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東京湾の入口に位置する館山湾は、海越しに霊峰・富士を仰ぐ。言葉を忘れてしばし佇む観光客が多い。 |
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黒潮の海と富士山と
房総半島の歴史は、黒潮を抜きには語れない。かつて半島の南部が「安房」と呼ばれたのも、その昔、四国の阿波(徳島県)の氏族が新天地を求めて大海に漕ぎ出し、黒潮に乗って運ばれたこの地に故郷の名をつけたためと伝わる。
また、「勝浦」や「白浜」など、紀伊半島にあるものと同じ地名が多いのも、中世以降、黒潮を利用して漁をしたり、物資を運んでいた紀州の人たちが住み着いたからだそうだ。実際、房総の地引き網漁は紀州の漁民が伝えた技術という。
平成の今も、黒潮の海は人々を引き寄せる。サーフィン、潮干狩り、海水浴……。さらに暖かな海流がもたらす温暖な気候は、1年中この地を花で彩る。
東京湾アクアラインを利用すれば、都心から車で2時間程で「鏡ケ浦」とも呼ばれる波静かな館山湾の浜辺に立つ。目の前には海を隔てて霊峰富士が予想外の大きさでそびえている。思わず歓声を上げてしまう絶景だ。
かつて南房総を訪れた正岡子規は、この地を、
山はいがいが 海はどんどん 菜の花は黄に 麦青し すみれ たんぽぽ つくづくし
と詠んだ。
今回の旅は、この歌に導かれて南房総の中心である館山市へ。房総土産の定番菓子「花菜娘」で広く知られる房洋堂を訪ねた。
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崖観音。断崖に張り付くように建てられている大福寺の観音堂。 海上からも見え、漁民や海運業の人々の信仰が厚い。南房総では、 こうした崖や切り立った岩山など独特の地形が目につく。 |
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南房総国定公園内にある館山の海水浴場は、県内でもトップクラスの透明度を誇る。磯遊びやサーフィンなども盛ん。 |
銘菓「花菜っ娘」誕生
房洋堂の創業は大正12年(1923)である。折しも、木更津から館山まで鉄道が延長された時期で、館山の町が活気を帯び始めたなか、初代が材木商から転じての開業であった。
現在の社長は3代目の煖エ弘之さん(昭和14年生まれ)。大学卒業後、大手の菓子メーカーに勤めた後、家業に戻ったそうだ。
「私が入社した昭和40年前後は高度成長の真っただ中で、房総にもレジャーブームの波が押し寄せていました。いろいろな観光施設からオリジナルの土産菓子の注文が入り、そのたびにアイデアを凝らして菓子作りに励んでいました。
ただ、どの菓子も日持ちが今一つ。何とかならないかと苦慮していたところ、旅先でアルミホイルに包まれた焼き菓子を見かけました。空気に触れない分、賞味期限が長い菓子が作れるのではないかと、旅から帰るとすぐにホイル包みの焼き菓子を手作りで試行
錯誤し始めました」
これが代表銘菓「花菜っ娘」誕生のきっかけだ。昭和50年(1975)、菓子は化粧箱に詰められ店頭に並んだ。
「花菜っ娘」は、しっとりとした乳菓生地で黄身餡を包んだ菓子だ。生地や餡に地元特産の牛乳と卵を使っており、食べると柔らかな甘みとともに豊かな香りが広がる。まず地元で贈答用に喜ばれた。
さらに、包み紙には南房総を象徴する黄色の菜の花畑に女の子を配したイラストを用い、房総の明るい印象を打ち出した。ちなみに、「花菜」とは、房総での観賞用の菜の花の呼び名である。
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鶴谷八幡宮の例大祭「やわたん まち」。名工たちの手による見事な彫刻が施された神輿や山車、お船が多数繰り出し、毎年10万人の人出でにぎわう。今年は9月19・20日。千葉県指定無形民俗文化財。 |
「地元」へのこだわり
「花菜っ娘」の好調の中、煖エさんは昭和52年(1977)に3代目を継いだ。翌年には本社工場を新築。日本経済はまもなくバブル景気へと突入した。房洋堂のお菓子も売れに売れる。しかし、平成になってまもなく、バブルは崩壊。観光客は激減し、土産菓子の需要は急落していった。
「何を作っても売れない」
苦境のなか、平成10年(1998)に盛岡で行われた全国菓子大博覧会が大きな転機となった。
「会場に並んだ京都や金沢や松江といった日本有数の城下町の銘菓を見ているうちに、田舎の菓子屋だというコンプレックスが、逆に払拭されたんです。伝統も文化も、そういう街には叶わない、であるなら、南房総の風土と房州人の気質を込めた菓子を作るほかない、と。そして、それには地元の産物を徹底的に研究し、そのおいしさをお菓子で表現すればいいのだと」
良質な菓子素材を探して煖エさんの県内行脚が始まった。
房総半島は1周約420キロ、東京―仙台間に相当するほどの距離になる。その広大な半島の内部には丘陵地を利用した田畑が広がり、多くの作物が栽培されている。都道府県別でいえば、梨や落花生の生産高は全国1位、ビワやスイカは2位、サツマイモは3位。さらに卵の生産は2位、生乳は5位……。豊かな地元産の素材にこだわり、そのおいしさを生かしたお菓子をと考えていくと、次々にアイデアが浮かんできた。
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房総フラワーライン。房総半島の先端をぐるりとまわる花に彩られたドライブウェイ。周辺にフラワーパークも多数。 |
ふるさとの菓子作り
地元の恵みを菓子にしていくという煖エさんの姿勢は、今も続いている。
例えば、代表銘菓の一つである「房総果樹園」は、涼やかな夏菓子として好評を得てきたが、近年、人気の梨を加えて評判を上げている。また、房州ビワを使った「びわゼリー」は、高級志向にも応えるように選りすぐりの大粒ビワのみを使ったワンランク上の「プレミアム房州びわゼリー」を作って新たな顧客を開拓した。
「創業100年を迎えるまでに、房洋堂を後世に残るブランドに育てられたらと思っています。豊かな自然の恵みに職人の技を加えたふるさとの菓子作りを続けていく。そしてそれが房総の町つくりにまで繋がっている。それが今後も、私の仕事の道しるべになっ
ていくでしょうね」
黒潮で鍛えられた房州人の性格の特徴は、明るく、開拓者精神が旺盛なことだそうだ。「千葉県って、アメリカのカリフォルニア州に似ていると思いませんか? 風土が明るく、産業のバランスが良く、海空の便もいい。しかし、どちらも伝統文化が少ない」
南房総の陽ざしのような、おおらかな笑顔がはじけた。
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洲埼灯台。大正8年、東京湾の玄関口に建てられた館山のシンボル。右手に東京湾、左手に太平洋が広がる。 |
房洋堂
千葉県館山市安布里780 電話:0470(23)5111
千葉の豊かな恵みを
菓子で伝える企業として
後世に価値を残したい。