日本一の名城をもつ町は、にぎわっていた。御幸通、小溝筋、西二階町など、いく筋もある繁華街には人出が多く、お城を中心に、なにやら雅な雰囲気がひろがっている。
鉄筋コンクリート再建の城を見慣れた目で姫路城を見ると、本物の城の凄味に驚く。外観も見事だが、巨大な柱や梁の使われた天守閣や、ぶ厚い板の床が延々と続く百間廊下などに立つと、さながら戦乱の時代の武将にでもなったような気持ちになる。
内濠の外側にある好古園という庭園がまた楽しい。しばしば時代劇のロケに使われるというだけあって、大小9つ、大名の生活ぶりを彷彿させる日本庭園である。
姫路の市街は戦災でほぼ全焼した。城が焼け残ったのも奇跡的だといわれる。戦後のなりふりかまわぬ復興の時期には、城が売りに出されて買い手がつかないというようなこともあったとか。だが、姫路城が世界文化遺産に登録されて15年、国際的に注目されていることもあって、姫路は息を吹き返しつつあるようだ。
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天守をはじめ、櫓や門など80棟以上が国宝、重文。城郭建築技術の粋を集めた名城だ | 城内には人形浄瑠璃『播州皿屋敷』に登場する「お菊井戸」など、物語の舞台となっている見どころも多い | |
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好古園。姫路城の西隣にある日本庭園。姫路城を借景に、9つの趣の異なる美しい庭園が次々に現れる | 姫路市立美術館。ルネ・マグレットやポール・デルヴォーなど近代ベルギー作家のコレクションが充実している | |
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書写山圓教寺。西の比叡山とも称されている天台宗の古刹。映画「ラストサムライ」のロケ地にもなった |
今回、姫路で訪ねたのは、銘菓「玉椿」で知られる老舗、伊勢屋本店である。現在は相談役の元社長山野昭一さん(昭和2年生まれ)と、社長の山野浩さん(昭和32年生まれ)にお話をうかがった。
「姫路城は毛利氏に対する抑えとして徳川家康が築かせた城です。ですから、戦争にそなえて、いろいろな仕掛けが施された城なんです。代々の藩主も、本多、松平、榊原といった普代の大名が続いたんですが、寛延2年(1749)から酒井家が入り、明治まで続きました。この酒井家が天保の頃になると、財政が苦しくなってきたんですね。そこで家老の河合寸翁という方が、たいへん苦労をされて建て直しをはかった。天保3年(1832)に、ときの藩主酒井忠学に、11代将軍徳川家斉の娘・喜代姫のお輿入れがあったのも、寸翁公がお膳立てした政略結婚。おかげで姫路藩は木綿の専売を認められ、窮状を脱したといわれています。
私のところは、元禄15年(1702)頃から伊勢屋新三郎が菓子屋を始めていますから古いんですが、当時の記録は失われていて詳しいことはわかりません。ただ、喜代姫お輿入れの際、京や江戸に負けない菓子を作れという寸翁公の命で、3代目新ヱ門が江戸へ派遣されたことは確かです。そして江戸から戻った3代目が献上したお菓子の
なかで、お眼鏡に適ったのが、 玉椿 。銘が先にあって、それをお題に作り上げたのかもしれません。ともあれ、これが藩の御用菓子に取り立てられたわけです」
昭一さんが語る「玉椿」誕生のいきさつ。「玉椿」は、薄紅色のやわらかな求肥餅で白小豆と卵の黄身を使った黄味餡を包んだ、実に上品なお菓子である。
先に、姫路の戦災と復興のことに触れたが、伊勢屋本店も、戦後の荒波を免れなかった。
「学校は彦根(現滋賀大)だったのですが、卒業したのが昭和23年。とにかく砂糖がなくて、菓子屋はどうにもならない時代。それでいろんなことをやりました。人工甘味料を使ってキャラメルを作り、全国に売ったりもしました。初めはよかったんですが、だんだん売れなくなってくる。今思えば、昭和27年頃、父親と相談して、こういうことはやめて、しっかりした和菓子を作ろうと決めたのが、よかったのでしょうね」
その後、昭一さんは風味、形、やわらかさなど、最高の品質を求めて菓子づくりに専念した。季節の生菓子とと
もに、「雨華最中」、「禅の心」、「栗名代」といった銘菓も次々に創案している。「雨華最中」は、2代藩主酒井忠以の弟で、有名な画家・酒井抱一の庵号雨華庵から名づけたものである。
現社長の山野浩さんは、大学卒業後、東京の和菓子屋で修業した。かつて伊勢屋の祖先は江戸で技術を学んだが、浩さんも京都ではなく東京体験を選んだわけである。
「玉椿は、始終つまんで食べてみることにしています。知らない間に品質が変わっている、ということのないように。一方で、お菓子も生き物ですから、時代の移り変わりのなかで、いつまでもまったく同じでいい、ということではないと思っています。伝統のある銘菓を変えるのは難しいですが、玉椿に白い皮のものを作って、紅白の引き出物に使っていただけるようにしたりと、工夫はしてきております」
職人としての経験を経ている浩さんは、時代の嗜好の変化にいかに対応してゆくかというところに心を砕いている。それが、父・昭一さんの築いた伊勢屋本店を発展させてゆく、大事なポイントと考えておられるようだ。
「和菓子そのものにも、新しい試みは必要だと考えています。塩味饅頭は製塩が盛んだった姫路ではどこでも作っていますが、最近うちで出した薯蕷塩味饅頭は、塩味を抑えて上質な素材の味を引き立たせるものとしました。品質と同時に、味の好みの変化、健康志向など、いろいろな点も考えなければならないのが、これからのお菓子づくりだと思っています」
今年は、4月18日から5月11日まで、第25回全国菓子大博覧会・兵庫「姫路菓子博2008」が開かれる。会場は姫路城の周辺一帯。姫路と姫路のお菓子をアピールする絶好のチャンスとなる。「玉椿」をはじめとする伊勢屋本店の銘菓が、さらに認知度を高めることは確実だが、山野浩社長にとっては、次の名物を考えるまたとない機会にもなりそうである。
姫路市西二階町 84 TEL.1079-288-5155
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玉椿 | ![]() |
薯蕷 塩味饅頭 |