菓子街道を歩く

ホーム > 菓子街道を歩く 館林「上菓子に香る 麦こがし」 No.177

館林「上菓子に香る 麦こがし」

茂林寺。おとぎ話『分福茶釜』で知られる、応永33年(1426)開山の曹洞宗の古刹。山門をくぐると21体のたぬき像が参道に並び、参拝者を出迎える。

花の町

 上州館林といえば、有名なものに分福茶釜の茂林寺と、ツツジの名所・つつじが岡公園がある。
 茂林寺は市街の南にあって、東武伊勢崎線で東京から行くと館林の一つ手前、茂林寺前駅で下車してすぐだ。名前の通り、お寺は風通しのいい林の中にあった。
 つつじが岡公園は市街の東の、城沼という大きな沼のほとりにある。樹齢800年を超えるヤマツツジの古木をはじめとして1万株ものツツジが植えられており、初夏には40万人以上もの観光客でにぎわう。
 東武伊勢崎線の館林駅と城沼の間が館林の旧城下町だった区域で、今でも市の中心街。幾筋かの通りが並行して東へ伸び、その町筋が終わるところ、かつて城の中心部だったあたりに、市役所、向井千秋記念子ども科学館、田山花袋記念文学館といった文化施設が集中している。その東が、城沼だ。
 館林駅で、「花のまち館林」というチラシを手にしたが、駅を出てメインストリートを歩き出すと、花の鉢が街灯の柱ごとにずっと飾ってあって、まさに花の街であった。

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市民の憩いの場となっている城沼。夏にはハスが水面を彩り、遊覧船が巡る。沼の南側一帯が「県立つつじが岡公園」。   旧二業見番組合事務所。「二業」とは、芸妓屋業、甲種料理店業の2つを指す。昭和13年の建築で、2階には芸妓たちが舞を練習する舞台があった。

麦の恵み

 館林は麦の産地で、うどんが名物になっているが、お菓子にも麦粉を用いた打ち物菓子として知られる三桝屋總本店の「麦落雁」がある。
 その三桝屋總本店を訪ねると、かつて藩の御用をつとめた店らしく、道の突き当たりが城の大手門に通じる古くからの目抜き通りにあった。落ち着いたお店の奥が、ゆったりと座れる喫茶室になっていて、そこで7代目社長の大越正禎さん(昭和17年生まれ)に話をうかがった。
「館林というところは、田圃になる土地がないために、畑で大麦、小麦の生産が盛んになったんです。初代の与兵衛が、そこに目をつけました。大麦の粉を炒って砂糖を混ぜて食べる麦こがしは昔からありましたが、『麦落雁』はこれを打ち物菓子にしたものです。もちろん麦は良質のものを厳選し、砂糖も和三盆を用いました。それが文政元年(1818)のことです」
 庶民の味「麦こがし」から、「麦落雁」という上菓子を生み出した発想は卓抜だった。上品な香りと甘さ、口どけのよさで、「麦落雁」は評判となり、津々浦々にまで知られることになる。
「三桝屋が館林藩主・秋元家の御用を承っていたことから、秋元家から将軍家に献上されて評判を呼び、参勤交代で国もとに帰る武士たちによって全国に運ばれたのです。また、明治になると、皇太后・皇后両陛下がツツジをご覧になるために館林にお越しになり、私どもの『麦落雁』をお買い上げになりました。さらにコンクールなどでも何度か最高賞をいただいたりして、『麦落雁』は全国に知られる銘菓となりました」
 三桝屋總本店は、季節の和菓子などを作る一方で、洋菓子を始めたのも昭和40年代初めと早く、地元の人たちの要望に応えてきたお菓子屋さんである。しかし、いつの時代も歴史ある代表銘菓である「麦落雁」のグレードを上げることに心を砕いてきた。
「お菓子作りにどんどん機械が導入された頃に、私のところでも機械で『麦落雁』を作ってみたことがありました。しかし、手作りのものと比べて、どうしても硬くできてしまうんです。このお菓子は、やわらかさが命です。それで機械はやめて、手作業に戻しました」
たしかに、「麦落雁」は、歯でちょっと崩しても、硬さがなく、絶妙の感触で崩れる。類似のものが全国にあるが、味はまったく別ものだ。

次の郷土銘菓を

 三桝屋總本店のある通りの南側に、古い町屋などの見られる界隈がある。見番(江戸時代に芸者屋などの取り締まりを行った所)だった建物なども残っていた。
「館林には、多いときは100人くらい芸者さんがいたこともあるんですよ。とにかく、ここは農産物の集散地として大変栄えていたんです。私のところの三桝屋という屋号と『麦落雁』に用いている六角形三枡マークにしても、市川団十郎家の紋に由来するようですが、詳しいことはわかりません」
 わかっていることは、代々の主人が歌舞伎役者や画家、書家、茶人たちの後援者となるなかで、この地域の文化に寄与してきたことだ。
「平成16年には、高崎の達磨寺の茶会で使うために、『利休復元』という長方形の麦落雁を作らせていただきました。これは、群馬の研究者の方が千利休の祖先が群馬県の出身であるということを突き止めて、それにちなんだお菓子を作らないかというお話をいただいたものです。今後とも、工夫をして新しいお菓子を生み出していければ、というのが、私の願いです。
 私自身は若い頃に洋菓子の勉強をしまして、館林で生クリームのお菓子を食べられるのは弊社だけという時代もありましたが、これからは和菓子に重きをおいてゆきたいと思っています」
 近年、和菓子の修業を積んだ息子さんも戻ってきた。
 館林には、先にご紹介した名所以外にも駅の西口前に正田醤油の正田記念館と、前身である旧館林製粉本館を核とする日清製粉の「製粉ミュージアム」(2012年秋オープン)があり、城沼の近くには旧上毛モスリン事務所、田山花袋の旧居なども保存されている。新しい和菓子を考案するための手がかりは、いろいろありそうである。
「群馬県はいろいろな農産物が生産量で全国上位にランクインしています。ニンジン、ヤマトイモ、最近ではゴーヤなど。そうした産物を使った菓子も試作を重ねています」
「麦落雁」に次ぐ銘菓の誕生が楽しみである。

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旧上毛モスリン事務所。明治41〜43年に建てられた美しい擬洋風建築。上毛モスリン株式会社は地域の伝統産業である機業を活かして近代的製織会社として設立、共立モスリン、中島飛行機、神戸製絲と変遷しながら、館林の基幹産業として地域の発展に寄与した。

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小説『蒲団(ふとん)』で知られる田山花袋の旧居。花袋は旧舘林藩士の子として舘林で生まれ、7歳から14歳までを、この家で過ごした。   正田記念館。130余年の歴史を有する正田醤油の歴史を紹介する資料館。正田家300年の家系図や創業当時の醸造道具などを展示している。建物は嘉永6年(1853)築。

三桝屋總本店

群馬県館林市本町1-3-12 0276-72-3333

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これからも“おいしいお菓子”
を作り続けていきたい。
コツコツ真面目にやること、
それだけです。

大越正禎

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麦落雁   麦落雁
「利休復元」