ホーム > 菓子街道を歩く 大垣 No.202
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交通の要衝として栄えた大垣の船町湊跡。大垣城外堀のこの川湊から運河などで海へ通じていた。 |
赤・橙・黄・緑・青。直径4センチに満たない薄い半透明の円盤が各色2枚ずつ、白い紙箱の中に並んでいる。これが菓子だと聞かなければ、何だと思うだろう。菓子だと聞けば、どんな味を想像するだろう。岐阜県大垣市の柿羊羹で知られる「つちや」が2015年に創り出した「みずのいろ」は、その美しさと斬新さで菓子好きや和菓子業界を驚かせている。
「水は無色透明ですが、様々な景色や季節を映して、その色を変えていきます。それを菓子に映してみたいと考えました」
赤は湖面に映った紅葉、橙は山粧う木々の色……など、栞の言葉は9代目の槌谷祐哉さん(1971年生まれ)が書いた。「水都」大垣で育ち、水とともに菓子を作ってきた思いがこもっている。
槌谷さんは、生まれた時、祖父の7代目に数珠で頭をなでられたという。後継者となる長男誕生を祝う家のしきたりだ。大きくなると、「海外を経験させよ」という祖父からの申し送りに従いイギリスの大学に留学。帰国すると、家業を継ぐため北海道の有名菓子メーカーへ修業に出た。
しかし、毎日がおもしろくない。ある日、修業先の社長に言われた。「つちやの社長には誰でもなれるぞ」。家を継ぐのはわけはないが、本物の経営者になれるかどうかは別の話という意味だ。これで目が覚めた。
24歳で大垣に戻って家を継ぎ、病気がちだった8代目の父親に代わり、29歳の若さで社長に。スケールメリットを求める経営方針を転換し、18店あった店舗を12まで減らしていった。父親とは衝突し続けたが、目指したのは「お客様に店に足を運んでもらえるエンタテインメント性のある菓子屋」だ。
店の未来が新商品開発にかかっていると考えた槌谷さんは、「菓子の供養塔を建てなきゃならない」ほど、新商品を作っては葬る試行錯誤を繰り返した。その中で生まれたのが「みずのいろ」だ。制作のヒントは、フランス菓子のマカロン。売れ行きが鈍っていた羊羹の色や形を考え抜き、代々受け継ぎ高めてきた羊羹作りの技で薄く丸い形を作り、ハーブティーなどで上品に色付けした。
ほのかな香りとともに、ほろほろ溶ける不思議な食感。日本茶だけでなく、コーヒー、紅茶、ウイスキーなんでも合う。その繊細さから10日以上前に注文し、店舗でしか受け取れない「幻の菓子」だ。
「地下は、水ばかり。豆腐の上に街が乗っている」と槌谷さんは表現する。木曽川、長良川、揖斐川、三つの大河が流れ、縦横に運河が通じる大垣。井戸を掘れば自噴するほど豊かな水の恵みも、ひとたび豪雨や洪水の形で牙をむけば、暮らしの難儀は、過去にも現在にも枚挙にいとまがない。子どもの頃の槌谷さんは、「道路が川みたいに水につかった」記憶をはっきり持っている。旧市街はいわゆる輪中という堤防で囲まれ、消防団ならぬ水防団組織があって、水と闘ってきた。
その歴史の中で育まれた独特の身内ファースト「輪中根性」は、明治の御一新の後、力を発揮した。城下町の殿さまが東京に移り、芯の抜けた町を再建するために、町衆がお金を出し合って水力発電所を建設。豊富な工業用水も相まって、当時の国の基幹産業だった紡績工場誘致に成功し、昭和の時代まで大垣の経済は潤った。
明治29年に建った「つちや」の堂々たる店構えには、その時代の華やぎがうかがわれる。大看板の「KAKIYOKAN」のローマ字が珍しい。進取の気性に富んだ6代目が紙に書いて職人に渡したKの脚が長すぎる文字も、そのままに作られたという。「つちや」の象徴のようなこの看板、将来、店舗を建て直しても保っていきたいと槌谷さんは言う。
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つちやの大看板 | 街の総鎮守・八幡神社の境内にある湧水場。大垣では市内各所で湧水が見られる。 |
「親父の子どもの頃には、本店から川湊を出ていく帆船の帆が見えたそうです。今も、街中に古い水路がたくさん残っています」
さらさらと、かすかな水音を聞きながら、その水路の一つ水門川に沿った遊歩道「四季の道」を歩いた。約40分の道のりの所々に、松尾芭蕉の奥の細道の句碑がある。
芭蕉は「笈の小文」の旅以来、大垣と縁を深め、親しい門人も多数いた。「奥の細道」の旅では、最初から「結び」の地を大垣と思い定めていたらしく、東北・北陸の歌枕を巡ったのち、この地に2週間滞在した。門人たちの手厚いもてなしは、旅に疲れた芭蕉に「蘇生のものにあふがごとく」の感を抱かせた。その後、伊勢へ向けて水門川の川湊から船出し、「蛤の ふたみに別 行秋そ」と、門人との別れを惜しんでいる。
川湊にはいま、静かに和船が浮かび、岸には奥の細道結びの地記念館が建つ。
「大垣の繁栄は、店の礎。町への協力を惜しむな」
代々の教えに従って、槌谷さんも地元の祭りに関わり、大垣の良さを発掘して地元の人に体験してもらう講座などにも力を入れてきた。そして、4代目が作り出した看板商品「柿羊羹」にも負けない「感動を提供できる菓子」の創出を目指している。
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元禄2年(1689)秋、大垣で「奥の細道」の旅を結んだ芭蕉は、船町湊から伊勢へとまた旅立った。 |
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岐阜県大垣市俵町39
TEL : 0120(78)5311
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大垣に住んでいるのは
幸せなことです。
この街にいるからこそ
思いつく菓子を
創っていけるのですから。