ホーム > 菓子街道を歩く 日本橋 No.203
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橋の南側には新装なった日本橋高島屋新館、東京日本橋タワー、コレド日本橋。北側には三越日本橋本店新館、コレド室町1・2・3、YUITOに日本橋三井タワー……。
明治44年(1911)に完成した国の重要文化財の石橋をはさんで林立する超高層ビル群は、いずれもここ15年ほどの間に都市再開発の一環として竣工したものだ。
お江戸%本橋の界隈は今、カメラのファインダーを縦位置にしても、なかなか入りきらない「立体的」な町に変貌している。一帯の再開発は、東京五輪を越えて2025年まで続く予定という。
その高層ビル群の足元、日本橋の南詰めにある船着き場から、ほぼ毎日、浅草や湾岸エリアを行き来するクルーズ船が発着している。
船から日本橋を見上げると、空は首都高速でさえぎられているが、欄干を彩る獅子や麒麟のレリーフがいくつか、こちらを見下ろしている。川面からの視点を重視したという、明治のデザインの証だろうか。
日本橋川から隅田川、東京湾へと船が進むと、見えてくるのはウォーターフロントにそびえ建つ高層マンション群。このマンション群や日本橋界隈が属する東京都中央区の人口は、最近20年間で7万人余から16万人余へと倍増した。都心回帰の傾向も後押しして、高層ビル街となった今も、日本橋にはどことなく人々の暮らしの匂いが漂う。
日本橋が「橋らしい橋」の形で架けられたのは、徳川家康が江戸に入って間もない慶長8年(1603)とされる。江戸から明治大正にかけては、日本橋川沿いに魚河岸が賑わい、威勢のいい掛け声が飛び交っていた。
界隈には魚河岸とつながりのある様々な店が生まれた。鰹節、つくだ煮、おでん種、お茶、海苔、包丁……。数えきれないほどの店が、関東大震災を機に魚河岸が築地に去ったのちも、時を超え、老舗として生き続けている。
菓子屋として創業した「井筒屋」時代から数えて二百年を迎えた榮太樓總本鋪も、そうした老舗の一つだ。
かつぎ屋台で、魚河岸で働く人たちに金鍔を売っていた3代目細田安兵衛(幼名栄太郎)が、幼名にちなんで屋号を「榮太樓」と改め、日本橋西河岸町(現在の榮太樓總本鋪のある場所)に店を構えたのは安政4年(1857)のこと。現社長の細田眞さん(1954年生まれ)は、
「金鍔もうまかったのでしょうが、3代目の栄太郎は、病身の父親を助ける孝行息子という評判を味方にしたり、店をわざと小さくして行列を作らせ賑わいを演出したり、歌舞伎の演目の中で店の名を言ってもらったりと、機知に富んだ工夫をした人だったようです」と言う。
この創意工夫の精神は、以来、店の伝統となった。
酸っぱくないのに梅干しに似た形から、しゃれ好きな江戸っ子に名付けられた「梅ぼ志飴」、皮が硬いため赤飯以外には使い道がなかったササゲ豆を使った甘納豆の元祖「甘名納糖」、菓子には珍しい本わさびを材料にした「玉だれ」……。いずれも、昔ながらの職人の手作りの味を保ちながら、「提供の方法」「容器」「場面の作り方」に、斬新なアイデアがあふれている。
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橋の北詰め東側にある「日本橋魚市場発祥の地」記念碑。 魚市場は17世紀の初めに開設され、関東大震災で被災して築地に移転するまで300年間にわたって江戸・東京の食生活を支えた。 | 日本国道路元標。 江戸時代から五街道の起点だった日本橋が、 日本中の国道の起点であることを示す。 橋上の道路の真ん中に埋め込まれているため、 橋の北詰め西側にレプリカが置かれている。 |
榮太樓總本鋪では今、いくつもの菓子ブランドを展開している。
リップグロス・タイプのなめられるチューブ入りや、アルファベットや絵文字で思いを伝える飴など、ブランドジュエリーや化粧品そっくりの華やかで夢のある飴菓子が並ぶのは「あめやえいたろう」。「にほんばしえいたろう」は飴、かりんとう、豆菓子などの和のおやつを、すべて200円の小袋に収めたシリーズ。糖質を抑えた羊羹やポリフェノールを含んだあずき茶など、健康志向を強調した「からだにえいたろう」。そのほか、量販店向け、都内数か所にある甘味処の特製品、昭和の銘菓を引き継いだ「ピーセン」もある。
「榮太樓は高級な菓子司≠ナはなく、大衆向けの菓子屋です。ただ、新しい工夫を大事にし、人真似はしない気風があります。昭和40年代に、日本で初めて缶切りのいらないプルトップ缶を導入したのも、実は榮太樓の缶入り水ようかんなんです」と細田さん。
関東大震災や戦災、バブル崩壊などを乗り越え、いまや売上60億、従業員250人。全国に販売網を展開している。
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日本橋本店は喫茶室「雪月花」を併設。その入口付近に、茶道具を展示するミニギャラリーがある。細田家は代々、江戸茶道「宗流時習軒」の家元を務める。 |
榮太樓總本鋪を出て日本橋界隈を散歩していると、折から宝田恵比寿神社の参道で秋の風物詩、べったら市が開かれていた。
師走には歳の市、年が明ければ初春の七福神巡りや初売り。榮太樓の店の前では鏡開きが行われ、餅入りお汁粉のおふるまいに人々が並ぶ。3月には桜フェスティバル、初夏には神田祭や山王まつり、7月には橋洗いと、界隈では今も街の人々が支える行事が続く。
首都高速の将来の撤去も決まり、日本橋の空は、文字通り明るくなりそうだ。
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東京都中央区日本橋1-2-5
TEL : 03-3271-7785
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日本橋のたもと、
江戸生まれの菓子屋です。
心を豊かにする菓子作りに
励んでいます。