先日、フランスのソルボンヌ大学元学長のピット先生が京都にいらっしゃいました。ピット先生は地理学者ですが日本の食文化にとても詳しくて、今、和食の世界無形文化遺産登録にも側面から応援していただいています。そこで京都の日本料理アカデミーのメンバーが、先生を迎えての招宴を開きました。
宴たけなわの頃、刺身のつまの小菊を、先生がおいしそうに食べています。菊がお好きですかと伺うと、大好きな由。それなら食用菊の代表「もってのほか」(新潟などでは「おもいのほか」とも)は? と伺いますと、これまた大好きと。実は私も大好きで意気投合しました。愛でてよし、香ってよし、食べてよし。こんな花は他にありますまい。
菊は秋の象徴。なんといっても九月九日の重陽の節句は別の名が菊の節句。昔から延命長寿を願う日となっています(敬老の日は、本来九月九日にすべきではないでしょうか)。
中国の古代。皇帝に愛された美少年がおりました。ところが誤って皇帝の枕をまたいでしまい、宮中から追放されてしまいます。山中に住むことになった少年を、皇帝は憐れに思って「法華経」の言葉を伝授します。せっかく教えてもらった言葉を忘れてはいけないと、少年は菊の葉に経文を書きました。その菊の葉は露を結び、露はやがて下を流れる川にしたたり落ちてゆきました。するとどうでしょう。川の水は何ともいえぬ甘露となり、それを飲んだ少年は永遠に年をとらず、少年の姿のままの仙人になったという伝説があります。
この伝説が能に仕立てられて「菊慈童」(あるいは「枕慈童」)となりますように、菊といえば健康長寿がすぐに思い浮かびます。
九という数字が最大の数で、しかも九が重なる九月九日は「いく久しく」という意味にもなりましょう。この日には日本の宮中でも菊酒を飲み、夜の間、屋外に置いた菊の花に綿をかぶせ、その綿についた夜露で肌をなでると不老長寿が得られるという「きせ綿」の行事が行われました。
重陽の節句は五節句の一つで、やはり厄を払う日でもありました。厄が消えれば無病息災で長寿が得られるわけで、同じことなのですが、実は菊が厄払いの大切なアイテムなのです。春の厄払いによもぎの強烈な香りが効果ありと信じられていたように、菊の強烈な香りが厄を払ってくれると信じられていました。そういえば除虫菊という強烈な菊があって虫も殺してしまうくらいだから、なるほど厄も払えるだろう、とつい連想しますが、これは間違い。除虫菊が日本に入ってきたのは明治時代で、関係ありません。
それはさておき、重陽の節句が日本に入ってくると、なぜか男同士の盟約の日にも発展します。一番有名なのは、上田秋成の『雨月物語』中の「菊花の約」です。義兄弟の契りを結んだ二人の武士が重陽の日の再会を約して別れます。しかしその兄の方は遠方で捕らわれの身となり、とてもその日に弟を訪ねることができません。肉体を捨て魂魄となれば一日に千里を走るということを思い出して、兄は牢中で自殺。その魂が幽霊となって弟のもとを約束の日に尋ねてくるというお話です。その契りは恋にも似た、いささかアヤしげな雰囲気があります。
重陽の日にはグミ(茱萸)も大切なアイテム。これも中国の伝説が元ですが、グミの枝を持って高い山に登った人々が災難をまぬがれたところから、グミの実を入れた美しいグミ袋を作って飾るのも、重陽の節句の習いです。
菓子製作:越乃雪本舗 大和屋(新潟県長岡市)
1943 年、東京生まれ。国立民族学博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授、(財)林原美術館館長、静岡文化芸術大学学長。茶道史、料理文化史を中心に幅広く日本文化を研究。主な著書に『日本料理の歴史』(吉川弘文館)、『文化としてのマナー』(岩波書店)、『近代数寄者の茶の湯』(河原書店)、『茶の湯の歴史――千利休まで』(朝日新聞社)、『小堀遠州茶友録』(中央公論新社)、『後水尾天皇』(中央公論新社)ほか多数。