仙台の伊達政宗は、黒と金の装束に統一した軍団を率いて京にのぼり、都の人々を驚かせたといわれる。
この政宗以来、仙台というところには、奇抜で、しかも風格のある発想を生む風土があるように思われる。
仙台は明治維新で一度精算を余儀なくされ、近年は東北新幹線の開通以後、外来資本にどっとさらされた。しかし、そういう外からの力を、うまくもてなして仙台的な発想に取り込んでいるのが、仙台の底力だと思うのである。
極めて仙台らしいものの一つに、菓名からして特異な名菓「白松がモナカ」がある。白松がモナカ本舗の創業者白松恒二は、明治の人であった。「白松がモナカ」と、「が」の入った菓名の誕生をめぐっては、次のようなエピソードが伝わっている。
「荒城の月」の作者として有名な詩人・土井晩翠は、仙台に生まれ、仙台に住んでいたが、当時「白松最中」という商品名であったこの最中が大好きだった。
初代は、「白松最中」を「白松が最中」に変えようと思った時、晩翠に相談した。店に立ち寄った晩翠に、「先生、どうでしょうか」と、白松と最中の間に「が」を入れる案を示した。「どうかな、考えておく」。
そう言っていったん店を出た晩翠は、すぐに引き返し、「そうしろ、そうしろ、君が代とも言うし、おらが春とも言う。白松が、にしろ」と言ったという。「最中」が「モナカ」になったのはずっとあとである。
この逸話は、常務の早坂業さんからうかがった。
さて、現在の「白松がモナカ」を賞味させていただくことにしよう。「白松がモナカ」12個入りである。
赤い紙紐が十字に掛けてある包装紙を解くと、グレーの絞り模様の地に「白松」という細い、美しくデフォルメされた筆字が印刷されている。これは高名な女流書家・町春草さんの文字。
解いた包装のなかから現れるのは、立派な杉の菓子箱である。箱の中には大納言、大福豆、胡麻の餡が入ったモナカがそれぞれ4個ずつ、動かないように仕切りを入れて、きっちりと並ぶ。「白松がモナカ」には4種類の大きさがある。写真の大型のモナカの直径は7センチほどで、一つひとつがとにかくたっぷりとしていて、箱を開けると思わず声が上がる。
筆者は「白松がモナカ」はもっぱら胡麻党であったが、今回3種類をいただいて、大納言と大福豆の、胡麻とは違うおいしさを知った。また、小豆の漉し餡に、自社農園産の栗を贅沢に詰めた「栗モナカ」も絶品である。
味の変化を楽しみながら「白松がモナカ」を交互に食べる極楽。仙台のもてなしは、これに尽きると思った。
文/大森 周
写真/太田耕治
仙台市青葉区大町2―8―23
0120(008)940