ホーム > 菓子街道を歩く 松江 No.201
![]() |
小船に乗って松江城下をゆっくりとまわる「堀川めぐり」。今年は船内でお茶が楽しめる「茶の湯 堀川遊覧船」も出ている。 |
松江藩第7代藩主、松平治郷。号は不昧。松江の茶道文化の礎を築いた茶人として知られ、文政元年(1818)に68歳で没した。
200年後の命日にあたる4月24日、松江は雨に煙り、宍道湖には墨絵のようにシジミ漁の船が浮かんでいた。
「ええ日にいらしたなあ。松江には雨が似合います」。
平成27年に天守閣などが国宝に指定された松江城址の堀端で、土産物雑貨店の女主人が穏やかな笑顔を表に向けた。
城の周辺には松江藩家臣の上・中級武士が住まった屋敷が、まだ相当数、その面影を残している。明治時代にラフカディオ・ハーンが住んで、数々の幻想的物語を着想した小さな庭を持つ屋敷も、記念館になって大勢の外国人観光客を呼んでいた。築地塀越しに松の緑がみずみずしく、松を大事にする文化が根付いていると感じさせる。そう、松江は松と水(江)の都なのだ。
狭い歩道を後ろから急いできた高校生に道を譲ると、かかとをそろえてきちんとお辞儀し、「ありがとうございました」と礼を言って追い越してゆく。
坂道を上り、不昧公ゆかりの茅葺き茶室「明々庵」のある丘に登ると、向かいの小山に松江城の天守閣がぽっかりと浮かんでいた。
お城の南側、寺院の多い街並みにある風流堂本店の奥座敷。生菓子と抹茶をいただきながら、4代目当主・内藤守さんの不昧公への思いを伺う。
「松江松平家に殿様が15代あっても、公≠ニかさん≠テけされるのは不昧さんだけです」。
風流堂が作る日本三大銘菓の一つが「山川」。不昧公の茶席に供されたと伝えられ、明治以降、その製法がすたれていた幻の味を、百年忌の大茶会を機に2代目が再現した。
材料に使う寒梅粉を、内藤さんが手のひらに乗せてくれた。米の粉を一度せんべいに焼いてから粉砕したもので、少し湿り気を与え指先でもむと、しっとりとまとまる。この硬すぎず軟らかすぎずの程よい食感が、「山川」の命だ。
「百年忌の大茶会では大変な評判になって製造が間に合わず、まだ粉が熱いうちに席に出したと聞いています」。
「和菓子屋としては大変お世話になっていますが、じゃあ不昧公好みとはどんなものかと聞かれると、一口には難しい」と、内藤さん。スケールの大きな、多面性を備えた君主だったようだ。
記録によると不昧公は17歳で藩主になって以来、度重なる大凶作、飢饉、虫害などで危機に瀕していた藩財政をリストラと殖産振興で立て直した。江戸藩邸の経費を節減し、藩士の役職料を減らし、金利不払いなどで借金を整理する強面の手法の一方、朝鮮人参、木綿、たばこ、ハゼ蝋など米以外の商品作物の生産を奨励した。
なかでも地元の砂鉄によるたたら製鉄は、当時全国の8割を超える生産量で藩財政を支えたとされる。砂鉄と炭を炉に投じて純度の高い鉄を取り出す日本古来の製法だ。
「三日三晩焚き続けるから、めちゃくちゃ炭がいる。従事していた人は俗にたたら十万といわれて、その8割がたは木こりと炭焼きだった。できた鉄は宍道湖畔に運んで船で松江へ。いい鉄は兵庫の三木や新潟の三条へ運んで刀や刃物にし、質の悪いものは地元で鍬などにした……」。
和菓子屋の内藤さんが鉄について語る口調が熱いのは、それが松江の茶道文化、菓子文化を支えた根っこだからだろう。
不昧公は参勤交代で国入りするたび「国見」と称して、鉄師と呼ばれるたたらの元締めの家を回った。鉄師の家では、不昧公のおめがねにかなうよう絵師や工人を招いて京都や江戸に引けを取らないかけ軸、屏風、椀皿、菓子などを整えた。それらは後に村人に披露され、庶民の間に目利きが生まれるもととなった。
![]() |
![]() |
|
松江藩主松平家の菩提寺・月照寺。広大な境内に、初代から9代までの藩主の廟所が並んでいる。 | 宍道湖。朝な夕なに、街なかから漁をする風景が見られる。 |
寛政から文化文政にかけ不昧公治世下の40年間、藩経済は高度成長を続け、人口も増え続けた。年貢は安く、庶民の暮らしは楽だった。他藩への輸出を目指して栽培が奨励された茶は、藩内の豊かな農民や町人の消費に回り、「あぜ道で漬物をつまみながら抹茶を飲む」ような普段着の茶道文化をもたらした。
「茶禅一味」で利休に帰ることを唱え、厳しい美意識に沿って天下の茶道具を収集した不昧公。その膝下で松江の人々は、時に藩から出される贅沢禁止のための茶の湯禁令にもあらがい、隠し茶室まで作って茶を楽しんだ。
現在も松江市は世帯当たりの抹茶の消費量日本一、人口当たりの和菓子店数日本一という。
今年の「不昧公200年祭」を記念して市内の和菓子店が腕を競った「不昧菓」で、風流堂は、不昧の茶会記に見える菓子銘「うすがすみ」をテーマに社内コンペを行い、煉り切り「薄霞」を創作した。パステル調の色合いが若々しい菓子だ。こうした新たな動きの中に、数年前から次女で5代目を継ぐ予定の内藤葉子さんが立ち働く姿が目立つようになってきている。
雨の松江で、松江城天守閣、ハーンがしばしば立ち寄った城山稲荷神社、不昧公の廟のある月照寺を巡った。不昧公の廟は歴代の中でもひときわ小高い場所にあり、松の枝越しに天守閣が望める。あたかも、今も松江を見守っているかのようだ。
![]() |
島根県松江市寺町151
TEL : 0852(21)3241
![]() |
![]() |
伝統を忘れることなく、
新時代に合わせていく。
「不易流行」の言葉を胸に、
ゆったり松江流で
菓子を作っています。