
ホーム >
菓子街道を歩くNo.166 江差/北海道「北海道羊羮物語」

 |
開陽丸(平成2年復元)は、幕末にオランダで建造された江戸幕府の軍艦。戊辰戦争で旧幕府軍の榎本武揚らを乗せて北海道に向かい、明治元年(1868)に江差沖で座礁、沈没した。内部には引き揚げられた大砲などが展示されている。 |
 |
|
 |
海にせり出している特徴的な形の島が「鴎島」。この島が風よけ、波よけとなって、江差を天然の良港にしている。 |
|
民謡の最高峰ともいわれる「江差追分」。毎年秋に全国大会が開かれている江差追分会館では、4月末〜10月までの毎日、実演も行われている。 |
ホカイテの豆
五勝手屋本舗は、創業を明治3年(1870)としているが、すでに江戸後期から祖先が江差に住み始め、菓子屋を営んでいた。羊羮を売り出し、本格的に営業を始めたのが明治ということである。
現在の当主は明治の初代から数えて5代目、小笠原隆さん(昭和20年生まれ)だ。五勝手屋という、屋号のお話からうかがってみた。
「アイヌ語に、波の打ち寄せる浜、という意味のホカイテという地名がありました。そこに、南部藩から檜の切り出しのために渡ってきた杣人たちが住みついて、はじめ五花手、のちに五勝手という文字を当てました。それが慶長の頃と伝えられています。
やがて五勝手村では小豆の栽培に成功し、私どもの先祖が、その小豆を使って菓子を作り、松前の殿様に献上すると大変喜ばれた。以来、五花手屋(のち五勝手屋)と名乗ることにしたと伝わっています。」
明治20年代の、銅版画かと思われる五勝手屋の全景を描いた絵が残っている。店を含めて、2階建ての大きな家屋3棟と土蔵を塀が囲む堂々たる構えだ。
「五勝手屋羊羮ひとすじ、と言いたいところですが、和菓子に専念するようになったのは昭和58年から。それ以前は洋菓子なども作っていました。戦後も先代がソフトクリームやシュークリームなどを売り出しています。これだけの町ですから、時代とともに、地元とともに歩んできた、ということが言えると思います。今は、和菓子を生菓子からお饅頭まで、ひと通り作っています」
五勝手屋本舗の銘菓では、サケの形をした「あきあじ最中」などこの店らしいが、おもしろいのは、羊羮を白玉で包んだ、ウズラの卵より少し大きめの「けいらん」である。なんとこれを吸い物のタネに使うのだ。昔からこの土地で慶弔用に作られていたものだが、現社長が少し小ぶりにするなどして工夫した。
土地の菓子屋
五勝手羊羮の味は、ねばり気があって、しかも後口がさっぱりしている。だから、いくらでも食べられる。
「実は私どもの羊羮は小豆ではなく、金時豆を使っているんです。以前はこの付近の豆で間に合ったんですが、生産量が少なくなって、今は主に十勝産の大正金時を用いています。できるだけ地元の材料を、と思っています」
「五勝手屋羊羮」のもう一つの特色はパッケージ。一度見たら忘れられない。棹型と丸缶の2種類があり、いずれもとびきりレトロな魅力にあふれている。ところが、棹型の方のデザインについて、小笠原社長の説明は意外なものだった。
「これは、賞状のデザインを拝借したものなんです」
なるほど、左右の鳳凰、下の方の菊と桐の花、よく賞状の縁どりに見かける紋様である。それにしても、そういう絵柄の地色によくぞ金茶を選んだものだ。紋様と地色がピタリと合っている。
丸缶のほうは、昭和初期の薬箱や化粧品などを思い起こさせる懐かしいデザインだ。よく見ると、北海道らしくスズランがあしらわれている。
「一度、パッケージのデザインを変えようとしたことがあるんですが、お客様から変えないでほしいという要望が非常に強かったものですから、続けることにしました」
みんな、五勝手屋羊羮のレトロ調が大好きなのだ。
さて、最後に、お菓子作りの信条をうかがってみた。
「お預かりした店をどう伝えてゆくか、という思いです。私どもの店であるのと同時に、この土地の店でもありますから、地元というものを大切にしてゆきたい。その上で、なにか新しい工夫ができれば、これに越したことはないと思っています」
北海道開拓の、質実な精神を今に受け継いでいるような、どこまでも静かで謙虚な言葉であった。
五勝手屋本舗
北海道檜山郡江差町本町38 0139(52)0022
 |
あきあじ最中 |