宮崎市は古くて新しい町である。神話の国・日向の中心地である宮崎には、神武天皇の宮居があったという伝承が、すでに奈良時代から行われていた。江戸初期までは宮崎城があって栄えたが、徳川の世にさびれ、明治を迎えて県庁所在地になってから、再び息を吹き返したのである。
市の南寄りの大淀川を北へ、橘橋を渡ると、宮崎市のメインストリート橘通りである。日向の銘菓「つきいれ餅」の金城堂本店も、この橘通りに面して建っている。
創業は明治13年、現在の当主は3代目の堀場道さん。初代堀場甚兵衛は名古屋の出身で、金城堂の名は、金のシャチホコで知られる名古屋城にちなむとか。
「つきいれ餅」は宮崎に古くからある菓子で、起源には次のような伝承がある。神武天皇が東征の旅に出ようとして、美々津浜で風待ちをしているとき、住民は壮途を祝って餅を献じようとしていたが、急に船出が早まったため間にあわず、餅と小豆をつきまぜて献上した。これを「つきいれ餅」と呼んだというのである。
金城堂本店の「つきいれ餅」の製法は、もち米、小豆、水飴を原料とした白色の求肥の中に、小豆を散らし込む。スタンダードな12個入りのを開いてみよう。
まず包装紙は、2色を巧みに使いこなした茶屋辻文様で、デザインのよさに目をみはった。包装紙を解くと、箱には、天地にあざやかな赤色の帯を刷り込み、右下には海辺の神社と沖の船を、左上には雲に乗った天孫降臨の神々を白描であしらってある。古風だが、いかにもこの餅のいわれにふさわしい。
箱の中には、大納言入り、漉し餡入り、日向夏蜜柑入りの包みがそれぞれ4個ずつ、きれいに並んでいる。個包みは、左右の端にややくすんだ赤色をきかせた美しいもの。24個入りは、上等な奉書を用いている。
包みの中からは、小さく切った餅が2つずつ出てくる。ほどほどに甘く、やわらかく、口にもおなかにも、食べた重さがまるで残らない餅であった。
文/大森 周
写真/太田耕治
宮崎市橘通東2の2の1
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