山口市を訪ねると、ふっと癒されるような落ち着いた雰囲気に包まれる。江戸時代よりも古い、雅な伝統が生きている町だからだ。
山口は室町時代に、明国(中国)との貿易で巨富を蓄えた大内氏が、京の都を模して建設した町であり、西の京と呼ばれて繁栄した。今でも、山口の町を歩くと、江戸時代を飛び越えて古い大内氏の時代の痕跡が色濃く見えてくる。サビエル記念聖堂、瑠璃光寺五重塔、常栄寺の雪舟庭園など、山口の名所はいずれも大内氏ゆかりのものだ。
今回装いを拝見するのは、この西の古都ともいうべき山口の老舗・山陰堂の、銘菓「亀乃居」である。
山陰堂は、目抜き通りのアーケード街で、木造瓦葺きの白漆喰、広い間口がひときわ目を引く店だ。現在の主人は6代目の竹原文男さん(昭和7年生まれ)。創業は明治16年(1883)、竹原弥太郎が津和野藩の士分を辞して、この地で創業した。代表銘菓「舌鼓」も「亀乃居」もともに初代が考案した銘菓だ。
山陰堂の包装紙は爽やかな緑。緑の地に、防長米の餅米の稲穂をあしらった舌鼓のマーク、竹原家の家紋(五瓜に唐花)の唐花の代わりに「山」の字を入れた山陰堂の社章、亀山らしき小山の線画などが、若草色と白で抜いてある。箱は金銀砂子を漉き込んだアイボリー地の和紙貼りで、左下に社章が金で箔押しされ、中央に「亀乃居」のロゴと社名の入った白紙が貼ってある。
箱を開けると、「伝説『亀の居』由来」という初代の一文を載せたしおりが入っている。要約すると、昔、山口に城のある亀山という小山があり、簡単に攻め落とせそうに見えて、敵が攻めてくると不思議に小山が伸び縮みして敵を寄せつけなかった。それは山に一匹の大亀が主として住んでいたからで、ある城主がそれを知らずに城の周りに濠を掘ったため、大亀はどこかに行ってしまった、という話である。「亀乃居」の菓銘の由来だ。
個包みがまた美しく、表が金、内部が銀の袋の表面に、薄いアイボリー系の紙を貼ったらしく、ほのかに下地の金が光る。封を切ると、中から6角形の最中。片面に「山陰堂」、もう一面にはかわいらしい亀の略画が型押ししてあった。
「亀乃居」は「舌鼓」と同じ、皮と餡の間に隙間がなく、口の中でしっくりと溶け合う。最中こがし種の風味と粒餡の風味が絶妙だ。
文/大森 周
写真/渡部健五
山口市中市町6-15
TEL 083-923-3110