菓子街道を歩く

ホーム > 菓子街道を歩くNo.172 郡山「百六十年のお菓子町起こし」

郡山「百六十年のお菓子町起こし」

郡山市公会堂。大正13年に建てられたルネッサンス様式の洋館で、市のシンボルとして親しまれ、コンサートなどにも利用されている。

街道の華やぎ

 「薄皮饅頭」で有名な柏屋を訪ねて、福島県の郡山市へと旅した。郡山は、江戸時代までは奥州街道の宿場町だったところで、今は福島県第一の都市。柏屋は嘉永5年(1852)の創業だが、以前は郡山宿の本陣隣で旅籠を営んでおり、宿の茶店で饅頭を売ったのが、菓子屋に転じるきっかけとなった。
 柏屋の本店は今も、旧奥州街道との交差点に近い、駅前大通りにある。旧奥州街道の中心部は〈なかまち夢通り〉と呼ばれ、ホテルやブティックが集まっていて、やっぱりここが郡山で一番華やかな一角となっていた。

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郡山市の西端は猪苗代湖。風力発電の風車が林立する布引「風の高原」からは絶景が望める。   安積国造神社。市内中心部に位置する郡山の総鎮守。この社の神官の子として生まれた安積艮斎(あさかごんさい)は吉田松陰や高杉晋作などを育てた儒学者。

「代々初代」

 「薄皮饅頭」を創案した柏屋の初代、本名善兵衛は、仙台藩の武家から本名家に婿入りした人であった。気骨は武士そのもの、本名家の祖先が医師だったことから、「薄皮饅頭は国民の滋養である」という饅頭観を持っていたという。
 以後、柏屋の当主は代々善兵衛を襲名していくが、初代の気骨を受け継ぎながら、個性豊かな当主が続いた。現在は5代目の本名幹司さん(昭和30年生まれ)。遠からず善兵衛を襲名する予定でいる。
「柏屋には初代以来伝わる家訓が100以上もあります。たとえば『代々初代』、これは何代目であろうと、創業者のつもりで努力せよということです。関連する家訓に、『今日が創業』、『のれんは革新』というものもあります。代々、なにか難しい事態を迎えるごとに、こういう家訓を思い起こしてやってきたのだろうと思います。
 3代目は戦争という一大困難にぶつかりましたし、4代目の時代はいわゆるバブル期でしたが、この時期はまた別の意味で舵取りがたいへんだったと思います。私自身も、非常に悩み、迷った時期がありました」

災い転じて

 5代目が遭遇した困難は、洪水という天災であった。昭和61年8月の集中豪雨で阿武隈川の支流である逢瀬川や矢田川の堤防が決壊、柏屋の工場が水没したのである。
「私自身もボートで救出されました。夜が明けて見に行ってみると、工場もトラックも泥水の中に沈んでいる。呆然としました。正直、何もかもおしまいだと思いました。しかし、そこで泣きながら泥水のなかで片付けをしている社員の姿を見たんです。ハッと胸を衝かれました。社員という財産が残っていたのだと。
 さらに、陽が昇ると、取引先などから100人を超す人たちが駆けつけてくださいました。総がかりで掃除を手伝い、菓子を作る機械をメンテナンスして、何とか動かそうとしていかれる。感激しました。柏屋の代々が、また社員たちが、これまでどれだけのことをやってきたかという証だと思いました。『よーし、復興するぞ』という気になりました。復興は驚くほど早く、約1週間後には薄皮饅頭の製造ラインが動き出しました。
 それから約50日。常務だった私は突然、社長を命じられました。実は当時、柏屋の業績は芳しくなく、その上に水害でしょう。最悪の時期の就任かと思いましたが、大きな危機を切り抜けたことで社員の気持ちが一つになって、逆に社を立て直すきっかけになったのです」

縁側の朝茶会

 柏屋は、郡山の町とともに生きて行く姿勢を鮮明に打ち出している。
 まず1月を除く毎月1日、朝6時から8時まで、来店者にお茶と饅頭を無料でふるまう朝茶会を、昭和49年以来切れ目なく続けている。今年2月の朝茶会にお邪魔してみたが、雪の降るなか、本店2階の「薄皮茶屋」には、通学前の小・中・高校生から通勤途中のサラリーマン、そしてお年寄りまで来客が引きも切らず。社長はもとより家族・従業員が一体となって接待に走り回っていた。
「このあたりには、寄ってお茶でも飲んでがざんしょ、といって縁側で朝茶を飲む習慣があるんです。そういう縁側文化を伝えようということで始めたのが、この朝茶会。初対面の人たちがお饅頭を食べながら楽しく話をしていただけるといいと思って」
 また、開成山公園近くにある萬寿神社は、柏屋の先代が昭和42年に奈良の林神社(饅頭の祖・林浄因を祠る)からの分祠を受けて、建立したもの。隣接する開成柏屋を会場に、毎年4月の第3日曜日、柏屋創立年数の重さ(今年は160s)の饅頭を奉納して行われるまんじゅう祭りは、いまや郡山市の風物詩となっている。
 柏屋ではもう一つ、素敵な活動を行っている。子どもの詩の募集を昭和33年以来、続けていることだ。『こどもの夢の青い窓』(現在531号)というリーフレットを隔月で刊行し、優秀作は柏屋や市役所などに展示される。先代と友人の詩人らとの雑談から生まれた企画だ。
 現社長は、こうした負担の大きな遺産を、一つも否定せず、発展させようとしている。柏屋の家訓の一つ、「こころの伝承」ということか。

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紅枝垂地蔵ザクラ。郡山から三春町にかけては全国有数の桜の名所。名木が多く、これは三春滝桜の娘といわれる樹齢400年のしだれ桜。
 
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萬寿神社。境内に巨大な饅頭を思わせる自然石「願掛け萬寿石」がある。   まんじゅう祭り。毎年4月第3日曜日に開催。薄皮大饅頭を奉納し、柏屋の創業年数(今年は160)と同じ合計年齢のご夫婦が饅頭開きをする。

これからも

 柏屋は薄皮饅頭のほかに、季節の生菓子も作れば、地元の偉人・安積艮斎にちなんだ「ごんさい豆」のような気軽なお茶菓子も、洋菓子も作る。県下にくまなく支店を置くほか、東京や仙台などにも店がある。しかし、もう拡大はせず、県内に重点を置いていくと言う。
「最大企業よりも最良企業です。今考えていますのは、薄皮饅頭をさらにおいしくすること、お客様に喜んでいただけるお菓子を作っていくことです」
『毎日が創業』、今年7月、柏屋は創業160年を迎える。

 本稿は3月11日の大震災前に取材編集したものです。柏屋も被災しましたが、3月末には一部店舗から営業を再開。心を込めて、再び菓子を送り出し 始めました。今後とも変わらぬご愛顧をお願いいたします。

柏屋

郡山市中町11?8 024-932-5580

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「仕事熱心だった父は
饅頭で“一生を棒にふった”人。
私もそういう人生を送りたいです」
本名 幹司

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柏屋 薄皮饅頭   檸檬