日本の文化−四季のうつろい(十一)

ホーム > 日本の文化−四季のうつろい(十一)節分 熊倉功夫 No.183

節分 熊倉功夫

福枡 静岡のあるホテルの中の茶店で、とてもシャレた焼きものの鉢をみつけました。外側は鬼の面なのですが、内側はお多福の面になっていて、まさに鬼は外、福は内、そのままなのです。節分の菓子器にしたら面白いと思って買い求めました。
 この焼きものは賎機焼という静岡市中の山の麓で焼かれていた窯のもので、昔は浅間神社の土器などを焼いていたのでしょうが、のちに日用雑器も作り、その古い趣向の一つが鬼は外、福は内の鉢とか盃でした。一度廃絶した窯を今、再興して焼いていて、私が買ったのもそのコピーです。
 節分といえば豆まき。豆まきといえば鬼がつきものですが、実際の豆まきには鬼は登場しません。われわれは見えない鬼を追い払うわけで、なんだか心もとないのですが、しかしやらないと気持ちが悪くて、わが家でも寒夜に窓や戸をあけて豆をまくことにしています。


鬼は外、ひいらぎ どうして豆ぐらいで鬼が逃げるのか、よくわかりません。豆鉄砲を喰らって驚くのは鳩ぐらいのものでしょう。ですから、豆まきは、もともとは春になって、畑に豆を蒔く姿を写したものだという説もあります。
 室町時代(15世紀)から豆打といって節分の夜に豆で鬼を払うようになりました。鬼は外、福は内という掛け声も当時の記録にありますので、いわば節分を年の暮れと考えて、季節の変わり目の厄払いの豆打と、新しい年の豊作を祈願する豆まきが一緒になったのが節分の豆まきではありますまいか。
 節分は立春の前日です。立春は新年とは別に二十四節気の一つです。ところが、先に述べましたように、節分と立春があたかも歳暮と新年の行事のようになりました。年の暮れには一年の厄を払わなければいけません。まず鬼を近づけぬこと。その一つは邪鬼がいやがるものを並べてバリアーをはりめぐらせようという仕掛けです。


お多福 節分というとイワシの頭を柊の枝にさして門口に立てるという風習が思い出されますが、これはまさに鬼がいやがる魚の匂いと、目つぶしと言われる鋭いとげのある柊を一緒にして鬼を入れまいという魂胆です。

 なかには髪の毛やネギ、さらにトベラという悪臭を発する木の葉を燃やしたりする地方があるそうです。とにかく悪臭が厄払いになるというのは妙なもので、案山子の語源もここにあると言われています。つまりカカシは「嗅がし」のなまりで、悪臭をたてて鳥や獣を追い払った行事の名残りということでしょう。こうなると、節分は悪臭プンプンということになりそうですが、そうとばかりはいえません。


お福煎餅 厄払いを頼んで神社にお参りする人が、大阪では思い思いに変装したそうです。節分の参詣となると一種のお祭り。お祭りであれば仮装が約束です。顔をお面をかぶって隠したのが、とりどりの衣裳の変装にまで及びました。現代でいえば、ハロウィンの仮装のようなもの。京都の花街にある「お化け」もその一つです。芸妓さんが狂言の男の役に扮装したり、なじみのお客が芸妓さんの衣裳を借りて女装したり、とにかくいろいろに"バケ"て大騒ぎをします。そのまま厄落としに神社に出かけたり、芸妓さんは衣裳のまま、あちこち座敷をまわったり大忙し。あげくの果てに雑魚寝などという乱痴気騒ぎをするのも、節分ならではの楽しみでした。
 節分のお菓子もいろいろありますが、さすがにお化けの趣向のお菓子はなさそうです。

菓子製作:越乃雪本舗 大和屋(新潟県長岡市)

熊倉功夫

1943 年、東京生まれ。国立民族学博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授、(財)林原美術館館長、静岡文化芸術大学学長。茶道史、料理文化史を中心に幅広く日本文化を研究。主な著書に『日本料理の歴史』(吉川弘文館)、『文化としてのマナー』(岩波書店)、『近代数寄者の茶の湯』(河原書店)、『茶の湯の歴史――千利休まで』(朝日新聞社)、『小堀遠州茶友録』(中央公論新社)、『後水尾天皇』(中央公論新社)ほか多数。