菓子街道を歩く

ホーム > 菓子街道を歩く 山中温泉 白山(松任) No.182

山中温泉「芭蕉の足跡、湯の香り」

総湯「菊の湯」。芭蕉の句「山中や菊はたおらじ湯のにほひ」から名づけられたというが、浴場そのものは700年の歴史をもつ。広場に面して足湯もある。

ゆとりの町並み

 山中温泉が、さすがに千三百年の歴史を誇る湯の町だと思うのは、町中に出湯の里に憩う楽しさがにじみ出ているところである。
 芭蕉がここを訪れ、「山中や菊はたおらじ 湯のにほひ」と詠んだ昔も、この雰囲気は漂っていたに違いない。元禄2年(1689)、奥の細道の旅の終わり近く、芭蕉は山中温泉にゆったりと逗留し、旅の疲れを癒した。
 大聖寺川の上流に沿って、南北に5キロほどの町並みが、山中温泉の中心部。中央に芭蕉の句から名づけられたという総湯「菊の湯」がある。昭和の初めまで、各旅館に内湯はなく、温泉客は皆、ここまで入りに来ていたという。場所は昔から変わっていないから、芭蕉も当然、この共同浴場に入ったのである。
 菊の湯の西側の山の中腹には、温泉守護の薬師堂(医王寺)があり、大聖寺川の上流にはこおろぎ橋、下流には黒谷橋があって、山中温泉散歩コースの目印になっている。医王寺や黒谷橋も、芭蕉が訪れた場所だ。

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こおろぎ橋。大聖寺川の上流に架かる木の橋で、山中温泉のシンボルの一つになっている。   ゆげ街道。総湯「菊の湯」からこおろぎ橋の近くまで、再整備された町並み。そぞろ歩きの湯の客をもてなす街だ。

饅頭の品格

 いわゆる温泉街ではなく、古い温泉を背景に成熟してきた町である山中温泉では、お土産のお菓子にも相応のクオリティが求められる。
 この地を代表する銘菓「娘娘万頭」で知られる山中石川屋の本店は、菊の湯にほど近い本町の角地に建つ。創業は明治38年(1905)。ご当主は3代目の石川光良さん(昭和21年生まれ)である。
「初代は石川長五郎といいます。山中塗の木地屋が本業で、そのかたわら小さな駄菓子屋を始めたのが最初と聞いています。本格的な和菓子の店になったのは、2代目の石川外次郎、私の父の時からです。
 昭和の初めに店を継いだ父は、旅館のお茶菓子に宿の名入りの焼き印を押すなどアイディアマンで、銘菓「河じか」も父の創製です。戦争中には出征もしましたが、母が店をよく切り盛りしたことで縁ができ、当地にできた海軍病院の御用を務めるようになり、その後、舞鶴の艦船部隊や小松の航空隊にも羊羮を納めるようになりました。戦後は材料が手に入らず、学校給食用のコッペパンを作っていたこともあったようですが、統制が解けると、また菓子作りに励むようになりました。
『娘娘万頭』もそうして生まれた菓子の一つです。昭和30年頃に、地元の老舗旅館からの相談もあって創製したもので、『にゃあにゃあ』とは若い娘を呼ぶときの加賀言葉です。父はこの菓子に打ち込むべく製餡工場を建てて試行錯誤を重ね、数年がかりで仕上げました。昭和39年には北陸で初めて包装機械を導入しました」
 娘娘万頭は、あっさりと品の良い黒糖餡を、ほのかに味噌の香りを効かせた皮で包んだ饅頭。上質さと親しみやすさを兼ね備えた、歴史ある温泉場にふさわしい品格が漂う。
「山中温泉は、古くから文人墨客が数多く訪れるところですが、父は文人画家の小松砂丘先生と交遊し、菓子作りの上でも多くのヒントをいただいていたようです」
 娘娘万頭のロゴも、小松砂丘の手によるものだそうだ。

旅の安らぎに

 石川社長の話はもっぱら先代のことであったが、自身も優れた経営センスで、ブランド銘菓としての「娘娘万頭」を不動のものとしてきた。また、新しい菓子作りにも余念がなく、木立と水と緑が織りなす山中温泉の自然を写した「みどりの小径」や、日本一の宿として知られる和倉温泉の旅館「加賀屋」で供される繊細な創作菓子なども、当代が作り、切り開いてきた菓子の世界だ。
「お菓子は、たとえ伝統ある代表銘菓であっても、お客様のご要望を読み、時代を読みながら、絶えず新たな意識で作っていかなければなりません。特に、山中温泉のようなところでは、お菓子も旅の安らぎ、旅の楽しみといったものに一役買えるものでなければなりません。この地にお客様が来てくださることにつながるよう、努力していかなければいけないと思っています」
 近年は菓子屋としての修業をしっかり積んだ息子の石川喜一さん(昭和50年生まれ)が工場を取り仕切っている。店の一角に設えられた茶房では、喜一さん創案の「にゃあにゃあロール」が、若い観光客の人気を集めていた。

山中石川屋

石川県加賀市山中温泉本町2丁目ナ24 0761(78)0218

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「山中温泉に行ったら、
あの菓子屋がある」
未来にも、そう言って
いただける
店づくり、菓子づくりをしていきたいと思っています。

