ホーム > 菓子街道を歩く 熊本 No.192
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市電の走る熊本市のメインストリート、通町筋。電停に降り立ち顔を上げると、熊本城の天守閣が目の前に。 |
明治29年、一人の英語教師が熊本の旧制五高(現熊本大学)に赴任してきた。後の文豪夏目漱石である。
漱石はここ熊本で結婚し、父親となり、イギリス留学に旅立つまでの4年3カ月を過ごした。その日々のことを後年尋ね
られて、まず熊本の街を「森の都」と称賛し、熊本の人々が驚くほど“親切”であること、さらに五高生の礼儀正しさに触れて、「熊本の家庭には武士道精神が残っている」と語った。誠に良い気風だ、と。
文豪がたたえたその街は、現在、人口74万人を擁する政令指定都市となっている。
一番の繁華街は、市電が行きかう通町筋から南北に伸びる上通りと下通りのアーケード街周辺で、昼も夜も地元の人や観光客で賑わっている。
そして通町筋の突き当りにそびえるのが熊本のシンボル熊本城。肥後熊本藩主・加藤清正が7年の歳月をかけて築いた名城である。
大小天守をはじめ櫓49、櫓門18、城門29を数え、城郭の周囲は約5・3qにも及ぶ豪壮雄大な構え。天守閣などの主要な建物は西南戦争で焼失し、再建されたものだが、難攻不落といわれた城の威容は今も健在。しかし、それ以上に見る者の心をわしづかみにするのが、その美しさだ。
多様な魅力を持つ街、熊本。今回の旅は、熊本土産の定番「誉の陣太鼓」で広く知られるお菓子の香梅を訪ねた。
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水前寺成趣園。熊本藩主細川家が年月をかけて造園した桃山式回遊庭園。園内の「古今伝授の間」(県重文)から見る景色は絶景。 | 熊本城の「武者返し」の石垣。攻め手が登れないよう、上に行くほど勾配がけわしくなるように石積みされている。 | 阿蘇山。世界最大級のカルデラを持つ活火山。水道水もすべて地下水でまかなっている熊本市の水源でもある。 |
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熊本市現代美術館。繁華街の中心にあり、建築と一体化したアートがいたるところに。 | 夏目漱石 内坪井旧居。熊本滞在中6回の転居を繰り返した漱石の5番目の家。現在は市指定史跡の記念館となっている。 |
お菓子の香梅の創業は、戦後間もない昭和24年(1949)のこと。現在、当主を務める副島健史さん(昭和40年生まれ)が3代目になる。
「創業者は副島梅太郎、私の祖父です。佐賀の生まれですが、大正7年、8歳の時に家族と共に台湾(当時は日本統治時代)に渡り、12歳で一六軒という菓子屋に奉公に出ました。後に明治、森永と並んで三大製菓といわれた新高製菓の前身です。
店主は森平太郎という人で、作家の北方謙三さんの曽祖父にあたる方。梅太郎は森さんを生涯の師と仰いでいました。菓子作りと共に、人生哲学も教えていただいたようです」
終戦まもなく、一家は台湾から引き揚げた。一旦、人吉に身を寄せるが、梅太郎はすぐに熊本へ出て、昭和24年に現在の本店がある場所に副島菓子店を開業。翌年には、藤崎宮の宮司につけていただいた「香梅」を屋号にした。
「創業時から和菓子だけでなくシュークリームなどの洋菓子も手掛けていました。そうしたなか、当社の出世作となったのが “肥後五十四万石”です。漉し餡を求肥で包み、薄種ではさんだ菓子で、今もずっと大切にしています」
薄種に押された焼印は、細川家の九曜の紋。城下町・熊本の華やぎと気品を写した菓子は、茶の湯の盛んな熊本の人々が待ちかねたもの。現在も人気は劣えず、店の看板商品の一つだ。
「そして昭和33年(1958)に、代表銘菓の誉の陣太鼓が誕生しました。やわらかい求肥を、すっきりとした甘さのふっくらみずみずしい小豆餡で包んだ菓子です。それまで求肥で餡を包んだ菓子はありましたが、餡で求肥を包んだものは無く、逆転の発想が評判となりました。
ところが、当初はすべてが手作りだったため1日70個が精一杯。それで機械を入れることにしたのですが、手作りに比べると求肥や餡の水分がうまく保てないのです。
試行錯誤を重ねて、納得いくものができるようになったのは11年後。紙缶詰と呼んでいる密封包装の機械を開発しました。これで保存料も食品添加物も使わずに、砂糖、大納言小豆、麦芽糖、餅粉、水飴、寒天、食塩だけで作るこの菓子が、みずみずしさを保つことができるようになりました。また、その副産物として、60日の日持ちも可能になりました」
金色の包装紙ごと、同封された紙ナイフで切ると、作りたてのように艶々と輝く求肥と小豆餡が現れる。現在、誉の陣太鼓の売り上げは、総売
り上げの7割以上を占めているそうだ。
「初代は“お菓子は平和の使者”という言葉を信念として掲げていました。また、“孫に食べさせられない菓子は作らない”ともよく申しておりました。その教え通り、安心で安全な、食べて笑顔になるような菓子しか作らないというのが我が社の基本です。厳しい目で材料を吟味していかなければ、次代につなげていけません。
一方で、昔作った菓子が古く感じないように商品力を高めていくことも重要です。さらに、時代をとらえた新しい商品を開発できる職人が育つ土壌、社風をつくっていかなければならないと思っています」
初代から3代続く真っすぐな経営姿勢は、文化支援事業やメセナ活動の原動力ともなっている。
たとえば熊本の観光名所である水前寺成趣園の中にある「古今伝授之間」は細川家初代・幽斎公ゆかりの由緒ある建築物だが、その維持管理を引き受けて15年になる。
また、熊本出身の優れた女性芸術家を支援する「香梅アートアワード」の創設や、プロバスケットボールチーム「熊本ヴォルターズ」のスポンサー。さらに、県内各地にある直営店のうち4店舗には、お客様がアート作品を展示したり演奏会が開けるスペースをつくっている。
お菓子の香梅の企業理念は「くつろぎのごちそう」。一所懸命に働いた後のほっとした時間に、心の満足が得られるような菓子を作っていこうという姿勢を言葉にしたものだ。
柔らかいが、強い決心を秘めた言葉に、夏目漱石が感動した「熊本人の親切」を思い出した。
熊本市中央区白山1-6-31 TEL 096(366)5151
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「菓子屋の基本は、
誠実な菓子作りをすること、
それに尽きます。」