資料に見る和菓子

ホーム > 資料に見る和菓子 第三回 No.198

菓子木型

 落雁などを作るのに欠かせない道具といえば、菓子木型があげられるでしょう。菓子木型が広まったのは江戸時代のことで、以降、四季の草花や、吉祥文様である松竹梅、鶴亀をかたどったものなど、さまざまな菓子が作られてきました。今回は、珍しいものをいくつかご紹介します。
 尾張徳川家の御用を勤めた名古屋の両口屋是清には、熱田神宮から宮の渡しを眺めた光景や名古屋城の天守閣を映したもの、四季の花々を取り合わせたものなど、江戸時代の精緻な木型が数多く伝えられています。
 そのうちの一つ「土坡きく」は、天保十一年(一八四〇)の書き入れがある木型。垣根を思わせる斜め格子を背景に、あでやかに咲く菊を映したもので、花と葉が重なるようにして上へ伸びていくさまは、まるで一幅の絵画を見ているかのようです。さらに注目されるのは大きさ。落雁になったときには、縦二十四p、横十五p、厚さ三pほどにもなります。この菓子を目にした人たちは、豪華さに圧倒されたことでしょう。
 下は、蝶の意匠で「花の友」という名の木型。紀州徳川家の御用菓子屋であった和歌山の総本家駿河屋のものです。同店には十代藩主徳川治宝お好みの菓子が多数伝わっており(註1)、この木型にも、、治宝のお好みであることを示す「西浜様御好」(註2)と、「天保十四年卯十月」の書き入れがあります。

註1 「花の友」ほか総本家駿河屋の木型の多くは、現在和歌山市立博物館に収蔵されている。
註2 「西浜様」とは治宝の住まいであった、西浜御殿に由来している。


 八pほどの蝶の形に、羽や触覚などを線彫りした簡潔なものですが、線の太さが均一で滑らかであることから、高度な技術を持つ木型職人が手がけたことがうかがえます。同店に伝わる「絵手本」を見ると、「花の友」は、蝶をかたどった箱を落雁で作り、箱のなかには同じ生地で打ち出した梅と桜の花を入れていたことがわかります。
残念ながら蓋の部分のみで、本体の木型は残されていませんが、中に詰められていた梅と桜の花形の木型は現存します。花の大きさは直径一pほど。手のひらに収まるくらいの小さな落雁の箱に、もっと小さな花の落雁。こんなかわいい贈り物をいただいたら……、と思うとわくわくします。



 木型職人については、木型に名前が残されている事例もありますが、詳細不明であることがほとんどです。しかし、職人のなかには名工と謳われた人もいます。時代は下りますが、大正から昭和にかけて活躍した渡邉三次郎・俊夫氏親子は、東京屈指の木型職人として知られ、菓子屋からの信頼も篤かったそうです。
 「神徳」は銀杏の葉と実を映したもの。丸い実を巻き込むように葉を重ねたデザインはため息がでるほどの優美さです。もう一つは、ガス燈が立つ日本橋を表したモダンな意匠。江戸時代の木造の橋がアーチ型の石橋に架け替えられたのは明治四十四年(一九一一)のこと。木型は大正時代以降に作られたものでしょう。日本橋界隈の菓子屋などから受けた注文で制作されたものだったかもしれませんね。

 昭和の後半以降、慶弔用の落雁の需要低下により、残念ながら大ぶりの菓子木型が作られることは少なくなりました。しかし、近年は多様なデザインが注目され、博物館の企画展などで目にする機会も増えています。こうしたことがきっかけになり、研究が進み、木型の素晴らしさを知っていただければと願っています。

(研究主査 森田 環)

*両口屋是清と総本家駿河屋の木型については、虎屋文庫発行の機関誌『和菓子』二十四号にて、猪原千恵氏にご寄稿をいただいています(「江戸時代後期の菓子木型から見た大名家の交流―尾張藩御用と紀州藩御用の菓子木型を中心に―」)。詳しくはこちらをご参照ください。

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