姫路といえば、姫路城である。名城の誉れをほしいままにしてきたこの城も、世界遺産に登録されて、世界の姫路城になった。
城下町に城にちなむ銘菓多しといえども、姫路の「玉椿」ほど、城の人々とえにしの深いものも少ないだろう。
江戸中期、酒井家が姫路藩主となった。三代藩主忠道公の時代、逼迫した藩財政を立て直し、名家老としてその名を今に伝えられている河合寸翁に命じられ、当時の伊勢屋本店の主人新右衛門が献上したのが、「玉椿」だという。茶に造詣の深い藩主と寸翁が、「江戸や京都に劣らない菓子を」と望み、その御意にかなったものとして、「玉椿」は姫路城下に伝えられたのである。
伊勢屋本店の創業は元禄時代と古く、「玉椿」を創案したのは、五代目の新右衛門である。
「玉椿」の製法は、簡単にいえば、白小豆にゆでた卵黄と白砂糖を加えた餡を薄紅色の求肥で包み、粉糖をふりかけたもの。まず目で見て、まことに可憐で美しい上生菓子である。
その銘菓「玉椿」、十個入りの箱を開けてみよう。
包装紙は、上品なピンクの和紙風のもみ紙に、紅白の椿の絵を散らした明るいもの。「玉椿」という肉太の文字に、小さく「姫路名産」の文字をあしらったマークは、古くからのものらしく、開こうとする寸前の椿のつぼみを連想させる。
包装を解くと、長細い箱に、掛け紙は、白地に包装紙と同じ手の椿の絵。この掛け紙をはずして、ぜひ見てほしいのが、箱そのものである。抹茶色の和紙の地に、やわらかく白抜きしてあるのが、「玉椿」の文字の入った大小のマークと「伊勢屋本店」の文字。じつに古雅な趣の箱である。
さて、薄紙をはずして直径4センチほどの「玉椿」をいただいてみると、驚くほどやわらかく、口のなかでふわっと溶けて消えてしまうようである。忠道公や寸翁がうなずくさまが、目に見えるようだ。
文/大森 周
写真/太田耕治
姫路市龍野町4丁目20
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