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菓子街道を歩く 岐阜「清流の香 幽玄の菓子」 No.176

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金華山から長良川と岐阜市街を望む。岐阜は古くから長良川という大交通路によって栄えた町であった。 |
魅惑の川
JR東海道線で名古屋方面から岐阜駅に近づくと、右手はるか遠くの山上に、岐阜城が見えてくる。城のある金華山が300m余りの山とは思えないほど高々と感じられるのは、電車がずっと起伏のない平地を走ってきて、初めて山にぶつかるからだ。
岐阜は大都市名古屋に近すぎるところから、なかなか自立の難しい都市だといわれてきた。だが、岐阜には名古屋にないものがある。電車から見えてきた岐阜城のある金華山と、そのふもとを流れる清流長良川、それに皇室御用の漁として長良川で1300年もの間行われてきた鵜飼である。さらに、伊勢湾まで下ることのできる長良川舟運の発達は、ここに物資の集散地としてのにぎわいを生んだ。
中世の守護大名であった土岐氏から斎藤道三がこの地を奪い、次いで斎藤氏から織田信長が奪うというふうに、岐阜の長良川は支配者たちに争奪戦を繰り広げさせた。それほど長良川には魅力があったのである。
今回の菓子街道の旅は、この岐阜にしかない魅惑を求めて、岐阜駅からバスで長良川のほとりへと向かった。
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日本屈指の清流・長良川と金華山。岐阜を代表する景色だ。(写真提供:(社)岐阜県観光連盟) |
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長良川の鵜飼は5月11日〜10月15日に開催。
(写真提供:岐阜市) |
美しい鮎
長良川を渡る長良橋の南詰めの、湊町、玉井町、元浜町といった界隈は、昔から川港として栄え、木材や美濃紙、茶などを扱う問屋や商家が軒を連ねていた。それが近年整備され、今では「川原町」の名で、格子戸造りの町並みが岐阜の観光名所となっている。今回は、その川原町に本店を置く玉井屋本舗を訪ねた。
玉井屋本舗は、岐阜第一の銘菓「登り鮎」で知られる老舗である。「登り鮎」は、カステラ生地で求肥を包み、長良川の鮎をかたどった香り高いお菓子だ。
創業は明治41年(1908)。玉井経太郎が初代で、現在の主人は3代目の玉井博祜さん。女性のご当主である。
「創業者の経太郎は京都の生まれですが、お菓子を京都と東京で修業して、岐阜で開業しました。岐阜に運送業や旅館を経営していた親戚がいましたので、その縁で来たようです。
代表銘菓の『登り鮎』は、この初代の創案で、長良川の鮎の特徴である精悍できりっとしまった魚体をよくとらえた形をしています。2本の線と一つの点で表した小さくてシンプルな頭の表現なども初代が残してくれたもので、このお菓子の生命だと思っています。
大正になると、初代は『やき鮎』という菓子も創作しました。水気を使わずに練り上げた生地を、型抜きし、乾燥させて焼き上げる干菓子です。これは大正10年の第1回岐阜市土産物品評会で1位になり、『登り鮎』と並ぶ代表的な菓子になりました。
初代には男の子がありませんでしたので、一人娘(はる)に養子(武)を迎えました。それが私の両親です。2代目を継いだ父は穏やかな人柄で、派手なエピソードはありませんが人望が厚く、組合の会長や商工会議所の部会長を長年務めさせていただいておりました。その父が昭和60年に亡くなり、私が3代目を継ぎました。でも、父の死後は母ががんばって店を支えておりましたので、実質的には母が3代目で、私が4代目といってもいいくらいです」
玉井さんは、弘子の本名を、女手で店を経営して行く決意を込めて、博祜と改名されたのだという。
玉井屋本舗
岐阜市湊町42番地 0120-601-276
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登り鮎 |
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献上かすていら |
40万都市の中心に、
これほどの清流が流れている
ことが岐阜人の誇りです。
これからも
自然を慈しむ心を大切に、
お菓子を作って参ります。