ホーム > 菓子街道を歩く 仙台 No.193
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仙台七夕まつりは8月6〜8日の開催。© 仙台七夕まつり協賛会 |
入道雲が湧く夏空の下、今年も仙台の街がひときわ賑わうハレの日がやって来た。仙台七夕まつりである。
毎年、8月6日から8日の3日間、市街中心部の繁華街に豪華絢爛な七夕飾りが並び立ち、緑陰の道にも民家の軒先にも人々の願いを込めた「七つ飾り」が揺れて、仙台は夏の盛りを迎えるのだ。
仙台市は108万人の人口を抱える東北最大の都市である。古くからひらけていたが、17世紀初頭に伊達政宗が広瀬川の河岸段丘に建設した城と城下町が、現在の仙台の土台となっている。
政宗公の騎馬像が建つ青葉城跡に登れば、緑あふれる仙台の街が一望できる。市街地を蛇行しながら流れるのが広瀬川。その流れに沿うように、国宝「大崎八幡宮」や政宗公の霊廟「瑞鳳殿」など由緒ある見どころが点在する。
夏の七夕だけでなく、武者行列が練り歩く春の「青葉まつり」や冬の「光のページェント」などの催しも、さすが“伊達者”の伝統を受け継ぐ街ならではの華やぎがある。
今回は、この美しき杜の都に、延宝3年(1675)創業の菓子店「九重本舗玉澤」を訪ねた。
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定禅寺通り。杜の都・仙台を象徴するケヤキ並木。夏の「ジャズフェスティバル」などイベントも盛ん。 | 伊達政宗公の騎馬像。青葉山の山上に残る青葉城(伊達城)趾に建っている。眼下に仙台市街がひろがる。 | 瑞鳳殿。仙台藩祖・伊達政宗が眠る豪華絢爛な霊廟。七夕まつり期間中は参道百段や本殿周辺に竹灯籠がともる。 |
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広瀬川。蛇行しながら仙台の市街地をゆったりと貫流する一級河川。奥羽山脈に発し、名取川との合流地点まで約45キロにわたり流れる。この清流と深い緑が、仙台を際立って美しい街にしている。 | 大崎八幡宮。伊達政宗公の命によって造営された神社。社殿は安土桃山文化を伝える遺構として国宝に指定されている。毎年小正月に行われる松焚祭の裸参りが有名。 |
九重本舗玉澤の当主は、14代目の近江貴生さん。昭和51年(1976)生まれで、ちょうど40歳を迎えたところだ。
「当店は、菓子職人だった初代の玉澤伝蔵が、茶道が盛んな仙台藩に近江(今の滋賀県)から招かれ、国分町に店を構えたのが始まりです。
戦後、仙台駅に近い南町通りに本店を移転したのですが、近年、都市再開発のために移転を余儀なくされ、現在は本店は置かずに百貨店などに直営店舗を出しています」
市街地から少し離れたところにある本社・工場を訪れると、一室に初代の木像が置かれ、作り立ての上生菓子とお茶が供えられていた。目を引くのはその菓子の美しさ。品の良い意匠はさすが御用御菓子司の暖簾を掲げてきた老舗ならではである。
さらに、玉澤の代表銘菓といえば、店名ともなっている「九重」だろう。水を注ぐとコップの中で小さな粒が動き出し、次々と表面に浮かび上がってくる。
「九重は明治34年に生まれた銘菓です。餅を薄く伸ばして霰状に切り、銅鍋に入れて火にかけます。水飴と果汁などを加えて3〜4時間、手で混ぜながらコーティングして作ります。
簡単に言えばジュースの素ですが、なかなか手のかかる菓子なんです。飲むとほっとするような菓子になればと、日々、丁寧に作っています」
九重は柚子味、ぶどう味、挽き茶味の3種類。夏には氷水を注いで涼むも良し、冬は熱々で温まるも良しだ。
玉澤には、手技の極みのような銘菓がもう一つある。初秋から初夏まで期間限定で販売されている「霜ばしら」だ。
化粧缶入りの菓子で、粉雪のような上南粉をかき分けると、半透明の飴菓子がまさに霜柱状にぎっしりと並んで現れる。一つつまんで口に入れると、途端に甘味だけを残してスッと溶けていく。
「材料は砂糖と水飴だけです。それを合わせて空気を含ませながら幾度となく手で引き伸ばして作るのですが、この作業が本当に難しいんです。湿気が大敵なので、蔵王から吹き降りる乾いた西風の通り道に専用の工場を造っているのですが、それでも微かな湿度や温度の違いで飴の状態が変わってしまう。例えば海から東風が吹く日は飴がべたつき、透明感が出なくなる。その日の気象と相談しながら、一瞬も気を抜かずに作っています」
実は、近江さんは昨年春に代表に就くまでは20年余、この菓子一筋に生きてきた菓子職人なのである。今も1年のうち9カ月ほどは毎日深夜1時過ぎに自宅を出て工場に向かい、2時半から午後1時頃まで休憩なしで仕事をしているのだそうだ。
「深夜から午前中にかけて仕事をするのは、午後よりも湿度や温度が安定しているからです。この菓子は途中で寝かす工程が無いので、手を休めることができません。しかも熱い飴を扱うので室温は40度。水分だけを補給しながら、10時間、作り続けます」
技術と経験はもちろん、忍耐力も体力も必要なきつい作業を、信頼できるスタッフたちと息を合わせてこなしていく。美しく繊細な菓子の秘密が、ここにあった。
近江さんが1年半前に若くして社長に就任したのは、先代で父である近江嘉彦氏の急逝によるものだ。
何の引き継ぎもなく、突然渡されたバトン。わからないことだらけの状況で、近江家に代々伝わる家訓が、一つの道しるべになったという。
「“牛歩確進”という言葉です。牛のようにゆっくりとした歩みでも、ともかく確実に前に進め、という意味です。
私を盛り立ててくれている弟や、営業関係を仕切ってくれている番頭をはじめとする頼りになる社員たちがいるのですから、あとはよい菓子を作って行くだけ、と前を向きました。
菓子が何のためにあるかというと、私は人の心を和らげるためにあるのだろうと思っています。東日本大震災を経験して、改めてそのことを実感しました。明治に生まれた“九重”や昭和の“霜ばしら”は、まさにそれに応える菓子だったと思います。それに続く平成の菓子を、私も作りたいと思っています」
5年前の東日本大震災や、先代の急逝など、度重なる試練を乗り越えてきた若き当主が、未来に続く夢を明るい真顔で語ってくれた。
願いと祈りの七夕の星祭りが、今年もやってくる。
仙台市太白区郡山4-2-1(本社) TEL 022(246)3211
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「どこにもない、
ここにしかない
菓子を作っていきたいと
思っています。」