群馬県の館林(たてばやし)市は、茂林寺(もりんじ)の分福茶釜で名高いが、少し歴史をひもとくと、あの4代将軍徳川綱吉(家光の4男)が、将軍になるまでは館林城の城主であった。つまり、館林は、将軍の子弟を置くような、きわめて格の高い城下町だったのである。そうした伝統というものは、時を経てもなかなか失われないものだ。
その館林から、まことに風雅なお菓子「麦落雁」が届いた。製造は館林の老舗・三桝屋總本店で、創業は文政元年(1818)。「麦落雁」も創業者与兵衛が創製したものである。
与兵衛は、大麦を皮つきのまま焙って粉末にする麦こがしの香ばしさに目をつけ、これに和三盆糖を加えて干菓子にした。「三桝紋」の型も、与兵衛が独自の工夫をしたものである。「麦落雁」の香ばしさと上品な甘さは、茶の湯の菓子として館林城主秋元侯の御意にかない、さらには将軍家にまで聞こえるところとなる。その趣は、文人墨客にも好まれるようになった。
三桝屋の現社長は6代目の大越正禎さん(昭和17年生まれ)。正禎さんは「焙ってひいた麦粉を固めるのが難しいんです。水気が少なすぎても固まりませんし、水を入れ過ぎるとカチカチになってしまいます。ですから、今でも型に詰めるのは手作業です」と製造のカンどころを話してくださった。
スタンダードな45個入りの「麦落雁」。包装紙は東郷青児のアトリエで、岡本太郎、西村龍介と、3人の画家が会した席で生まれたとか。「麦落雁」の香りがバラの香りに似ていることから、バラの花と中間色の亀甲を組み合わせたデザインは、主として西村龍介画伯の手になった。
包装紙を取ると、箱は大名行列の彩色画である。側面の説明書きで、館林城主秋元侯の行列であることがわかった。
箱のなかには、「麦落雁」がぎっしり。一つ口に入れると、麦こがしの香りが甘さとともにさっと口のなかで溶け出す。簡素にして古雅。これこそ、古来ものさびた名所を指す〈落雁〉の名にふさわしいお菓子だと思う。「麦落雁」には、少林寺達磨寺の献茶式の際に創案された茶席菓子「利休復元」もある。
文/大森 周
写真/太田耕治
群馬県館林市本町1―3―12
TEL 0276(72)3333