小江戸・川越と呼ばれる。こう呼ばれるのは、江戸時代を思わせる蔵造りの町並みが残っているからだけではない。川越の歴代の藩主はいずれも徳川将軍家の親藩、譜代で、代々幕閣であった。当然、政治も文化も江戸風である。その上、新河岸川の舟運という大動脈で江戸とつながり、経済的に江戸と密接な関係にあった。関東平野で、最も江戸との間に生きた交流を保ってきた都市なのである。だから、川越を訪ねたら、蔵造りの町を眺めて通るだけでなく、一歩踏み込んで、川越の人に声をかけ、江戸の気風にふれたいものである。
その川越を代表する銘菓は、芋せんべいの「初雁焼」。川越城を初雁城とも呼ぶことにちなんでつけられた菓名だ。製造元の老舗亀屋は、川越に江戸を伝える旧家の一つである。創業は天明3年(1783)。以後代々川越藩の御用菓子司をつとめ、明治に入ると第八十五国立銀行(現、埼玉りそな銀行)を創立して頭取につくなど、当主は常に川越経済界のリーダーの一人であった。本店の一角にある土蔵を活用した、橋本雅邦などの名画を展示する山崎美術館は、6代及び7代目の創設である。
現在の当主は8代目の山崎嘉正さん(昭和32年生まれ)。『家業は世の進歩に順ずべし』の家訓を守り、芋ペーストを用いたシュークリーム「川越いもシュー」を開発してヒットさせる一方、糖蜜を塗らない素焼きの「初雁素焼」を売り出した。この素朴な味の追求も、逆説的に、「世の進歩」に順じたものである。
藩の御用をつとめていた亀屋には、上生菓子にも焼菓子にも銘菓が少なくない。「初雁焼」が亀屋の代表銘菓になったのは、「栗より(九里四里)うまい十三里」(十三里は川越と江戸との距離)と、川越のさつま芋が江戸で評判を呼んだ江戸後期からである。
さて、「初雁焼」の包みをあけよう。箱は左右の角が傾斜した、ふっくらとした造り。おそらく、亀の甲の形を模したものだ。掛け紙には蔵造りの家並みと空を飛ぶ雁の絵である。箱を開けると、7、8枚ずつの「初雁焼」が2包み入っていた。さつま芋を鉋で薄くけずり、鉄板に挟んで焼き、糖蜜と黒ごまをまぶしたお菓子である。大きな芋からでも、5、6枚しかできないという。
まず見た目に、金貨の大判を連想するような豊かさがある。芋の滋味を引き立てる甘さは飽きない味で、食べているうちに、最初に堅いと思った感覚を忘れてしまう。小江戸いちばんのみやげだ。
文/大森 周
写真/小川堅輔
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