ホーム > 菓子街道を歩く 佐賀 No.205
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各国から100機以上の熱気球が参加し、佐賀平野を眼下に飛行技術を競う「佐賀インターナショナルバルーンフェスタ」。毎年、80万人を超える観光客が佐賀市を訪れる、2019年の40回記念大会は10月31日〜11月4日開催。 |
一面の麦畑の中に、一直線の道が続く。佐賀市の南、有明海に近い江戸時代以来の干拓地だ。空を舞う白と黒のコントラストが鮮やかな鳥は、佐賀県のシンボル、カササギだろうか。
道はやがて、東よか干潟に突き当たる。遠くに無数の渡り鳥の群れ、水際には秋に紅葉するシチメンソウの群落。そして、いたるところにトビハゼやシオマネキ。ムツゴロウもどこかに潜っているのだろう。有明海ははるかに広く、麦畑も広く、空は一段と広い。この開放感が、佐賀だと実感する。
毎年秋に、各国から熱気球が集まって佐賀で世界大会が開かれるのも、この広い空があればこそと納得できる。
佐賀の銘菓マルボーロは、400年近い昔にポルトガルから伝えられた南蛮渡来の焼き菓子だ。九州の各地に似たような菓子が残るが、広大な佐賀平野で材料の小麦が採れることが、佐賀をマルボーロの本場にした。
この菓子で全国に知られる「北島」は、1696年に佐賀の城下町で数珠屋として創業した。その後、呉服や日用雑貨を扱い、4代目の時代からは佐賀藩の御用達となり、名字帯刀を許されるほど商いは大きくなった。
しかし、明治維新で状況は一変。その時、8代目の八郎が目をつけたのがボーロだった。長崎貿易に携わったご縁から南蛮菓子の製法を伝えていた由緒ある家に製法を教わり、製菓業に転身。息子の9代目、安次郎と一緒に「うまかばってん、堅か」と言われていたボーロに工夫を重ねて、柔らかで口に入れるとサラリと溶ける「丸芳露」を完成させた
現当主、香月道生さん(1960年生まれ)は12代目。安次郎の曾孫にあたる。
丸芳露は、まあるい形。最近拡充した工場では、毎朝、生地を手作業で型抜きするリズミカルな音が響く。工程のほとんどが手仕事。4人の職人が1日に焼く丸芳露は、約1万5千個。毎朝、「その日、最初に焼いた丸芳露の色形を見、ひとくち食べて」、材料となる数種類の小麦粉や卵、砂糖をわずかに調整しているという。
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佐賀藩10代藩主・鍋島直正と11代藩主・直大をまつる佐嘉神社。境内には佐賀藩が保有し、戊辰戦争で威力を発揮したアームストロング砲とカノン砲が復元・展示されている。 | 筑後川の河口近くに架かる「筑後川昇開橋」。旧国鉄佐賀線の橋梁として1935年に竣工。列車の通過時に、橋の中央部が降下していた。日本に現存する最古の昇開橋で、全長約507m、国の重要文化財。 |
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東よか干潟。日本有数の渡り鳥の中継地・越冬地で、ラムサール条約に登録されている。 |
北島は、佐賀市の中心部、長崎街道と中央大通りが交差する場所に、ポルトガル風の黄色い外壁の本店を構えている。店舗の上階にある香月さんの自宅で、不思議なものを見せてもらった。見た目は少し形が崩れた丸芳露。実は、ボーロ・デ・ジェンマ(卵の菓子)という名のポルトガルの菓子だという。大学卒業後に勤めたデパートを退職し、1年間ドイツに渡った香月さんは「丸芳露にそっくりな伝統菓子がある」という情報を頼りにポルトガルへ。
「リスボンのカフェを4、5軒回って手に入れました。表面に砂糖がかかっているけれど、割った中身はマルボーロそのもの。洋の東西に分かれた菓子が、400年経って、同じような大きさや形で残っていることに感動しました。衣食住に関するものは時と場所を超えて、一定の形に収れんしていくのでしょうか」
会社経営の原点となる様々な体験と共に持ち帰った丸芳露の“遠い親戚”は、「捨てるに忍びず」、30年にわたって香月さんの手元に保管されてきたのだ。
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丸芳露の素朴な姿と豊かな味わいは、 手作りならでは。 |
帰国後に商品化した「オブリガード」(ポルトガル語でありがとうの意)は、そのボーロ・デ・ジェンマを模したもので、砂糖のコーティングにショウガの香りが爽やかだ。ほかにもアンズジャムをはさんだ「花ぼうろ」、ゴマの香りとサクサクした食感の「ごまぼうろ」、玄米と黒糖の深みのある味の「玄ぼうろ」など。ボーロの兄弟姉妹はそれぞれ個性豊かだが、
「やはり北島の代表商品は丸芳露です。時代に合わせて新商品も作っていますが、それらは丸芳露を引き立てる脇役として育っていけばいいなと思っているんです」
香月さんの代になって北島は包装紙やパッケージのデザイン、店名・菓子銘のロゴを変えて、より洗練し、親しみやすくして全国にファンを増やしてきた。その売り上げの半分以上は、やはり丸芳露が占めている。
明るい日差しの注ぐ店頭に、最近、外国人客の姿が増えた。佐賀空港は、ここ数年で上海、韓国各地、台北からの航空便が定期化した。大都会・上海からでも1時間半で、緑豊かで空気がおいしい“桃源郷”にひとっ飛びで来れるのが魅力だという。
そもそも佐賀は、幕末・明治以来、いち早く海外に目を開いた土地で、さまざまな技術や制度の先駆者を輩出した。
有明海に近い早津江川のほとりにある三重津海軍所跡は、洋式船の修理が可能な日本最古のドライドックの跡で、「明治日本の産業革命遺産」として世界文化遺産に登録されている。その監督を務めていた佐賀藩士出身の佐野常民は、また日本赤十字社の生みの親でもあった。
大隈重信、江藤新平など、新時代を築いた政治家だけでなく、近代建築の先駆者・辰野金吾、近代医学の礎を築いた伊東玄朴、初の女性化学者・黒田チカなど、先進的文化人も枚挙にいとまがない。
そうした人々に会いたければ、佐賀市の中央大通りを歩くとよい。佐賀ゆかりの25人の偉人が、歴史から抜け出したような姿で立っている。
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佐賀県佐賀市白山2-2-5
TEL :0952 (26) 4161
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丸芳露 | 花ぼうろ |
もともと丸芳露は、
先祖が他のお店に
教えていただいた菓子です。
その恩返しのためにも、
代々が努力を惜しまず、
よりおいしくと作ってきました。