ホーム > 菓子街道を歩く 小布施 No.198
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北斎館の前から高井鴻山記念館に通じる「栗の小径」。時代を感じさせる建物に挟まれ、道脇の樹木の中には、小布施の象徴のような栗の大木も。 |
栗の間伐材を敷き詰めた、足にやさしい「栗の小径」。緩やかな起伏の先は、鍵の手の曲がり角になっている。立ち止まって、道の脇を流れる水路をのぞき込みたくなる。周囲を囲む土蔵造りや黒瓦の建物の一つに、英語で「Welcome to My Garden」の表示がある。誰でも自由に庭に入れるオープンガーデンの家だ。遠慮なく、でも、そっとお邪魔する。手入れの行き届いた樹木を楽しみつつ庭を抜けると、車の行き来する表通りに通じていた。ちょっとしたラビリンス(迷路)を抜けた気分だ。
「年をとってリタイヤしたときに、車を使わなくても生活しやすいように」
ひとことで言えば、それが、小布施の街づくりのねらいだったと、小布施堂当主の市村次夫さん。小布施堂は宝暦年間(1751〜64)から地元で酒造りなどをしている市村家が、明治になって始めた栗菓子の老舗だ。
市村さんは40年前、会社員をやめて故郷へ戻り、志を同じくする現町長のいとことともに「町並み修景事業」を始めた。その際、会社員時代の転勤先での体験が頭にあった。工場地帯と住宅地区のゾーニング。3年住んで「とんでもない」と思った。
「工場も住み家も店舗もみんな一緒のところにある、その複合性が楽しいのに」
その考え方は「10年後になってやっと、建築界でも『混在性』などという言葉ができて認められた」。それを、40年前、自分たちで考え実行した。
町並みの軸になるのは、市村家のかかわる小布施堂や桝一市村酒造場のある一帯。手狭になりつつあった菓子工場を、あえて郊外へ移転させなかった。隣接する地権者や信用金庫、行政と、それぞれが対等な立場で話し合い、お互い納得のゆく土地交換や賃貸契約を行って修景事業の基礎を固めた。江戸や明治の古い建物を生かしつつ、他所から古民家を移築し、雰囲気を壊さない新しい建物も建てた。
「小布施は京都のように町家の密度が高い町ではなく、屋敷建築と町家建築が混在しています。外部空間を塀で区切らず建物で囲み、庭を回遊のために使う。広い意味の住空間の充実を図りました」
古い町並みに戻すのではなく、新旧の建物が調和しつつ、甍の波の下、暮らしている人が楽しい「味わい空間」をつくる――これが、小布施の修景事業だった。
出来上がったのが昭和62年(1987)。「小布施方式」として全国から注目された。新しい住空間は「北斎館」などの開設も相まって観光客にも喜ばれ、年間100万人を超す人々が訪れるようになった。
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晩年に小布施を愛し4度も逗留した浮世絵画家・葛飾北斎。北斎館は男浪・女浪の怒涛図など、その肉筆画40余点を収蔵する。 | 市村家の先祖で、江戸末期、豪農・豪商の当主だった高井鴻山。北斎を小布施に招くとともに、自らも絵・書・和漢詩を良くした教養人だった。記念館には北斎のためのアトリエ・碧漪軒(へきいけん)や 書斎兼サロンの翛然楼(ゆうぜんろう)など。 |
小布施堂本店のレストラン。春はアスパラガス、夏は丸なす、秋は栗、それぞれの季節の地元の特産品が和のメニューにのぼる。修景された味わい空間は地場産品のショールームでもあるのだ。「地場とはいってもレベルに達しないものはダメ」。産品の質、加工品の質にこだわることで、中央に負けない生活文化を築き、さらには消費情報もあふれている状況をつくろうとしている。それを市村さんは「産地から王国へ」の運動と位置付けている。
その際のキーワードは、情報だ。もともと、小布施は情報感度の高い町だった。市村さんの5代前の当主、高井鴻山は、小布施へ葛飾北斎を招いた人だが、その時代の交流は北斎のみならず、幕閣の勝海舟や雄藩の松平春嶽、山岡鉄舟らの文人墨客、大阪や松代の商人、佐久間象山、大塩平八郎まで多岐にわたった。
明治に建てた市村家の本宅は、7割が客用の座敷で占められている。外から来る人をもてなし、外部から刺激と情報を手にする仕組みが、伝統として生きている。アメリカ人女性のセーラ・マリ・カミングスさんを取締役として迎え入れたのもそんな流れの中でのことかもしれない。彼女の突破力を生かして、木桶仕込みの酒の復活や、多彩な分野の識者を講師に招いた「小布施ッション」、小布施の町を楽しみながら走る「小布施見にマラソン」など刺激的な企画が次々実行され、観光客は120万人を超えた。
そのカミングスさんはいま、県内の別の場所に去り、小布施は、ゆったりした時間を探し始めているように見える。小布施堂では、この春、「三つ栗」のついた墨色と栗餡色に、化粧箱を一新した。原点に戻って生菓子を軸に、新商品づくりに力を入れている。
新栗が採れる9月の半ばから10月半ばまでは、本店と市村家の本宅座敷で超人気菓子、「栗の点心 朱雀」が提供される。採れたての栗を蒸して皮を除き、そうめん状に裏漉ししたものを栗餡に盛る。
普段は、本宅の蔵を改装したカフェ「えんとつ」で、洋菓子の「モンブラン朱雀」が味わえる。土産品でも、定番の「栗鹿ノ子」「栗羊羹」「楽雁」に加え、「栗あんせんべい」「青竹水栗羊羹」「くりあんケーキ」など、これまでの殻を破る新製品が目白押しだ。
この春、小布施町の「北斎館」が収蔵する葛飾北斎の肉筆画など13点が大英博物館で展示され、好評を博した。改めて外国人の旅行者などに北斎人気が高まる兆しがある。
「北斎館」から「高井鴻山記念館」を経て、「おぶせミュージアム・中島千波館」へ。野の花が咲く穏やかな田舎道に、子どもたちの遊び声も聞こえる。国道と町の機能を一体化させる「市庭通り」委員会が、関係者総出で進んでいる。
味わい空間は、今も少しずつ前進している。市村さんは、「ぜひ現地で、五感で味わってください」と言う。あえて残した菓子工場からは、いつもかすかな栗の香りが町に漂う。
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長野県上高井郡小布施町808 026(247)2027
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「暮らす人が楽しい町、
小布施の町並みを
五感で味わってください」