菓子街道を歩く

ホーム > 菓子街道を歩く 諫早 No.185

諫早「シュガーロードが通る米どころ」

眼鏡橋。天保10年(1839)、洪水でも壊れない橋として、本明川に架けられた双円のアーチ式石橋。全長49.25メートル。現在は諫早公園内に移築保存され、諫早のシンボルとなっている。重要文化財。

川と街道の町

 諫早は、有明海、大村湾、橘湾と三つの海に囲まれているから漁業の町かというとそうではなく、むしろ町の中心を流れる本明川の存在が大きい川の町であった。この川の潤す平野と、江戸時代から行われてきた有明海の干拓によって、諫早市は長崎県一の米どころとなっているのである。
 ただ、本明川は恵みの川である反面、大雨のたびに氾濫し、橋を流し、諫早市街に大きな被害をもたらす川でもあった。現在、諫早のシンボルともなっている石造りの眼鏡橋(重要文化財。現在は諫早公園に移築保存)も、江戸後期に領主の諫早氏が、洪水でも壊れず流されない橋として建設したものである。
 一方、諫早は、ここを通らずには長崎に出入りできない交通の要所でもあった。長崎街道の大村湾沿いの道と有明海沿いの道が合流するほか、島原への街道もあり、まさに街道の十字路なのだ。当然、宿場としても栄えていた。
 今回の旅は、その諫早市の「おこし」と「カステラ」の老舗、菓秀苑森長を訪ねた。

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本明川。諫早平野の南北の山地からの水を集め、諫早市街の中央を流れて、有明海に注ぐ一級河川。たびたび深刻な洪水を引き起こしてきた荒れ川として知られる。   天祐寺。安土桃山時代に創建された禅寺で、中世の諫早領主であった西郷家と、近世の諫早領主・諫早家の菩提寺。

郷土菓子への愛

 菓秀苑森長の本店は、八坂神社のある八坂町にあり、ひときわ目立つ堂々たる和風建築(昭和5年築)である。
 会長の森長之さん(前6代目社長、昭和11年生まれ)にお目にかかった。
「森長は寛政5年(1793)の創業です。初代の森龍吉が新町でおこしの店を始め、以来、戦中戦後の一時期を除いてずっと、おこしを作り続けてきています。
 森長おこしという名前にしたのは明治31年(1898)、4代目の森長四郎の時からです。それまでは、新町おこし、諫早おこしと呼んでいました。
 諫早では、おこしは祝いごとなどがあると家庭でも作った郷土菓子です。その郷土菓子を、基本を崩さずに伝えてきたのが、森長の仕事だったのだと思います。 
 作り方は、まず、うるち米を蒸して唐アクと呼ばれるかん水に浸けてから、もう一度蒸します。それを乾燥させて、何カ月か寝かせ、鉄鍋で炒ったものが、乾米。この乾米を、沸かした水飴、粒状の黒砂糖と混ぜ合わせ、木枠に移して冷ましたものが、森長おこしです。溶けきらなかった黒砂糖が生地の中に残っているのがうちの黒おこしの特長です。
 長崎街道は南蛮の砂糖が伝えられた道・シュガーロードですから、それが古くからある乾米と出会って生まれた黒おこしは、米どころ諫早ならではのお菓子といえるでしょう」
 おこしといえば固いお菓子という印象があるが、森長のおこしは歯ごたえがありながらも、しっとりとした味わい。噛むほどに、米と黒砂糖の素朴な味と香ばしさが口の中で広がっていく。昔ながらに手作りでおこしを延ばし、黒砂糖を散らした復刻版黒おこしは、そのおいしさが際立つ逸品だ。

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復刻版黒おこし   黒おこし

進化するカステラ

 昭和50年(1975)、森長はおこしに加えて、カステラの製造販売も始めた。
「おこしと同じく、しっとり感があるのが、おいしいカステラの条件でしょうね」
 と、森会長。そのしっとり感を追求し、大ヒット商品となったのが、平成21年に発売した「半熟生カステラ」だ。外はフワッ、中はトロトロ。まさに"半熟"、新感覚のカステラ。こちらの話は、このお菓子を開発した7代目社長の森淳さん(昭和44年生まれ)にうかがった。
「十数年前に、カステラの原形ともいわれるポルトガル菓子・パン・デ・ローを試験販売しました。人気はあったのですが、定番商品となるまでには至りませんでした。ただ、それをきっかけにして、卵をたっぷり使ったやわらかなカステラを作ろうという発想が生まれました。
 基本的には、卵黄を普通のカステラの倍使うことを考えました。ところが、材料の配合が違うので焼き加減がわかりません。ドロドロになったり、途中で破裂したりと失敗の連続。試行錯誤を繰り返して、なんとか完成させましたが、日持ちさせるために冷凍を採用したのも正解でした。できたてよりも、いったん冷凍させると、味が落ち着くんです」
 森長は、カステラ業界には遅れて参入したために、こうした斬新な商品の開発にも取り組みやすかったという。半熟生カステラは、テレビなどメディアで次々に取り上げられ、大ヒット商品になった。
「古いものこそ新鮮だ、今の若い人には、そういう受け取り方があると思うんです。おこしにしろ、カステラにしろ、古きよき伝統の菓子を、これからの子どもたちにもきちんと伝えてゆきたいと思っています」
 お二人が声をそろえて将来への展望を語られた。

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半熟生カステラ

クスの若葉のそよぎ

会長の森長之さんは、諌早市の芸術文化連盟の会長として諫早の文化活動にも深く関わっておられる。
「私は、伝統の菓子は地域の文化とともにあるという考えです。諫早には、詩人の伊東静雄、若くして亡くなった芥川賞作家の野呂邦暢、脚本家で作家の市川森一、父が諫早出身だった洋画家の野口弥太郎といったゆかりの人々がいます。こういう方々の仕事を後世に伝えて、諫早の文化を育ててゆくことも、地元から恩恵を受けた私どもの責務だと思っています」
 店を出た後、この地を治めた諌早氏の館跡・御書院や菩提寺である天祐寺などに加えて、詩人や作家の文学碑、諌早市美術・歴史館などを巡った。
 野呂邦暢文学碑が麓にある上山公園の山を見上げると、山頂までクスの大木が、むらむらと若葉を茂らせていた。
 この自然と歴史のなかでこそ銘菓が生まれ育まれたのだと強く感じた散歩であった。

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慶巌寺。筑紫琴の名手であった4世住職に、のちの八橋検校が入門したことから、箏曲「六段」発祥の地とされる。   野呂邦暢文学碑。上山公園内。42歳の若さでこの世を去った純文学者・野呂邦暢は、諫早を愛し、ここを舞台に多くの名作を残した。芥川賞作家。

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御書院。諫早高校内。初代諫早領主・龍造寺家晴によって壮大な屋敷が築造された、桃山様式の池泉回遊式庭園。

菓秀苑 森長

長崎県諫早市八坂町3-10 0957(22)4337

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寛政5年に創業して
220余年が過ぎました。
いつの時代もチャレンジャーで
いたいと思っています。

森 長之