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文翔館。大正5年に県庁舎および県会議事堂として建てられた2棟続きのレンガ造りの建築物。 昭和61年から10年の歳月をかけて復原され、今も山形市のシンボルとなっている。 国の重要文化財。 |
山形市は、北東の山寺(立石寺)、南東の蔵王、北西の月山、湯殿山と、三方から山岳信仰の聖地に囲まれている。そのせいか、戦災にあわず、大きな自然災害にもみまわれたことがないという。
市民は8月には花笠音頭の一大絵巻をくりひろげ、9月には馬見ヶ崎川の河原で芋煮会を楽しむ。今回の取材では、幸運にも華麗な花笠踊りを堪能できた。
十日町角から旧県庁前まで約2キロにわたって、合い間に山車をはさみながら延々と踊りの列が続く。踊り手は連を組み、年配のご婦人たちの正調もあれば、浴衣のおじさん連、ビジュアル系からバトン隊までいて、それぞれ踊り方に工夫がある。沿道をぎっしり埋めた見物客からも、「ヤッショー、マカショー」の声がかかる。踊りが佳境に入る頃には、花笠音頭の唄も哀調をおびて聞こえてきた。
馬見ヶ崎川河原での大芋煮会も、聞けば直径6メートルの大鍋に里芋3トン、牛肉1.2トン、コンニャク3500枚、ねぎ3500本を入れ、砂糖200キログラム、醤油700リットル、酒50升、水6トンを加えて煮るというのだから驚く。約3万食分、日本一の芋煮会と称するゆえんだ。
大きな楽しみのある町ほど、ふだんは不思議なくらい静かである。花笠まつりの翌日の山形市街も、祭りなどなかったような顔をしていた。
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最上義光騎馬像。 この地を治めた最上家11代城主(最盛期は57万石) の像が山形城跡「霞城公園」内に建つ。 写真背後は二の丸東大手門。 |
教育資料館。 明治34年に建てられた旧山形師範学校校舎。 国の重要文化財。 |
山形では、この町の基礎を築いた最上義光公が、今でも市民に断然人気がある。実際には、最上氏の支配は元和8年(1622)までと遠い昔のことなのだが、その後次々にやってきた徳川譜代の藩主は、いずれも短期政権で人気がなかった。
最上氏のあと、山形では殿様よりも紅花商人が主役となった。紅花は染物や口紅などに使われた高価な植物染料だが、山形はその一大集散地として栄えたのである。
今回は、その紅花の商いや出羽三山詣ででにぎわう江戸時代の山形に生まれた「乃し梅本舗 佐藤屋」を訪ねる旅であった。
初代佐藤松兵衛が菓子屋を創業、「乃し梅」を売り出したのは、文政4年(1821)のこと。以来、「乃し梅」は山形の誇る銘菓として広く全国に知られるようになり、佐藤屋は現在、7代目の佐藤松兵衛さん(昭和26年生まれ)が当主である。
「実は、乃し梅と紅花には関係があるんです。紅花から紅を作るときに、触媒として使われたのが梅の酸。そのため山形では梅の栽培が盛んでした。地元でたやすく材料が手に入るということから、乃し梅のような菓子が考え出されたものと思います。
山形藩の御典医に小林玄端という人がいて、この人が長崎へ留学したときに梅を煮詰めた梅醤を用いた気付け薬の製法を学んで帰り、これが薬屋を営んでいた佐藤家の本家筋にあたる黒田家に伝えられた。梅ならば、山形にはたくさんある。そこで、この薬の製法に工夫を加え、初代の佐藤松兵衛が作り出したのが乃し梅であると伝え聞いています」
「乃し梅」は山形産の完熟梅の果肉を砂糖と水飴で煮詰め、寒天を加え、薄くのばして乾燥させて作る。竹の皮にはさまれた短冊形の「乃し梅」は透明な黄金色、梅の酸味がなんとも爽やかなお菓子だ。
佐藤社長に話をうかがうと、地元山形のお菓子屋さんでありたいという姿勢がはっきりしている。
「行政などは地元の銘菓をもっと県外へ出したいという志向が強いですが、私は必ずしもそれがいいとは思わない。乃し梅なども、山形まで来てくださった方々に味わっていただくのが理想だと思っています。どこでも買えてしまうと、名産菓子の意味が薄くなってしまうような気がします」
佐藤屋には「乃し梅」のほかに、「梅しぐれ」、「まゆはき」といった梅を用いた銘菓がある。一方、上生菓子から干菓子、洋菓子に至るまで、あらゆるお菓子を作ってきた。山形市内で洋菓子を作ったのも一番早かった。地元の人々が求めるお菓子すべてを作っていく、という姿勢である。
山形は、山形城跡(霞城公園)東側の町の中心部に蔵造りの家やレトロな洋風建築がたくさん残っている。
メインストリート沿いに建つ佐藤屋の本店もそうした建物の一つで、母屋などは立派な木造建築に見えて、中に蔵がすっぽりと納まっている。
近隣にも風格あふれる店蔵が軒を連ねており、今回、特別に内部を見せていただいた「マルタニ」は山形で五指に入る紅花商だったとのこと。来年、山形市の肝いりで観光施設としてオープンの予定で、母屋と9棟あったという土蔵のうち5棟を使って、山形名物の蕎麦を供したり、観光情報を提供したりする施設になるそうだ。山形豪商の財力に度肝を抜かれた。
洋風建築では、文翔館(旧県庁。大正5年築)、山形市郷土館(旧済生館。明治11年築)、教育資料館(旧山形師範学校。明治34年築)が、国の重要文化財に指定されている。文翔館の内部などは、ヨーロッパの宮殿を見るようであった。
山形聖ペテロ教会(明治43年)、六日町教会(大正5年)なども、それぞれに美しい。ほかにも昭和初期頃までに建てられたとおぼしい魅力的な建物をあちこちで見かけた。
「建物でもなんでも、時代を超えて残ってきたものを大事にする、そういう気持ちが大切ですね。世の中にそれがなければ、乃し梅もとっくに忘れられていたと思います」
市内散歩をご一緒した佐藤社長がふと口にした一言が、耳に残っている。
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ルタニ(歴史的建造物)。 市内に数多く残る店蔵のなかでも最大規模を誇る。 2009年に観光施設としてオープンの予定。 |
山形市郷土館。 明治11年に県立病院済生館として建てられた、 3層楼の擬洋風建築。「霞城公園」内に建つ。 |
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立石寺。 860年、慈覚大師が開山した天台宗の霊場で、 通称「山寺」。 芭蕉が奥の細道の旅で訪れ「閑かさや岩に しみ入蝉の声」と詠んだことでも知られる。 |
蔵王。 山形市の南東部にそびえる連峰。 活火山で、裾野には数多くの温泉や スキーゲレンデがある。冬の樹氷も有名。 |
山形市十日町3−10−36 TEL 0120(013)108
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乃し梅本舗 佐藤屋(本店) | 山形銘菓「乃し梅」 | |
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まゆはき | 梅しぐれ |
本当にいいところですから。」 佐藤松兵衛