ホーム > 菓子街道を歩く 松山 No.194
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道後温泉本館。道後温泉の温泉共同浴場。神の湯本館棟などが国の重文。 |
人口52万を数える四国最大の街・松山には、伊予の国らしく、みかん色に塗装された路面電車が市中をのんびりと行き交っている。時折、この軌道をゴトンゴトンと鉄輪の音を響かせて走ってくるのが、蒸気機関車を模した、その名も「坊っちゃん列車」。行先は、夏目漱石が小説『坊っちゃん』で主人公が毎日通っていると綴った道後温泉だ。
道後温泉は『日本書紀』にも登場する古湯で、今も18本の源泉からなめらかな湯が汲み上げられている。近年は斬新なアートイベントでも話題を集め、海外からの観光客も急増しているという。
温泉街のシンボルは、ご存じ、道後温泉本館。風格あふれる玄関前は、湯浴み前に記念撮影する人でいつも順番待ち状態だが、松山の旅で、ここははずせない。
ちなみに、松山ならではの撮影ポイントで、もう一つおすすめがある。道後温泉本館の軒先にもある松山市観光俳句ポストだ。俳句の革命児・正岡子規の生誕の地が松山ということで、松山城や坂の上の雲ミュージアム、萬翠荘といった観光名所をはじめ市内90余箇所に設置されている。一句浮かんだら、どうぞ気軽に投句してください、というわけだ。
松山市では今、「ことばの力」をキーワードとしたまちづくりが行われている。夏には、全国の高校生が俳句の腕を競う「俳句甲子園」が開催され、街を歩けば、いたるところで一般の人が投稿した様々な「ことばのメッセージ」に出合う。
湯と言葉が湧く街・松山に、羊羹の名店として知られる薄墨羊羹を訪ねた。
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松山城。天守閣など21棟が重文。山裾から8合目までロープウェイとリフトが運行している。 | 坂の上の雲ミュージアム。正岡子規、秋山好古・真之兄弟という松山出身の三人を主人公に日本の近代を描いた司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』をテーマにした博物館。建築は安藤忠雄、開館は2007年。 |
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萬翠荘。大正時代に旧松山藩主の子孫にあたる久松伯爵が建てたフランス風洋館。外観やロココ調のインテリアに大正ロマンが香る。 |
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観光俳句ポスト。誰でも自由に投句できるポスト。2か月ごとに開函され、優秀作は折々に発表される。 | 商店街に掲げられている「ことばのタペストリー」や路面電車の車両、空港の階段など、いろいろなところで「ことば」に出合う。「松山や…」は子規の句。 |
薄墨羊羹の本店は、松山随一の商店街・大街道と、いよてつ松山市駅から続く銀天街という二つのアーケード商店街が交わるあたりにある。古くからの繁華街だが、最近になってこだわりの店などが増えて、再び注目エリアになってきているという。その中で、薄墨羊羹の店構えは、ひときわ斬新で人目をひく。
当主は、1年余り前に父の中野英文さんから店を引き継いだ中野恵太さん。昭和56年生まれ。35歳の若さだ。
「私で7代目になります。当店の創業は、空襲で古い史料を焼失していて正確ではないのですが、明治初期の新聞に支店の記事が載っていることや他の古文書などから江戸後期だろうと推察しています。
代表銘菓の薄墨羊羹も初代の創案で、松山の桜の名所・西法寺の薄墨桜にちなんだ菓銘が評判となって今日まで続いています」
薄墨桜とは、天武天皇の妃が病気療養で道後温泉を訪れた折、西法寺に平癒祈願して全快したことから、天皇より賜ったと伝わる名桜。その名をいただいた薄墨羊羹は、切り分けると羊羹に散らした手亡豆が風に舞う桜の花びらのように浮かび上がる。
「素材がシンプルなだけに、砂糖は甘さのくどくないザラメを使い、小豆と糸寒天も最上級のものを選び抜いています。自社で製餡のプラントを持っているので、商品それぞれに合う餡をブレンドできるのが当店の強みです」
その餡にこだわる老舗で新しい挑戦が始まったのは、今から3年ほど前のことだ。
「それまでも水羊羹と錦玉羹を2層にした『三笑』や『愛媛みかん羊羹』などの新しい商品を作ってはいましたが、どうしても羊羹は進物用の菓子という印象が強く、顧客が広がりませんでした。そこで、気軽に羊羹を楽しんでいただけるように、餡ファンというブランドを立ち上げて、新商品の展開を始めました。
例えば『ウスズミキューブ』は、切る手間がいらない一口サイズの羊羹です。チョコレートやキャラメルなど様々な洋の素材ともマッチさせて、餡のおいしさを知っていただこうという発想で作りました。
また、和菓子という先入観なく手に取っていただけるよう、すべての菓子のパッケージ・デザインを一新しました。そして、同時期に店舗も改築。ここにも若々しいデザインを取り入れました」
店の半分は、お菓子を包む間に、「一服してください」と、お茶とお菓子でもてなすスペース。ここでどら焼きや最中などで餡のおいしさをあらためて知り、店のファンになる人が増えている。
実は、中野さんは28歳の時に心臓に重い疾患が見つかり、生死をかけて大手術を受けた過去を持つ。人の一生について考え続けた時間の中で、当たり前に過ごしていた日々が、かけがえのない一日一日であったこと、そしてどれほどの愛情に包まれて育ってきたかということに気づいて、人生観が一変したと言う。
中野さんが社長に就任して作った社員手帳に、こんな言葉がある。
「朝起きて、仕事のできることに感謝し、家族・同僚との絆を大切にし、同じ時代に生きる縁の不思議さと喜びを共有して、多くのお客様や関係する方々が応援してくれる会社にします」
誰にも、命の限りがあることを知った人の言葉はシンプルで力がある。
「今、いろいろな仕掛けが動いています。例えば、薄墨羊羹をJAXAに宇宙食として提案したり、アートと薄墨羊羹のコラボを企画したり…」
こうしたものが付加価値となって、店のブランドイメージを上げることにつながれば、という思いだそうだ。
「病気から復活して5年、社長に就任して2年がたちました。毎日、“私が先頭に立って汗をかいて働きたい。皆さんのご協力をお願いします”という気持ちでやっています」
ことば幸う城下町の一角で、今朝も真摯な菓子作りが始まっている。
愛媛県松山市大街道1-2-2 TEL 089(943)0438
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「一度きりの人生です。
小さな野心をずっと持って
いたいと思っています」