和食文化がユネスコの無形文化遺産に登録されて、早くも一年を経過しました。昨秋十一月には、ユネスコのボコバ事務局長が来日して、無形文化遺産の登録認定書を授与するセレモニーが名古屋で開かれました。
和食文化の担い手は日本国民全員ですから、特定の個人や団体に渡すわけにはゆきません。そこで日本政府を代表して下村文部科学大臣が受け取ることになり、私も和食国民会議の会長として式に参列しました。ようやく和食文化の保護・継承の動きも本格化したかなと思わせる出来事でした。
和食文化というと、どうしても料理そのものへ目が集まりがちですが、その及ぶ範囲はすこぶる広いものです。何といっても、それを取り囲む大切な要素は、日本酒、日本茶、そして和菓子です。
ことに和菓子は、われわれが提案した和食文化の精神にぴったりだと思います。提案のなかで、まず日本人の伝統的な食文化が「自然の尊重」という精神に支えられていると書きました。具体的に自然の尊重とはどういうことを言っているのでしょうか。
日本人にとって自然とは、この世に存在するありとあらゆるものであり、その一つ一つに宿る「カミ」様なのです。自然とともにあり、自然によって生かされていると感じる中にカミが宿っている、といったら大袈裟でしょうか。そうした八百万のカミを福とともに招き寄せ、邪悪なカミを打ち払って、われわれは生きているわけですが、その招福攘災の願いが、和食にも和菓子にもいっぱい盛り込まれていることは、再三述べてきたところです。
花鳥風月という言葉があります。何と美しい言葉でしょう。よくよく見ると、また意味深い言葉です。
花は桜だけを指すのではなく、植物すべてを含んでいると考えてはいかがでしょう。とすると、鳥は動物のシンボル。花鳥で、生きとし生けるものをすべて包含しています。風は天候、気候です。川の流れ、潮の流れ、地上の自然の運行は風に象徴されます。月はいうまでもなく宇宙です。ビッグ・バンによって誕生した宇宙は、人間の想像力を超えた存在です。微小な細胞から無限の宇宙まで、たった四文字で包含する言葉が、花鳥風月なのです。
花鳥風月を友とし、モチーフにして五感を楽しませてくれる和菓子。言い換えると、和菓子は神羅万象を包み込む偉大な文化かもしれません。
まず花を見ることにしましょう。自然界の花は、すべて和菓子の表現に力を貸してくれます。花をモチーフにした和菓子がいかに多いことか。そうかと思えば、能の世阿弥は「秘すれば花」と言っています。また花には年齢に応じた、その時々の花があるといいます。この花は一瞬にして姿を現し、一瞬に消えてしまう美しさです。いつも棚晒しにされていては花になりません。秘して見せないからこそ、花は花たり得るのです。隠すことで、その美を何倍にもしてみせ、ますます想像力をかきたてるところに日本の美の表現があるのかもしれません。
鳥は生き物の代表です。鳥の中でも渡り鳥に日本人は心惹かれたようです。雁ほど歌に詠まれた鳥はないでしょう。お菓子も雁をかたどったものはたくさんあります。季節の象徴となる鳥も、春告鳥の鶯や、茶の湯の初風炉といえば、道具の意匠のどこかに必ず姿を見せるのがホトトギス。鳥は信仰の対象ともなり、その典型は烏ですが、これはなかなか菓子にはなりにくそうです。その一方、八幡様のお使いの鳩は恰好の和菓子のモチーフです。
風と流れは合わせて風流。風はフウと読みますと、実に多彩な言葉が生まれます。風味、風合い、風情、風趣など、情感を表現するよい言葉が次々と思い浮かびます。なかには一休禅師の風狂も。風も、風から生じる雲も、水の流れも、あとに何も残しません。行雲水のような生き方を求めるのが雲水です。見えないもの、形を残さないものに価値を感じるのが日本文化でしょう。
さて、月は。日本の詩歌の中で月を詠じたものは際限なくありますが、太陽をうたった作品は稀です。しかもその月を、皓皓たる満月で楽しむのではなく、雲の間の絶え絶えに見える月がよい、といいます。
まさに花鳥風月こそ、日本美を象徴する言葉といえましょう。
菓子: | :鶴屋吉信 |
1943 年、東京生まれ。国立民族学博物館名誉教授、総合研究大学院大学名誉教授、静岡文化芸術大学学長。茶道史、料理文化史を中心に幅広く日本文化を研究。主な著書に『日本料理の歴史』(吉川弘文館)、『文化としてのマナー』(岩波書店)、『茶の湯の歴史―― 千利休まで』(朝日新聞社)、『小堀遠州茶友録』(中央公論新社)、『後水尾天皇』(中央公論新社)、『茶の湯日和』(里文出版)ほか多数。「和食」文化の保護・継承国民会議(平成25 年7 月に「日本食文化のユネスコ無形文化遺産化推進協議会」から名称改変)会長。