四条大橋の上で南座の向かい側を見ると、5階建ての「井筒八ッ橋」祇園本店のビルがすぐ目に入る。井筒八ッ橋は京都銘菓八ッ橋の代表的な店の一つだ。建物の最上階は歌舞伎の劇場にある櫓のような造りになっていて、そこに「北座」と大書されている。
この北座というのは、明治26年までこのあたりにあった劇場の名前で、かつて南座の界隈には、大小の芝居小屋が7つも集まっていたという。
井筒八ッ橋は文化2年(1805)、北座の前で水茶屋を営んでいた「井筒」の暖簾分けを受けて、津田佐兵衞が創業した。水茶屋の井筒を描いた江戸時代の錦絵が残っているが、大きな店だ。代々佐兵衞を襲名して、現在は会長が6代目佐兵衛を継いでいる。
代表的な銘菓は創業以来製造する焼き菓子「井筒八ッ橋」だが、この店は粒餡入り生八ッ橋の元祖でもある。小倉餡入りの「夕霧」を発売したのは、昭和22年と早かった。
「夕霧」の菓名は名妓夕霧太夫からとり、皮の網目は『廓文章』で藤屋伊左衛門のかぶる深編笠をかたどったもの。歌舞伎界と交流の深かった5代目佐兵衛が、歌舞伎にちなむ菓子として考案した。
こういう話を、井筒八ッ橋の7代目社長・津田純一さん(昭和24年生まれ)からうかがった。
津田さんは、京都を訪れる人々にもっと京都を楽しんでほしいという。南座の12月の顔見世だけでなく、4月の都をどり、京をどりなど、京都にはよそでは見られない踊りの舞台がある。建都1200年祭を機に、「一見さんお断り」への誤解を解消すべく、京都に知人や親類をもたない人の代わりとなる「京都家族」なる試みも行ってきた。
かく京都の遊びを推奨する津田さん、風流人でありつつ、大学は農学部で、バイオテクノロジーを研究したというから意外である。現会長の佐兵衞さんも同じ京都大学の農学部で、2代にわたる農学士だ。
お菓子の原料選びにおいては、専門家である。お菓子製造で進む機械化についても、こう語った。
「コストダウンだけを目的とせず、品質を落とさないという条件でオートメ化していくというのが私の方針です。オートメ化する場合にはそれに合う原材料というものがあるんです。それを世界中から探していますよ」
良心ある科学者の言、といってよいだろう。
街をぶらぶら歩くのも、京都の楽しみの一つである。
御池通と四条通の間、東西を河原町通と烏丸通にはさまれた地域なども、三条通、寺町通、新京極、錦市場と、繁華な道筋をかかえる京都の中心街だが、一歩はずれると、街の中はいたって静かだ。日用品を売る小さな店がいたるところにあり、街が生活の匂いをもっている。
総本家河道屋も、この一角にある。河道屋といえば、「あの、芳香炉の」と、お蕎麦屋さんの方を思い浮かべられる人も多いかもしれない。どちらも同じ経営だが、蕎麦の店は晦庵河道屋、お菓子の店は総本家河道屋で、こちらは「蕎麦ほうる」という銘菓で有名だ。
二つの店は50メートルと離れていないところにある。晦庵も風雅な店だが、総本家も古風な京の商家のたたずまいをみせる造りだった。
店の歴史も古く、元禄の頃には上京で蕎麦屋を兼ねた菓子屋を営んでいたが、火災にあって現在地に移転した。現社長の植田貢太郎さん(昭和25年生まれ)が16代目に当たる。
河道屋のご先祖は、桓武天皇の平安遷都とともに移り住んだ生粋の京都人である。そうした縁もあって、毎年5月に比叡山で行われる桓武天皇御講には、代々の当主が登山して、現地で蕎麦を打ち、供養するならわしを守ってきた。
植田さんが、「うちのお菓子といっても、これしかありませんから」と苦笑されるのが、銘菓「蕎麦ほうる」である。
「ほうる」はよくある「ぼうろ」とついたお菓子と同じく、ポルトガル語などからきた言葉で、南蛮菓子の手法を取り入れたことを表している。
明治初期に河道屋の中興の祖・植田安兵衛が考案。小麦粉、蕎麦粉、砂糖、卵を材料に、形もシンプルなお菓子で、蕎麦の香りがきき、さっと口溶けする和製クッキーの傑作である。
総本家河道屋はこの「蕎麦ほうる」だけを守ってきた。植田さんも、蕎麦打ちの修業はしたが、菓子は「蕎麦ほうる」以外のことは知らないという。
「蕎麦菓子の路線で新しいお菓子を作りたい気持ちもありますし、試作もしています。ただ、新しいお菓子を作るなら、絶対によそにないものを一から作れ、というのが家訓なので、なかなか難しいですね」
と植田さんは語る。
京都で訪ねた2軒のお店の代表的な菓子で、気がついたことがある。肉桂の香りの「井筒八ッ橋」、そばの香りを生かした「蕎麦ほうる」と、いずれも香りを重視する菓子だったことだ。砂糖がふんだんに使えなかった時代、これらの菓子は香りだけを生命として生まれてきたのではないだろうか。
味や見た目もさることながら、香りを重んずる文化というものが、京都では強く受け継がれてきているような気がする。それがお菓子のなかにも生きているのだ。
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