七夕と書いてどうして「たなばた」と読むのでしょう。すでにこの文字と読みのズレの中に、七夕の複雑な性格がひそんでいます。牽牛星すなわち鷲座のアルタイルと織女星の琴座のヴェガの恋の物語である中国のお祭りと、日本の棚機女の信仰が習合して生まれた年中行事であることが、文字(中国)と読み(日本)という複雑さにあらわれているのです。
五節句というと、何かおめでたい日であるかのように思えますが、実は反対です。むしろ厄日なのです。日本人は厄とかケガレがいつの間にか体にくっついてしまうと考えてきました。外を歩いていれば知らず知らずのうちにケガレに触れてしまうことがあります。同様に、厄も年月を経るうちにくっついてきます。ですから、時々、ケガレをキヨメ、厄を払う必要があって、それをまとめてやってしまおう、というのが節句です。
厄払いやキヨメの作法は、日本の大切な文化です。その中で最も一般的なのは「水に流す」という方法。要領よく、人間のかわり( 形代)を見立てて、これに厄を着てもらって水(川)に流してしまいます。それって、ちょっと安易じゃない、という気もしますが、日本人は四季折々、それどころか毎月、毎日というくらい、キヨメをしないと気持ちが悪いと思ってきました。
七夕も実は、飾ったものを川に流す七夕流しをもって終了します。しかし、今ではそこまでやらないので、厄払い・ケガレをキヨメルという七夕の意味がわかりにくくなっているといえましょう。
はじめから理屈っぽい話になって恐縮でした。
さて、中国では牽牛は牛ですから農耕の象徴でしょう。織女は織物ですから工業です。農業と工業が合体して文明が生まれると考えると、七夕は人間の歴史を象徴する寓話かもしれません。
見事に織られた裂は権威を表し、マジカルな力を持ちます。そこで、機織りが巧みであるように乞い願う乞巧奠という行事が中国で生まれて、日本に伝わります。七月七日の夜が晴れて、天の川が天心にかかり、それをはさんで牽牛星と織女星が見つめ合うかごとく輝くのを見ながら、技の向上を願って供え物をする行事が、日本の宮中でもおこなわれました。
一方、日本には水辺で棚機を使う女性が、神の来臨を待って一夜を過ごし、神を送り出すという信仰がありました。これも中国の影響がないかというと、そうもいえませんが、面白いのは、その神がケガレを払い、神を送り出すと、その土地も人もキヨメられるということです。効果は厄払いです。
ところで日本に入った乞巧奠は、機織りよりも和歌の上達、さらに庶民には書道の上達へと幅を広げて、現代の、笹に短冊をつるして願いごとを書くお祭りに変わってきました。しかし、つい最近まで、いや今でも、その笹や短冊、供え物を川や海に流すという習いが、場所によってはおこなわれています。
古代日本の乞巧奠では、内膳司から索餅が宮中に献上されるということが、記録にあらわれます。索餅は「おこり」などの病を防ぐ力がある特別な食べ物というのですが、実体は何なのか、よくわかりません。一説には小麦粉を紐状にして二本をねじり合わせた菓子だとも言われてきましたが、最近、奥村彪生さんが『日本めん食文化の一三〇〇年』という本を出されて、自ら古代の索餅作りに挑戦した結果、太さ二・五ミリくらいの手のべ素麺(もちろん今の手のべ素麺とは製法が違いますが)であることを実証しました。私も奥村さんの本を読むまでは、索餅に「むぎなわ」という読みがあるくらいですから、縄くらいに太い小麦粉を練った紐状のものと思っていましたが、実はもっとずっと細くて、まさに素麺の原型といえることが明らかになったというわけです。ちなみに素麺の関係団体では、七月七日を素麺の日としています。
江戸時代の宮中の七夕行事には素麺が登場します。後水尾天皇(一五九六〜一六八〇)が著した『当時年中行事』には、和歌を書いた梶の葉(実際、私も筆で書いてみましたが、表面がザラザラした梶の葉に、まことによく墨がのるのに驚かされました)で、索餅を包み、これを梶の皮と素麺で十文字にくくって、女房が屋根の上に放り上げる、とあります。これですと索餅と
素麺が別ものになってしまいますが、はっきりと素麺が七夕の行事に一役買っています。
索餅と素麺の考証はともかくとして、今では素麺はお菓子ではありませんが、かつては重要な間食でした。七夕というと、織物や五色の糸をイメージしたお菓子、梶の葉、笹をモチーフにしたお菓子が趣向として目立ちます。これに加えて素麺を上手にアレンジしても面白いかもしれません。そういえば三輪素麺の山本さんは、恋素麺という紅白の素麺を出しています。七夕の一夜、恋が成就するのを願って、これをすするのも一興でしょう。
■菓子製作:佐藤慎太郎(乃し梅本舗 佐藤屋/山形県山形市)
1943 年、東京生まれ。国立民族学博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授、(財)林原美術館館長、静岡文化芸術大学学長。茶道史、料理文化史を中心に幅広く日本文化を研究。主な著書に『日本料理の歴史』(吉川弘文館)、『文化としてのマナー』(岩波書店)、『近代数寄者の茶の湯』(河原書店)、『茶の湯の歴史――千利休まで』(朝日新聞社)、『小堀遠州茶友録』(中央公論新社)、『後水尾天皇』(中央公論新社)ほか多数。