菓子街道を歩く

ホーム > 菓子街道を歩く 小城「羊羹を伝える小京都」 No.173

小城「羊羹を伝える小京都」

星巌寺の五百羅漢。小城に多かった優れた石工が、享保年間(1716-35) に作ったと伝わる。ポーズも表情も、ユーモラスで変化に富んでいる。

祇園川のほとり

 鍋島藩の城下町、肥前の小京都と呼ばれる佐賀県の小城を、初めて訪ねた。
 小城市は佐賀市の西に隣接する町で、市域は南北に長い。その北部エリアが旧小城町にあたる地域で、JR唐津線の小城駅から北へ真っ直ぐ、祇園川に突き当たるまでが、旧小城町の目抜き通りであった。
 そこを車で走って驚いた。道の両側に、しきりに「小城羊羮」の看板が目に入る。羊羮の町とは聞いていたが、これほど羊羮の店が多いところだとは思わなかった。小城だけで22軒の羊羮屋さんがあるという。
 道が祇園川に近づくと、正面に小高い山へ上る長い石段と、その頂上に立つお堂が見えた。須賀神社だが、地元の人は「祇園さん」と呼んでいる。初夏の祇園川ではゲンジボタルの群生が見られ、その上流、清水の滝のある清水川は、全国名水百選の一つ。小城で、京都の東山あたりを思わせるところである。
 今回お訪ねした小城羊羮を代表する老舗、村岡総本舗は、祇園川をはさんで、須賀神社と対面する枢要の地に本店を構えていた。本店の横には、洋風の外観をもつ村岡総本舗羊羮資料館がある。

 
 
須賀神社。中世に小城の領主であった千葉氏が建立した古社。参道の石段は153段。地元では「祇園さん」と呼ばれ、毎年7月には、3台の山鉾が出る祇園祭りがある。

郷士の商法

 村岡総本舗では、社長の村岡安廣さん(昭和23年生まれ)と、ご子息の副社長村岡由隆さん(昭和51生まれ)に話をうかがった。
 村岡社長は肥前の歴史と文化に造詣が深く、『肥前の菓子』(佐賀新聞社)などの著書も出しておられる。
「小城に、どうしてこれだけたくさん羊羮屋があるのか、実はいろいろな説があって、定説がないんです。
 小城の町で羊羮を作り始めたのは明治初期に出た森永惣吉という人ですが、私どもの初代・村岡クニと2代目の村岡安吉が創業した明治32年当時でも、まだ羊羮屋は小城に4、5軒だったようです。
 小城は佐賀鍋島藩の支藩の一つですが、藩主が京都を意識した街づくりをして、茶の湯なども盛んな土地柄でした。それに、オランダや中国の文物を中央へと運んだ長崎街道に近かったことが、まず小城羊羮の生まれた背景として考えられます。
 長崎街道は、シュガーロードと呼ばれるように、砂糖で肥前の菓子を育てた大動脈でした。また、この街道沿いには、麦や米など、菓子の原料を産出する穀倉地帯も広がっています。小城藩には、中世以来ここに土着した郷士と呼ばれる人々が多く、藩に関係する生業を営んでいました。それが明治になって、羊羮作りに転じた例が多い。私どもの先祖もそうでした。
 その後、鉄道の駅売り、軍の携帯食・保存食、炭坑労働者用の甘味など、羊羮への需要が複合的に高まると、小城羊羮がそれに応えます。生産量を飛躍的に伸ばし、遠くジャワあたりにまでその名が知れわたることにもなりました。
 今は駅売りも軍も炭坑もない時代ですが、総務省がまとめた平成14年の全国都道府県別家計調査によると、一世帯当たりの羊羮の年間購入額は、佐賀県がダントツで1位。地元、佐賀の人々が日本一の羊羮好き、これほど励まされる事実はありません。なんといっても、食べてくださる人があっての羊羮です」

羊羮とマンパワー

 そもそも「小城羊羮」の名称は、村岡安吉が行商をする際の箱に「小城羊羮」の文字を入れたのが始まりとされる。それまで小城の羊羮は、「煉羊羮」「桜羊羮」などの名で売られていた。
 小城羊羮の特色は、表面がシャリシャリして、中が柔らかいことである。昔ながらの木箱に流して固める、切り羊羮の製法で作られているからだ。表面が空気に触れて、糖分が結晶する。
 また、色で言うなら、一般的な小倉も抹茶ももちろんあるが、小城らしいのは白小豆の餡に天然の紅を用いた紅色の羊羮であろう。「櫻羊羮」の名前がよく似合う。村岡総本舗では、こうした小城羊羮の伝統をふまえ、高級品も開発している。
「羊羮作りの技術のレベルを保つのは当然のことですが、その上でおいしい羊羮を作ろうとすれば、良質な材料を確保することです。これが非常に大事で、良い材料さえ使えば羊羹はおいしくなる、といってもいいくらいです。
 しかし、小城羊羮のこれから、ということで言えば、作る側の切磋琢磨だけでなく、食べていただく人、ということをもっと考えなければならないと私は思っています。そのためには、回り道のようですが少しでも多くの方々に小城の歴史や町を知っていただき、小城に来ていただくことだと思っています。
 たとえば、明治時代に佐賀出身の大隈重信候が清水観音に続く参道を改修したことがあるのですが、この事業の意味は大きく、私どもは今その恩恵に浴しています。小城羊羮の未来を考えるということは、そういうことではないかと思うわけです」

霊廟と五百羅漢

 ご案内いただいた小城の史跡で忘れ難いのは、小城鍋島家の菩提寺・祥光山星巌寺と小城公園である。
 星巌寺では、竹林のなかに墓石が整然と建ち並ぶ黄檗の雰囲気を伝える鍋島家の霊廟に圧倒され、その霊廟の塀の外に、遊ぶかのように様々にユーモラスな姿態をみせる五百羅漢につくづくと見とれた。ここへ来るだけでも、小城は訪ねる甲斐がある。
 小城公園は、桜の名所と聞くと、なにやら大味な公園を想像しがちだが、さにあらず。大名庭園に起源をもつ、変化に富んだ日本庭園だ。花も、ツツジあり藤あり。正方形に刈り込まれた樹齢350 年という槙の木という見ものもあった。

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祥光山星巌寺。2代小城城主鍋島直能が、小城鍋島家の菩提寺として貞享元年(1684)に建立。墓や楼門は、黄檗宗独特の様式。   小城公園。小城藩の初代元茂・2代直能が営んだ大名庭園が起源。3000本の桜が咲く名園。
 
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佐賀市にある佐賀城本丸歴史館。平成16年(2004)、佐賀城跡内に本丸御殿の一部を忠実に復元。幕末・維新期の「佐賀」の町・人の魅力がよくわかる。ここで紹介する「近代の佐賀人100 人」には、小城の森永惣吉と村岡安吉の名前もある。

村岡総本舗

佐賀県小城市小城町8617 0120-358-057

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「羊羹を「食べる人」を
どうしたら創っていけるのか。
羊羹屋が軒を連ねる
小さな町で、その答えを
探し続けています。」
村岡 安廣
村岡総本舗本店・村岡総本舗羊羹資料館    

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櫻羊羹   小城櫻