ハッサクと言っても、みかんの八朔ではありません。八月朔日(一日)のことで、この日は今でも古い伝統のあるお家では大事な儀式の日となっています。
真夏の一番暑い頃ですが、茶の湯の家元・表千家に十職といわれる職家の皆さんが、夏の紋付に威儀を正して朝から集まります。十職というのは家元の好みものなどの茶道具を造る十軒の職家さんで、たとえば茶碗や花入、水指などの色絵の焼きものを造る永樂善五郎さんや楽茶碗を造り続けて四百年を超える樂吉左衛門さん、表具の奥村吉兵衛さん、袋師の土田友湖さん、塗りものの中村宗哲さん、一閑張りの飛来一閑さん、釜師の大西清右衛門さん、柄杓をはじめとする竹芸の黒田正玄さんなど、それぞれ茶道具の専門分野を担当する方々です。
職家さんは毎月一回、家元に挨拶に見えるのですが、ことに八月一日の八朔には全員揃って家元とともにお茶を一服いただき、日頃の道具の好みの工夫や、新しい好みのアイディアなど、家元との情報交換が行われるそうです。
それにしてもなぜ八月一日に、そんな行事があるのでしょうか。
そもそも八月一日すなわち八朔は、徳川幕府にとって創立記念日のような日でした。天正十八年(一五九〇)八月一日は、豊臣秀吉から新しい所領として与えられた江戸に徳川家康が入城した記念すべき日でした。以来、江戸にいる大名は八朔には登城し、将軍に拝謁するのが習いであり、武士であれば主君のもとへ挨拶に行き、使用人は勤め先の主家へ赴くのが習慣となりました。
ところが八朔という行事は、家康の江戸入城以前からあるのです。むしろ伝統的な祝日である八朔を選んで、家康は江戸に入城を果たしたのでしょう。
八朔のことを別に「たのみの節句」といいます。たのみは「田の実」で、ちょうど稲に実がつく頃、今年の豊作を農耕の神に頼む日が八朔でした。
田の実は「頼み、憑み」に通じます。そこで、普段から御世話になっている方へ贈り物をして、さらに一層、目をかけてくださるよう「頼む」日になったのです。ですから、先の家元へ職家さんが挨拶に行くように、昔風にいえば主家へ、出入りの職人がより深いご縁を結びに出掛ける日でもありました。
室町時代などには、この日の贈答がなかなか盛んであった様子が公家の日記などに書かれています。武家の場合、太刀や馬の献上がありましたが、庶民はお赤飯を炊いて配ったり、ちょっと変わっているのは葉付きの生姜を贈ったといいます。その呼称も今は消えかけていますが、北関東や静岡では、八朔を「生姜節句」ともいいました。八朔に生姜味のお菓子を作って贈り物にするのもおもしろいのではないでしょうか。
京都では、八朔を古く「姫瓜の節句」といった由。姫瓜に紅や白粉で顔を描いて竹で胴をつけ、着物など着せて人形を作ります。これを八朔人形ともいい、最後は川に流します。そこは雛祭りに似ています。それにしても、かわいい姫瓜に顔を描いて遊ぶのは何とも優雅ですね。
『枕草紙』にも「うつくしきもの」として「瓜にかきたる児の顔」とあります。これも八朔にちなむお菓子になりそうな感じがあります。
さて、八朔のキーワードは何か。一つは「白」です。八朔に登城する大名は、白帷子を着用するのが約束。長沢利明氏が引用しておられますが、山東京伝の『五節句童講釈』に、こんな話が載っています。
ある武士が主君のもとへ八朔の祝儀に赴こうと白帷子の装束にあらためたところ、幼い娘が硯箱を取り落としてせっかくの白帷子が墨で汚れてしまいました。武士は縁起が悪いから出仕を取りやめると言いだします。すると女房がその墨で一首したためて主人に差し出しました。「御出世を白帷子のお墨付き、これは神より知らせなるらむ」。女房機転の一首に機嫌を直した武士は、新しい白帷子にあらためて無事に出仕したそうです。偉大なる哉! 女房殿、といったところです。
武士ばかりではありません。「八朔の白無垢」といって、吉原の遊女もこの日は白無垢の小袖を着ました。日本のファッションはだいたいが遊郭とか芝居といった、いわゆる悪所が発信地で、やがてそれが上流階層に及ぶという、下から上へという流行の展開をみるのが普通ですが、稀に、このように武士の儀礼の装束が庶民の風俗に影響を与えるという上から下への流行もありました。吉原の白無垢は大名の白帷子の真似でしょう。
八朔は白、というイメージはどこからくるのか。これも先の長沢氏の指摘が当たっていると思うのですが、八月は旧暦でいう秋。その秋の色の白が、ここに象徴されているのでしょう。方角でいえば西。西を守る四神は白虎。ちょうど二十四節気の白露も八朔に近い頃です。いよいよ秋たけなわという八朔に、白のイメージがぴったりします。ここから、白を基調とするお菓子のイメージが広がるように思います。
■菓子製作:菊岡洋之(本家菊屋/奈良県大和郡山市)
1943 年、東京生まれ。国立民族学博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授、(財)林原美術館館長、静岡文化芸術大学学長。茶道史、料理文化史を中心に幅広く日本文化を研究。主な著書に『日本料理の歴史』(吉川弘文館)、『文化としてのマナー』(岩波書店)、『近代数寄者の茶の湯』(河原書店)、『茶の湯の歴史――千利休まで』(朝日新聞社)、『小堀遠州茶友録』(中央公論新社)、『後水尾天皇』(中央公論新社)ほか多数。