日本からユネスコ(国際連合教育科学文化機構)に提案した「和食:日本人の伝統的な食文化」が、無形文化遺産に登録されました。その第一報が入ったのが昨年十二月四日の深夜。私は推進役の一人でしたから、思いがけず「時の人」になって取材ぜめにあいました。
和食が世界の無形文化遺産になった、といって、よく質問されたのは、スキヤキは和食ですか、トンカツは、ラーメンは、タコヤキは、といったたぐいの和食の領域に関わることでした。そのたびに私は「今回の登録は、個々の料理を言っているのではありません。和食という伝統的な食文化が登録されたのです」と答えます。一つ一つの料理について議論していたら、本質が見失われます。
もちろん和食の基本はご飯です。ご飯が主食。ご飯をおいしく食べるための味噌汁、お菜、漬けもの。この四つの要素からなる献立が、和食の基本です。とはいえ、麺類もお餅も入りますが、基本の基本だけはしっかり頭に入れておいてください。
しかし、もっと大切なことは和食の食べ方です。日本人はそれぞれの素の味を大切にします。刺身は魚の新鮮なうま味、歯ごたえを楽しむものですから、全く味つけをしていません。食べる時に、刺身に醤油をつけ、わさびを溶き、口中でそれぞれの味が一体となる瞬間を楽しみます。それだけではありません。続いて淡白な味わいのご飯を一口食べて、おいしく食事が進むのです。
日本の自然環境は、食材の宝庫です。モンスーン気候の中にあって四季がはっきりと変化し、平均雨量一七〇〇ミリの豊かな雨は国土の七〇%に及ぶ山地を駆け下りて清流となって平野部に注ぎます。山、里、川の豊富な食材が生まれます。四周を取り囲む海には暖流と寒流が交錯し、四〇〇〇種という魚が棲み、ミネラルいっぱいの海藻が成長します。こうした自然の恵みが和食の食卓に届けられるのです。
アメリカ人の学者とテレビで対談した時、彼が言ったことは、日本に来て食卓に並ぶ料理が四季に変わることに驚いた由。アメリカでは一年中、ほとんど食材が変わらないと言っていました。
季節の食べものを楽しむのは、和食の特色です。旬の食材を使うのはどこの国でも同じでしょうが、日本人は旬だけを楽しむのではなく、出始めの初物を楽しみます。それを"はしり"とも言いましょう。そして一番の盛りの"旬"。さらに季節の終わりに味わいが変化したところを楽しむ"名残り"。落ち鮎とか秋茄子など、嬉しいものです。
和食といえば、なんといっても和菓子とお茶です。和菓子は自然の恵みと季節の変化を最大限いかした日本独自のお菓子ですから、和食の提案書にも一言ですが書き加えました。和食の特長が動物性油脂をあまり含まぬ健康に良い点にあると書きましたが、和菓子も同じです。和食文化は日本人のコミュニケーションの場であり、地域や家族の絆であると記しました。和菓子もまた、味わいだけでなく、その姿や趣向を通して、幸せを祈る心を伝える大切な文化です。梅から桃へ、桃から桜へ、桜から藤へと移り変わってゆく花暦に合わせて、美しいお菓子が季節をまとって登場してきます。こんな繊細な感性を持ったお菓子がどこの国にありましょうか。
先日、大阪にある「暮しのミュージアム」へ参りました。ここには年間三万人からの外国のお客様がみえますが、彼らの一番の人気スポットは「和服の着付けコーナー」です。日本の着物が外国で大変な人気です。どうやらこれからは「和の季節」が始まるのではないでしょうか。アメリカで日本酒のフェスティバルを開催すると、何千人という日本酒ファンが集まります。今、日本茶も輸出に向けて出動中。みな、和食ブームのおかげです。
こんなすばらしい和の文化の価値を、すっかり見失っているのが、われわれ日本人です。和室も和の食器も生活の中から急速に消えつつあります。おいしくて安全な日本の食べものを食べないで、今や食料自給率は四〇%を割っています。これこそ和食の危機です。家庭では和食は面倒とか高くつくとか、子どもが嫌いといって作る回数が落ち込んでいます。急須のないお家が増え、和菓子もお漬けものも食べたことのない若者があらわれているのが現状です。
その和の文化に、外国の人々の目が集まっています。和食の無形文化遺産登録は、こうした国内外のギャップを埋めるよい機会です。
国内では伝統を次世代に伝え、新しい和の文化を創造することが求められましょう。外へは、本当の和の文化を知ってもらう努力がさらに必要です。遺産登録はゴールではありません。和の季節のスタートなのです。
菓子製作:越乃雪本舗 大和屋(新潟県長岡市)
1943年、東京生まれ。国立民族学博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授、静岡文化芸術大学学長。茶道史、料理文化史を中心に幅広く日本文化を研究。主な著書に『日本料理の歴史』(吉川弘文館)、『文化としてのマナー』(岩波書店)、『茶の湯の歴史――千利休まで』(朝日新聞社)、『小堀遠州茶友録』(中央公論新社)、『後水尾天皇』(中央公論新社)、『茶の湯日和』(里文出版)ほか多数。「和食」文化の保護・継承国民会議(平成25年7月に「日本食文化のユネスコ無形文化遺産化推進協議会」から名称改変)会長。