久しぶりに訪れた土佐日曜市。規模がまた大きくなっていて、帯屋町から追手筋へ通り抜けの、「ひろめ市場」なる屋根つきの常設市場までできていた。飲食店など60軒余りの店が入っているこの屋内市場は、中に広場があり、老若男女が盛大に飲み食いをしている。
追手筋には、延々とテントがけの露店が並ぶ。その数640店余り。野菜、果物、魚介類、花、お菓子、おもちゃ、骨董品と、なんでも売っている。「まっことうまい土佐紅」とある、ふかしたてのさつま芋があまりにうまそうだったので、買ってその場でかぶりついた。すると、店のおばさんが、「あと、こういうもんが食べたくなるきね」と言って、野沢菜の漬物をサービスしてくれた。感激!
この日曜市、始まりは元禄3年(1690)というから、おそろしく古い。最初は日の決まった定期市だったが、明治9年(1876)に市内数か所で火曜、木曜などと曜日で開かれる曜市に変わった。
なかでも本町の日曜市が盛んで、明治37年(1904)の電車開通で帯屋町に移り、次いで追手筋に移って現在に至っている。
追手筋を、日曜市のテントを後ろに西へ向かうと、追手門の上に天守閣がすっきりと見えるので有名な全国屈指の古城・高知城に突き当たる。山内氏16代の居城で、土佐人にとっても自慢の城だ。
坂本龍馬が土佐の外向けの顔であるとすれば、土佐の内部では藩主山内氏の存在感の方が今も大きいようだ。土佐は照るも曇るも明治まで、約270年間を山内氏のもとで暮らしてきたのである。
今年、NHKの大河ドラマに、初代藩主の山内一豊とその妻が登場するとあって、高知はおおいに盛り上がりそうだ。一豊が実際に土佐を治めたのは、わずか数年にすぎないが、それでも今日につながる高知を創建した人として人気がある。妻なしには語れないところも、一豊はいかにも土佐らしい君主というべきか。
ところで、今回の「菓子街道」で訪ねた高知の西川屋老舗は、創業以来藩主のご用達をしてきたお菓子屋さんであった。
副社長の池田聰博さん(48歳)と、夫人の紀子さんにお目にかかった。現社長池田再平さんが11代目、聰博さんが12代再平を継ぐことになる。お話をうかがうと、池田さんも大河ドラマに一役もらって出演してもいいのではないかと思えるくらいに、山内氏とゆかりの深い老舗であった。
西川屋老舗は、元禄初年(1688)、赤岡町に店を構えた西川屋才兵衛を初代としている。だが、それ以前、慶長年間から赤岡よりやや東の夜須出口というところで、素麺や麩を製造していた。土佐の白髪素麺として知られたものである。山内侯との関係も、一豊が入国してすぐに素麺や麩を納めたことから始まったらしい。
元禄以降については大量の記録文書類が伝えられていて、山内侯からの注文のしだいなどもつぶさに書き残されている。山内侯から、城下の松が鼻に敷地を賜るという話もあったが、当時の当主は恐れ多いとして辞退した。高知市知寄町に本店を移したのは、やっと第二次大戦後である。
店の歴史とともに古い銘菓ケンピは、初代才兵衛の頃から作られていたもので、今ではいわば土佐の文化財である。家業の素麺にヒントを得て、素麺と同じように小麦粉を練って薄くのばし、刻んだものを適当な長さに切り揃え、焼き釜で焼いた素朴な菓子だ。ケンピという変わった名称の起こりには諸説あるが、西川屋では、堅い干菓子の意味で、堅干と名づけられたとしている。
ケンピの1本目を口に入れた人は、だれもが「堅い」と言う。だが、それも最初だけで、案外に口溶けは速く、甘い旨いだけでない、言うにいわれぬ慈味にとらえられる。さすがに300年を生き抜いてきた味だ。
西川屋にはケンピのほかにも、古い歴史をもつ「梅不(うめぼ)し」、それに「土佐二十四万石」、「長尾鶏(おながどり)の玉子」などの銘菓がある。また、季節ごとの上生菓子、干菓子と、製品は多彩だ。
新しいお菓子もどんどん加えている。「龍馬のブーツ」という愉快な菓銘の、土佐ジロー鶏の卵を用いたサブレ、「四国カルスト高原さんぽ」なるチーズクリーム入りブッセ、くるみ漉し餡をパイ生地でくるんだ「花と恋して」など、いずれも聰博さんの発案と聞いた。
さらに機会到来で売り出されたのが、「一豊の妻」。土佐特産の小夏を加えた白餡を皮でくるんだ焼き菓子で、どこか女性を感じさせるやさしい味がする。
高知城の南の鏡川べりに、藩祖を祀る山内神社があり、その境内に土佐山内家宝物資料館がある。ここへ池田聰博さんご夫妻とご一緒した。
展示品のなかに、徳川代々の将軍から山内家に与えられた領地目録なるものがみられた。大名の領地というものは、将軍が代替わりするたびに、改めて与えられるものだったのである。
この一事だけでも、幕府に管理される藩主の気苦労が想像できる。その上で、領内を活性化し、領民の暮らしを守らなければならなかった。土佐の場合は、特色ある産業を起こし、独得の土佐人気質を育んで、多くの逸材を輩出したのだから、山内氏の経営は優秀だったのである。
折しも資料館では「藩主家の墓所展」が開かれていたが、ご夫妻は最近、山内家墓所の掃除に参加されたとのことで、「お墓の掃除をさせていただきながら、山内様あっての西川屋だったということをつくづく感じて、ありがたく思いました」としみじみと語った。聰博さんも山内土佐の残した人の遺産である。
その山内家墓所のある筆山が、資料館から、鏡川の対岸にこんもりと見えていた。
高知市知寄町1―7―2 TEL&FAX088(882)1734
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一豊の妻。白餡にジャムにした土佐特産の小夏を加え、ミルクたっぷりの皮でつつんだ焼菓子。やさしい味である。 | ケンピ。西川屋が300年の伝統を守り続けてきた土佐銘菓。素朴ななかにも、独得の滋味をたたえて、一度食べたら忘れられない。 |