した『藤団子』というお菓子があるんですが、静岡の宇津ノ谷峠というところにも、『十団子』というお菓子があるんだそうですね。音が同じで、混同される方もありますが、まったく別ものなんです」
 「藤団子」は、平安時代末期、熱田大宮司が藤原氏になった時、それを祝って作られたものだというから古い。それをさまざまな資料によって復元したのが今の「藤団子」だが、茶会などでとくに評判がよいという。
 いろいろうかがった話の中では、戦後の配給パンの流れで、この店が昭和39年頃まで「きよめパン」というパンを作っていた時代もあったというのに驚いた。今でも、熱田神宮で行われる結婚式などの需要に応じて、洋菓子も作っている。
 新谷武彦さんのお話をうかがっていると、熱田宮という大樹がありながら、これから、という創業者のような姿勢がみえて好ましかった。
 久しぶりに熱田宮の境内を歩いてみて、ふと「信長塀」という立て札が目についた。ここには、織田信長が寄進したという、漆喰で瓦を重ねていく式の築地塀がある。思えば、日本の歴史に冠たる信長の破壊と家康の建設は、いずれも愛知県人の仕事であった。

青柳総本家(大須直営店)

名古屋市中区大須2−18−50 TEL・FAX 052(231)0194

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    カエルまんじゅう。ふんわか可愛いカエルのお菓子、中味はおなじみ「こし餡」風味。柳に飛びつくカエルのマークにちなんで作られた焼き菓子。   名古屋かるた。手軽に開けやすい、かるたの形のういろうで、なめらかな舌ざわりと弾むような歯ごたえが楽しめる。

きよめ餅 総本家

名古屋市熱田区神宮3−7−21 TEL 052(681)6161 FAX 052(681)6160

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    きよめ餅。こし餡を求肥で包んだ、色、形ともにまことに清楚な餅菓子である。味は上品で、熱田宮参拝の土産にふさわしい。   藤団子。5色の蒸し砂糖菓子のリングを一つに束ねた菓子。藤の花の形に似せたとも伝えられ、形状のおもしろさとともに風情も豊か。