石川光良

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娘娘万頭   河じか

白山(松任)「伝統に味わいあり」

白山。石川・富山・岐阜・福井の4県にまたがる秀麗な山で、標高2702m。古くから山岳信仰の山として仰がれてきた。自然が豊かなところから登山者が多く、ドライブを楽しむ観光客も多い。

穀倉地帯の富

によって白山市となった。だが、JR北陸線の駅名は今も「まっとう」。駅前には松任城址公園が美しく整備され、その向かいに、「千代女の里俳句館」と「松任ふるさと館」が並んでいる。
 千代女の里俳句館は、「朝顔や つるべとられて もらひ水」の句で知られる江戸時代を代表する女流俳人・加賀の千代女を紹介する施設。千代女は、ここ松任の表具屋・福増屋の生まれで、この地の文化的シンボルといってもよい人物である。
 一方、松任ふるさと館は金融や米穀などを営んでいた豪商が近在にあった生家を明治末期に移築、増築したもので、巨大な木材をふんだんに使ったまさに豪族の館である。
 中世の松任が一向一揆の拠点となったのも、この地の富や文化と無縁ではないだろう。その後も一帯は真宗の門徒王国であった。千代女も門徒で、晩年しきりに井波や京へ遠忌詣での旅に出かけている。
 金沢との間が約10キロと程良い距離にあり、江戸時代の松任は北国街道の宿場町としても賑わった。
 その松任の老舗に、「あんころ餅」で有名な圓八がある。

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千代女の里俳句館。千代女は俳句の名手であっただけでなく、書にも絵にも優れていた。そうした千代女の俳画などを常時展示している。   松任ふるさと館。明治から昭和初期まで活躍した松任の豪商・吉田茂平の私邸を市内安吉町から移築。国の有形文化財。

とほうもない話

 創業は元文2年(1737)。代々圓八を襲名して、現在の当主・村山圓八さん(昭和22年生まれ)が11代目である。
 まず、圓八の創業にまつわる伝承を聞いた。
「ある時、村山家の先祖が何かを思いついたように庭にアスナロ(羅漢柏)の苗木を植え、我が願いが叶ったら生い茂りたまえと祈願して、翌日、忽然と姿を消しました。妻は夫の突然の出奔で困窮に陥りましたが、その年の秋、夢枕に夫が天狗の姿で立ち、こう語ったというのです。
 私は鞍馬山で天狗について修行をした。そこで、お前に教えるが、これこれの製法で餡で餅を包んで作って食べれば長生きする。この餡餅によって生計を立てれば、子々孫々繁栄間違いない、と」
 その夢のとおりにこしらえたのが、圓八の「あんころ餅」だというのだ。
「餡は、十勝産の小豆を煮て皮を除いた生餡を高圧蒸気で1時間ほど蒸し、冷ましたあと、砂糖液と混ぜ合わせたものです。糖分を加えたあと火を入れないので日持ちが悪く、全国でもこんな餡を使っているお菓子屋さんはほとんどないと思います。
 その餡で、もち米を搗いた餅を包んで真ん丸に丸めますが、この工程は機械化しています。機械から出てきた『あんころ餅』を9個ずつ竹皮で包んで出来上がりです。出来立てもいいのですが、竹皮が適度に水分を吸収してくれるので包んで3、4時間たった頃が一番おいしいと思います。かすかに竹の香りもして」

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聖興寺。死後、千代女を顕彰した浄土真宗の寺。千代女の辞世句を刻んだ千代尼塚、木像を安置する千代尼堂、遺品を展示する遺芳館などがある。

信じる力

「あんころ餅」は町の人や旅人に愛されて280年ほどの時を刻んできた。天狗の伝承はとほうもない話だが、それを信じる力が、この菓子を今日まで伝えてきたのである。
 この信じる力は、地域特有のものかもしれない。
「白山市は山手に行くほど、報恩講など真宗の行事が盛んで、精進料理などもそれは丁寧に作られます。また、それとは別に、白山信仰がありまして、白山比v神社の『おついたちまいり』には、毎月たくさんの人が参拝します。
 私自身も朝夕、ご先祖様である圓八坊大権現に手を合わせ、折々に白山比v神社に参拝します。店の者たちの無事を祈り、お客様はじめ皆様に感謝するのが、当主の第一の仕事だと思っておりますので」
 村山社長は、ここまで話すと「あとは息子に」と専務の村山勝さん(昭和50年生まれ)にバトンを渡した。
 勝さん発案の餅入りの餡ジェラートをいただきながら聞いた話が、また印象的だ
った。
「『あんころ餅』は、1日しか日持ちがしません。これを2日、3日ともつものにすることは、今の技術を使えば簡単です。しかし、それをすれば味は必ず変わります。
 欲を出さず、1日しか日持ちをしないものを作り続けたところに、『あんころ餅』が時代を超えて生き残ってきた理由があったのではないか。30歳を過ぎて、私もようやくそのことに気づきました」
 圓八の「あんころ餅」は、やはり天狗に守られている。

圓八

石川県白山市成町107 076(275)0018

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賞味期限1日の
「あんころ餅」を
毎日作って、毎日売る。
こつこつ、誠実に。
それだけです。

村山圓八

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あんころ餅