菓子街道を歩く

ホーム > 菓子街道を歩くNo.163 京都

京都「豆の木の五色の花」

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京都御苑堺町御門。京都御苑は、京都御所や仙洞御所を囲む公園で、江戸時代には200もの宮家や公家の邸宅が立ち並んでいた。一周約4kmあり、9つの門のうち南側にあるのが堺町御門。   二条城。慶長8年(1603)、徳川家康が御所の守護と将軍上洛の折の宿泊所として造営。家光の時代には、豊臣秀吉が造営した伏見城の遺構も移された。家康の将軍宣下が行われ、慶喜の大政奉還が行われた、徳川時代の始まりと終焉の場所でもある。



教会も酒蔵もあって

 京都の街は、どこを歩いても楽しい。
 洛中と呼ばれる京都の市街地のうち、御池通の北側は都のなかの都である。神社に例えれば、御池通の南側が拝殿、北側が本殿。ここには御所があり、京都における武家の拠点、二条城もある。
 今回の旅は、その洛中の北部にある「五色豆」で有名なお菓子屋さん、豆政を訪ねた。
 豆政のある夷川通に出ようとして、御池通から柳馬場通を上がってゆくと、二条通を越えた右手に、美しい教会堂があることに気づいた。案内板には、京都ハリストス正教会堂、明治36年落成とある。
 さらに、少し時間があったので豆政本店の前を通り過ぎ、一本西側の堺町通を南へ下ってみた。右手すぐに、料理屋で使う焼網などを手づくりで作る、金網専門店の辻和がある。その並びには、キンシ正宗の酒蔵が見えた。幕末に伏見へ移ったが、それまではここで酒を造っていたという。こんな御所に近いところで、と驚かされた。 
 ちょっと歩いてみただけでも、京都の小路では思いがけないものに出会える。

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キンシ正宗堀野記念館。天明元年(1781)の築。現在は造り酒屋のたたずまいと町家文化を伝える文化財として一般公開されている。中庭には創業以来、酒造りに使われてきた名水が今も湧き出ている。

六波羅のえんどう豆

お話をうかがったのは、豆政の現社長、5代目の角田潤哉さん(昭和38年生まれ)。 

創業125年を迎えられたとか。
 「初代の角田政吉が和歌山から京都へ出てきたのが、明治17年(1884年)です。和歌山では代官をしていたと聞いています。
 最初はここで、豆屋をやっていました。京都の周辺は豆どころだったんです。丹波では黒豆、大豆、小豆、山城では空豆がとれ、洛中の六波羅あたりも一面のえんどう豆畑だったというんです。今では考えられませんけどね。
 その六波羅のえんどう豆を使って、初代が明治20年に作ったのが五色豆でした。ちょうどその頃、それまで赤っぽい砂糖しかなかったのが、白い砂糖も入るようになって、下地の白色が出せるようになった。これが大きかったと思います。 
 しかし、五色豆も作ってすぐ売れたわけではないんです。明治41年に2代目の政次郎が京都駅での駅売りを実現したことや、4代目潤治の時代、大阪万博で大きく売上げをのばしたことなど、いくつかのエポックがあって、京都の名物として定着したのだと思います」

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六波羅蜜寺。天暦5年(951)、醍醐天皇の第二皇子である空也上人により開創された古刹。藤原時代〜鎌倉期の寺宝も多い。東山区五条通大和大路上ル。   京都ハリストス正教会。正教会(ギリシャ正教)・日本正教会の教会。ロシア・ビザンティン様式の美しい聖堂は1903年の築。

香ばしさが命

「五色豆」の材料は、昔から同じですか。
 「材料はえんどう豆と砂糖です。もちろん、現在、六波羅でえんどう豆は採れませんから、ニュージーランド産のものを使っています。この豆はしっかりしていて、香ばしさがよく出ます。
 また、五色のうち、赤と黄は色素を使いますが、茶色はニッキを、緑色は青海苔を使っています。この青海苔、海のものだと臭みがありますので川海苔に限るんですが、最近は入手が難しくなってきましたね。
 それから、豆の仕込みには地下水をくみ上げて使っています。水道水の臭みがありません。キンシ正宗さんがそこにありますが、湧き水の豊富な京都のなかでも、このあたりは昔から特に水質が良かったからだと思います。
 五色豆は、豆の香ばしさが命です。材料も工程も、この香ばしさを生かすという一点を大事にしています」

手仕事10日

その工程ですが、勘どころはどういう点ですか。
 「単純なお菓子のわりに、五色豆は出来上がるまでに10日ほどかかりますし、案外に手間もかかるんです。
 まず2日間ほど豆を水にひたすんですが、水の中に入れっぱなしにするのではなく、ひしゃくで水をかけながら豆が適度に水を含むよう調整しながら行います。水を含ませ過ぎると、炒った時に豆が破裂して、使い物にならなくなるんです。
 3日目に、豆煎り。豆を焦がさないよう、弱火でじっくりと煎り上げていきます。1日冷まし、手で選り分けて質の落ちるものを取り除き、5日目から5回ほどに分けて砂糖がけをします。煮立った砂糖は120℃にもなるので、夏などは50℃くらいの作業場で仕事をすることになります。
 豆煎りは熱風焙煎という方法を使うところも多いようですが、うちではガスと電熱の直火で煎っています。五色豆にはえんどう豆を半ばはじかした状態で使いますが、熱風焙煎ではえんどう豆独特の香ばしさが出ない。砂糖がけも、ドラムで一気にかきまぜるのではなく、鍋で空気を入れながらかき混ぜるという手作業でやります。そうして砂糖のコートを重ねていって、五色豆のこのゴツゴツした形が生まれるんです。仕上げに、宮中でも重んじられた五彩色をまとわせて夷川五色豆が出来上がります」

日本人の豆

 豆政には代々、伝えてきた「隣の木に移るな」という教えがあるという。儲かるからといって、関係のない分野にまで手を出すな、というものだ。豆政が作る豆菓子は何十種類もあるが、「五色豆」以外の代表的な銘菓「月しろ」などにしても、豆のおいしさを追求したもの。落花生を用い、クリームパウダーをまぶした「クリーム五色豆」も売り出した。
 「豆腐や納豆、味噌、醤油など、豆は米と共に、日本人の食の基本といえるかと思います。これからも、いろいろな年代の方に、また外国の方にも喜んでいただけるような豆菓子を作っていきたいですね」
 お話をうかがっているうちに、あの色とりどりの豆が並ぶ店先でなぜか立ち止まりたくなる、強い郷愁が蘇ってきた。

豆政

京都市中京区夷川通柳馬場西入ル 1075(211)5211

「地味な食材ですが、これからも豆のお菓子を囲んで会話がはずむような商品を作っていきたいと思っています」 角田潤哉
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豆政   月しろ
     
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五色豆   クリーム五色豆